「幸せになりたいって欲には2種類あるの」不器用ながらも幸せを望むミチコ/悪魔の夜鳴きそば③
公開日:2021/2/21
ママは続ける。
「だけど個性を人より優れたものじゃなきゃダメだ、と思い込んでるから、人には話せないし尻込みして隠し込んじゃう。ただそれだけの話よ。ずっと何事にも無関心な人間なんてそうそういないの。
みんな人と比べて負けてるだとか感じて、勝負するのも嫌になって無関心のふりしてるだけ。みっちゃんの語学力も、人より優れた人間になりたくて好きになったスキルじゃなく、ただの《好き》から身についたものだったんじゃないの?」
「……うん、まぁ、そうだけど……」
私は頷いた。
「でしょう……まったく、みっちゃんもまじめすぎなのよ」
「そうかな」
「そうよ。誰にでも好みはあるけど、その好みすら誰かと比べたり、争うために使えちゃうのがまじめさんのおバカなところ」
「でも……まじめ、なのかな? むしろそれで人をひがんだりするなら不まじめな気もする」
私はママに反論するように意見を投げかけた。
「あら、考えてごらんなさいよ。すべての好みや選択に結果を求めようとしてるのよ。趣味ですら世間体っていう評価を気にしてるし、結果につながるかを考えてる。それも人に言えるようなキチンとした結果――まわりと比較できるなにかってことよ。まじめにも程があるでしょう」
「? まわりと比較できるなにかって?」
「いっぱいあるじゃないの。就職や学歴のため、名誉や役職のため、お金や評価のためってやつよ。すべて結果につながるようにしなきゃって考えるから、自分やまわりを追い詰めるのよ。『お前は結果を出してない。この趣味は結果を出してない。自分は結果を出してない。立派じゃないものは恥ずかしい』ってね」
確かにそれはわかる。大学ですら学問を志す場ではなく、就職のための訓練校だと揶揄される時代だ。
結局、就職や社会的立場、さらには年収だとかいう世間的なステータスが目的だ、とされているところはある。
私の場合、そこまで大きくは考えていないけれど、だけどまわりの評価ばかり気にしているのなら、みみっちい小規模なまじめ、なのかもしれない。
「……でもさ、ママ。あまりにも意味のないことしてたら、なんかやっぱりバカにされない? 人生無駄にしてるって」
「みっちゃんにも、そう言われた経験あるの?」
ママに問われ、私は頷く。
「昔はピアノ習ってたんだけど、プロになって稼ぐわけでもないなら無駄だ、って中学のときに言われて、やめちゃった」
「じゃあ、バカにしてきたやつはすべての無駄を省いて生きてんの? ってしばき倒せばよかったのに」
「いや、しばいちゃダメでしょ」
「言葉の綾よ」
綾どころじゃない気迫だったが、私はスルーした。
「そもそも人は生産もするけど、消費もして生きるものでしょ。いいのよ、なにも生まないことしてても。他人には見えていないだけで本人が満足していたり、いつか思わぬところでやっててよかったなって思えることもあるのに。
人に言えるような効率だとか成果だとかをまじめに考えすぎなのよ。みっちゃんも、そう言ってきた子もみんなね」
「……」
「社会や環境にどれだけ貢献できるかしか尺度がないから、自分にも人にも厳しくしすぎてる。そのバカまじめが行きすぎると、税金を支払ってる額とか、社会的立場とか、子どもの数だとかで人間の生産性を測りだす。それで『あいつはダメだ』とか『自分はダメだ』って思うようになんの。嫌でしょ、そんなエリート主義みたいなの」
「……まぁ、そうだね。そういう意味ではまじめ、なのかな」
納得いかないような私を見て、ママは肩をすくめる。
「いい? みっちゃん。まじめな人でも相手を見下すし、自分や他人を傷つけられるの。だってまじめは正義、ではないからね」
私はゴクリと固唾を呑む。
「学校ではまじめにやりなさい、って言うけれど、あれは今の社会や、多くの会社を回すために必要な《空気を学びなさい》って意味。よりよく生きろとは教えてくれてないのよ」
「あー、それは私でもなんとなくわかるかも。まじめはいいことだって言うけれど、上の人にとって都合のいいことでしょ、って思ってたもん。大人しい人間は面倒起こさずにすむから、先生や親にとって楽なんだろうなぁって」
とくに私は長女だったので、よくわかる。
妹や弟のためにも、早く手のかからない子になるように言われてきたから。
「あら、みっちゃん。わりとちゃんと言えるタイプの子じゃない」
「へへ」
ちょっとお酒で口が滑った節があるが、でも、ママは笑ってくれた。
「いわゆる社会の歯車ね。もちろん、そういったコツコツ仕事して、まじめで文句も言わず、上の人にとって都合のいい人間がいるからこそ、今の社会は回ってるし、誰だって恩恵を受けられているんだけどね」
「うん、そうだよね。私にはできないけど、がんばってるなぁって思う人、たくさんいるよ」
夜の街を眺める。
まだ灯りのついたオフィス。閑散とした道路を作業車がランプを回しながら横切る。
「あんたもよ」
「……そんなことないよ」
私は否定した。
「でもね、その結果、まじめな子たちは、自分より実力のある人間を見てうらやましく感じたり、疎ましく感じたり、果てには絶望したりして苦しむの。
まじめ社会では評価される基準がはっきりしてるから、みんな1位にはなれないのよね。どんなものでもヒエラルキーがはっきり存在してる。役職や制度って名目で序列がはっきり分かれてるでしょう? わかりやすいほどピラミッド型に」
「うん、確かにどんな場所でも、上に行くほど人が少なくて、下にはたくさんの数の人がいるよね」
「まじめなだけじゃ上には行けず、プラスアルファが必要なんだけど、それはその人の資質や個性によって変わる。多くの人が縁の下のなんとやらで終わることがほとんどなのよ。この現実にまじめな人ほど苦しむ。まじめであれば正しいのか、1位だけが正しいのか、そして、まじめと1位はほとんどの人間が両立できないって矛盾に苛まれるの。
……でもね、だからって1位以外に価値はないかというと、もちろん違うのよ、そうでしょう? この街が1人の優秀な人間だけではつくれないように、物事のほとんどがいろんな分野でがんばる人たちによってできてる」
「……そうだけど」
頭ではもちろんわかるけれど、でも実際、職場で役に立ってない私には、慰めにしか聞こえない。
「ま、あたいは北半球イチ美しい美貌を持ったゲイだから、そんなあたいが1位以外にも価値があるだなんて言っても嫌味に聞こえるかしら?」
「……大丈夫だよ、ママ。全然嫌味に聞こえないよ」
「……それ、嫌味かしら」
もちぎママは眉間にシワを寄せて、こちらをジッと見つめてきた。
「ま、なんでもいいわ。だからね、話が脱線したけど、趣味も特技も気楽に言えばいいわ。なんでももっと気軽でいいのよ。
誰かに負けたら意味がないとか、人より劣ってるのに誇れないだなんて思う必要はないの。1つの趣味くらいであんたの価値は決まらないし、1つの場所の評価で人間全部が決まるわけでもない。まじめは漢字で真面目――つまり《まっすぐ一面だけ目で見ている》と書くでしょう。
一面だけを見るのは《それしかない》とか《しなければ》だとか、道が1つしかないかのように思考が固まって、勝ち負けも白黒も正解も、はっきりさせすぎなのよね」
「……そう、なのかな」
「理想だってそうよ。もうちょっと器用に生きたいとか、そんなものでもいいのよ。みっちゃんは理想なんてないって言ってたけど、理想も希望もない人間は、不満もないし不幸も感じないの。不満を感じている人間には、必ず人それぞれの理想がある。もっとハードルを下げて、立派じゃなくてもいいから望んでいることを言ってみな」
そう言われると、いいのかなと許された気になり、私は思い切って口にした。
「……私もいつも思ってるよ、もっとうまくやれるはずなのに、とか、ちゃんとした大人になりたいって。それくらいかな」
「いいじゃない。それも《理想》よ」
「……こんな漠然とした理想でもいいの? 子どもが『お金持ちになりたい』とか言ってるのと変わらないじゃん」
「いいのよ、別に、それくらいフワッとした理想でも。それがそのうちだんだんと具体的になっていったり、あるいはパッと方向転換して変わったり、現実的な目標や計画へと肉づけされていったりすんのよ。
とにかく理想のハードルを下げておくこと。先行きのわからない人生や道ほどしんどいけれど、ちょっとでも自分の行きたい方向が見えてるほうが楽になるのよ。人間ってそういう単純でおバカな生き物なの」
「……そんなふうに人間について話すってことは、やっぱり、もちぎママは人間じゃないの?」
プルプルした白い生き物であるママに、そう投げかける。
「夢を壊すようだけど、正直に言うわね。あたいは餅の妖精を自称する、アラサーゲイの人間よ。おバカな失敗をしすぎて、体を餅に変えられた哀れなオカマなの……」
私はふーんとだけ言って、自分のお酒に口をつけた。
「なんか悪いことして餅に変えられたの?」
ママはうつむき加減に答えた。
「そう。ゲイバーで3日3晩飲み歩いて、泥酔して家でおねしょして起きたら、こういう体になってたの。オカマの神からの戒め……ってわけ」
……え? それだけのことで? 私はオカマの神が怖いなって思った。
「ま、とにかくまずは気楽に理想を考えるってこと。幸せになるためには目標と道筋が必要だからね」
彼は自分のお猪口を机に置いて、こちらをしっかり見つめてきた。
そして、
「ただし、理想と比べて、現状やこれまでの自分の人生すべてを呪うような、そんな卑屈な考えは捨てちゃいなさい。あたいが見てきた悩みを抱えた人たちは、みんなそれに苦しんでいたから」
と戒めるように言った。