「努力も反省も、怒りや悲しさから始まると思うの」過去を呪い、卑屈になっていたミチコに、ママは続けて…/悪魔の夜鳴きそば④
公開日:2021/2/22
主人公の満内(みちない)ミチコ、通称「みっちゃん」は、27歳。駆け出しのホテルマンとして奮闘する毎日だけれど、努力が空回りして落ち込んでばかり。そんなある日、夜道に現れた、奇妙な屋台に引き寄せられ――。百戦錬磨の屋台店主「もちぎママ」が贈る「共感度200%」の感動ストーリー。
「卑屈な考え……私、卑屈なのかな」とお酒で口を潤しながら問いかける。
「みっちゃんが卑屈な人間かどうかは、1つも身の上を知らないからわかんないけど、少なくとも『幸せになりなさい』って言った人間に対して『突き放された』と感じるなら、きっと卑屈な考えに頭が占められてるわね。
どうしてまわりの人が私のことを助けてくれないの、って逆うらみしちゃってるんじゃない?」
さっきの会話が頭を反芻する。
私はいきなり「幸せになりたい」って漏らしたけど、冗談じゃないと察してか、もちぎママは笑わずに「なりなさい」って言ってくれていた。なのに冷たく感じた。
「逆うらみ、か……」
確かに私は、見ず知らずの人間にすら、「どうして私の味方じゃないの」って悲しさや怒りすら覚えてしまっている――思い当たる節は多々ある。
例えば上司だってそうだ……。彼は別に私の親でもないのに、私は『なぜ優しくしてくれないんだ』って怒りを覚えたりすることもある。ホテルの営業のためにただ尽力する彼が、私のミスを叱るのは当然のことだというのに。
「あんたのこと責めてるわけじゃないのよ。ただ、そんなすぐに白黒ばかりつけて生きてたら、きっと理想どおりの生き方を実現しても文句言うよ。足りない、まだ足りないって。全人類が自分のことを愛してくれるわけないのと同じで、全部完璧なんて存在しない。
それが認められずに、持ってるものじゃなくて、持っていないものにばかり目がいってしまうの。それが卑屈な考えってやつよ」
「そう、かなぁ……。でもさ、理想どおりでも不満を言うかどうかはなってみないとわからないじゃん。私だって今までうまくやってこられたら、もっと能力がある人間に生まれていたら、きっとこんなふうに弱音を吐かずにすんだと思うもん」
「まずはそれよ」
「え?」
私は聞き返す。
「なってみないとわからない、という〝たら・れば〟は、まだどうなるかわからない未来について考えるときに使うものなの。もう過ぎた過去や、生まれ育ちについて使うのは、今の自分をただ呪うだけの、卑屈な思考よ」
「……」
私は押し黙る。
「過去を呪うって、反省とは違うからね。反省は過去を振り返ってこれからどうする、って前向きな道や解決策が生まれるけど、呪ったらそれでおしまい。過去がダメだから今がダメなんだって免罪符ができちゃう」
「……そうかも」
ぐうの音も出なかった。
……正直、まだ自分の過去や経歴を話していないぶん、直接否定されている感じはしないし、ダメージも軽い。だけど会ってすぐの、この餅の妖怪に核心を突かれてしまったのは、やや悔しく思う。
「過去を呪うのも、今のまわりの環境や、周囲の人間を呪うのも《未来から目を背けるための防衛策》だと、あたいは思うの」
彼は荷台に備えつけの電子レンジにお銚子を突っ込む。
「今までの不運、恵まれなかったこと、失敗したこと、まわりの人がすぐに手を差し伸べてくれないこと、現状で評価されていないこと――これだけまわりに自分をダメにする要素があるから、きっとこれからも自分はダメなんだ、って言えるようになる。なにかと理由をつけて、失敗しても《仕方ない》って言う準備をしてるの」
「……でもさ、ママ。そんなふうに言い切っちゃうけど、ほんとに自分が恵まれない環境にいて、そのせいで人生うまくいかないってケースもあるでしょ?」
「あるわね」
あるんかい、と思った。
彼の口ぶりじゃ、まるで過去を理由に卑屈になることすべてが言い訳だ、と指摘しているように聞こえたから。
「だからこそ、すべてを呪うなって言ったの」
彼は電子レンジから湯気が立つお銚子を取り出した。
「……やっぱ横着してレンジでやっちゃダメね。この日本酒にあった独特の香りが吹き飛んじゃったわ」
ミトンでそれをつかみ上げ、見るからに熱々のお酒をお猪口に注ぐ。
「あたいはね、反省も努力も、ほとんどが怒りや悲しみから始まると思うの。なんでこうなってしまったんだ、ってくやしさがあるからこそ、人はその結果に納得せず、次こそ成功しようと思える。今のあたいもそう。
ちょっとお酒が台無しになって悲しいけど、次からは面倒でもちゃんとお銚子ごとお湯に浸けてやろうと思えた。そのほうがおいしいお酒が飲めるから」
「……それ、今、適当に思いついたでしょ」と指摘する。
「うん、そうね、適当にこじつけた。でもそのとおりなのよ。失敗も苦境も、自分しだいでこじつければ糧になるの。もちろんどう考えても理不尽な苦難も人生にはあるけれどね。それは無理せず忘れてしまってもいいわ。まじめに考えすぎないようにするのも手なのよ」
「うーん……」
そんなの、経験や過去のどれが糧になるかとか、私にはわからない。
もし、今の私の生活が、そして人生すべてが、無駄な苦労かもしれないなら、どれだけむなしいだろう。
するとそんな私の表情から心中を察してか、もちぎママは言った。
「どれを糧にするかはもちろん自分しだい。だけど過去すべてを未来のために活かそうだなんて、そんな傲慢なことも思っちゃダメ。人生ってドラマじゃないんだから、回り道も寄り道も、報われることのない失敗や悲しみも絶対にあるもんなのよ。
エンディングのために効率よくストーリーが進んでいくわけじゃない。それにエンディングもドラマみたいに大団円で終わる保証もない」
「みんな1位になれるわけじゃない、ってママがさっき言ってたしね」
「そうよ。でもね、それでもいいやって思えるくらい最高な未来をつかめばいいだけ。1位だけが最高じゃないって知っていくのよ」
「そんなもんかなぁ、なんか、まるであきらめて開き直ってるみたい」
私が怨嗟のように漏らすと、ママは微笑んだ。
「あきらめて開き直ればいいのよ。1位以外を認めないって、負けた事実も認めないってことだからね。自分なんて負け犬だ、ってハナからあきらめるのも、ちゃんと負けられないから予防線を張ってるだけ。試合放棄ってやつね。これも負けたうちには入らない。戦いたい勝負から逃げたってことなの」
「……厳しいね」
「そうかしら。優しさよ。もちろん逃げちゃえばいいってことも人生にはたくさんあると思うし、逃げてよかったって胸張って言えるならそれでいい。でも、ちゃんと競うところで競って負けて、負けても生きて、物事の終わりを受け止める。
『誰もが負ける』って当たり前の現実を受け入れることは必要なのよ。過去を呪うのは受け入れないってことだから、それだけはやめちゃうの。これは気楽に生きなさいって優しさで、投げやりに生きなさいっていう冷たさではないのよ」
「……うん」と私は頷く。
「みっちゃん、あんたはまじめだから、きっと争うべきでないことでも争って、傷ついて、焦って苦しんできただろうけどね。もっと気楽でいいのよ。あんたはドラマのような完璧な登場人物じゃないんだから」
ママのこの言葉は温かく聞こえた。
「確かにね、この世の中、1位以外の人間は主人公ではないけれど、1位の人間だって主人公じゃないのよ。誰もがこの世のたった1人でしかない。
注目されてる人間でも孤独で病むし、みっちゃんの知らない人間もひっそり生きて死んでいく。勝者も明日は敗者になりうるし、敗者だろうと死後に勝者となることもある。それが現実なのよ。諸行無常ってやつよ」
なんだかそう聞くと、私の中での焦りが少し和らぐ気がした。もちろんほんの少しだけだけど。
私は確かにいつも焦っていた。早く最適な努力をしないと、立派でなんでもできる人間にならないと、って思っていたところがあった。
「私、けっこうそういうところあるかもなぁ。早くどうにかしなきゃって焦りも、どうせ無理だってあきらめも、なにかを受け入れられなくて湧いてきたのかも。なんとなく、言われてみれば当てはまるかもって感じなんだけど、でもちょっと気楽にはなりそうな気がする」
ママは「いいじゃない」って言いながら、新しいお酒の瓶を取り出した。
何本飲むつもりなんだ、この人は。
「ま、また責めるような物言いになって申し訳ないけど、みっちゃんみたいにね、過去を呪う人ってドラマの見すぎなの。就活とかでも焦ったタイプでしょう? 自分の学歴や資格、成績、あとは職歴とか活動歴とか、そういうのを他の人と比べて、ね?」
図星なので私は頷いた。
「でも安心して。すごい人って《すごく見せるのが上手》なの。
もちろん本当にすごい能力や経歴を持つ人もいるけど、その人の全部がそういうすごい経歴ってわけじゃないし、経歴からは見えないものだって必ず存在する――失敗だらけの過去とかね。それに、すごい人の中には《すごく見せるのが上手なだけの人》も混じってる。
演技で飯を食うようなプロじゃなくとも、自分を大きく見せたい役者は世界にゴロゴロいてんのよ。それが競争社会の生き抜き方ってもんだからね。だからみんな、世の中のすごい人――つまりドラマの主人公みたいに完璧な人たちに当てられて自信をなくしたり、焦ったりしちゃうの」