「努力も反省も、怒りや悲しさから始まると思うの」過去を呪い、卑屈になっていたミチコに、ママは続けて…/悪魔の夜鳴きそば④
公開日:2021/2/22
先ほど話してくれた趣味や理想の話もそうか、としっくりくる。
「ほんとにそうだね……。私もさぁ、同僚や先輩みんなにかなわないし、後輩にすら負けてるって感じてるもん。なんか、みんなきちんとした社会人だよなぁっていつも焦る。みんなだってミスするのにね」
「ま、もしかしたら本当にあんたよりすごい人間に囲まれてて、あんたがただの実力不足ってケースもあるけどね」
いちいち毒がすごいと思った。
「でもよく考えてみて、みんな本当にすごい人間なわけないでしょう?
さっき例に出した就活で言うとさ、職歴すべてを有益に役立たせるなんて無理じゃない? だけど職を手に入れたい人は、面接官と会社に気に入られるために嘘をついたり誇張したりして《いかに過去すべてがこの会社に入るために存在したか》なんてストーリーをつけて話してるの。まるで今までの人生が完全無欠だったかのようにね。
でも、現実なんてそんなうまくいかないじゃない。絶対に無駄になった過去や失敗があるわけよ。みんな脚色して、人に見える自分を意識して生きている。みっちゃんが見て焦ってるのは、その人の外面しか見えていないからよ」
「つまり、まじめに一面しか見てないから、ってこと?」
先ほどのママの言葉を流用して返すと、彼は笑顔で大きく頷いた。
「みんながついてるきれいごとの嘘を見抜けるようになったら、『自分も失敗せず効率的に生きなきゃ』なんて焦りもなくなるわね。理想のハードルがグッと下がっていくわ。まずはそこから始めなきゃ、いきなり高いハードルなんて誰にも無理だしね」
「でも、そんなふうに相手を疑いというか、よこしまな目で見るの、なんか性格悪くない……?」
ママは鼻で笑った。
「そんなことないのよ、これが。むしろ愛にあふれてるわ。きれいごとを見抜くってことは、お金持ちがいつでもドレス着てるわけじゃなくて、家ではすっぴんでジャージ着てるって思ってあげることなの。
そしたらお金持ちの人も『24時間いつでも着飾らなくてもいいんだな』って気楽に思えるようになるでしょう? 自分も『お金持ちの人でもジャージ着るんだから、自分も着てもいいやん』って思えるの。おわかり? ここには気楽に生きるための愛があるのよ」
「……ふふ、たとえはともかく。そう聞いたら、ちょっと気楽に思える、かも」
「でしょう。みんな取りつくろってんのよ。それを見せてるだけ。意外と必死な水鳥みたいなもんよ。水面の下では何してるかわかんないわ。
だからね、他人も自分も呪う必要ないの。今の自分も、過去の自分も、無駄でも別にいい。無駄にしたくない経験だけ、未来のための御膳立てって思ってやりゃいいの」
彼はお猪口にちびちび口をつける。
「その上でもう一度聞くわね、みっちゃん。あんた幸せになりたいのよね?」
「え……?」
私はとまどった。
確かにここまでの話に納得したことは多かったし、自分に当てはまる部分を見出して変わりたいとも思った。
だけど、だけどそれは私の内心の話だ。
まだ状況も人生もなにも変わってはいない。
私はここまで真摯に話す、やけに思慮深い屋台そばの妖精に、正直に応えたいと思った。
「なりたい、けど、やっぱりまだ自分でどうやって幸せになっていけばいいかわかんないし、正直自信ないよ、私には」
そうだ。
そんなすぐに変われるなら、こんなダメダメな人生歩んでるわけないから。
すると彼は最後の1滴を飲み干して、ふぅと息を吐いた。
「正直でえらい。そんなもんよ、人なんて」
「ええ!?」
私は驚いた。てっきり嫌味を言われるものだと。
「本を読んだり、人の話を聞いたくらいで人なんてすぐには変わらない。そんなんで変わるとしたら小手先だけ。半信半疑で聞いた話を自分の中で溜め込んでから、物事を経験して、一部を納得して取り入れて……それでようやく、『ああ、あのときの話は少しは役に立ったな』って思えるのよ。
だから基本的には人の教えは疑ってかかりなさい」
なんだか学校の先生とは真逆のことを言うなと思った。
教えが絶対じゃない。これも気楽にということなんだろうか。
「ていうか、みっちゃん、さっきからあんた大丈夫なの? ずっとあたいの話にウンウン頷いてさ。素直に聞いて咀嚼してくれてるようだけど、あたいについてなにか思わないわけ?」
「え? まぁ、妖精って存在がヤバいなとは思うけど」
「お黙り」
ママはペシっと台をはたく。
「……でもオカマさんって人生経験が豊富で、男女両方の視点とか知見を持ってるでしょ。説得力があるなぁって。言ってることは納得できることが多いから、なんも文句ないよ? たまに毒がすごいなぁって思ったけど」
するとママは鼻で笑った。
「あのねぇ、オカマにもいろんなやつがいるって言ったでしょう? なんにも苦労せずのんびり生きてこられた人もいるし、とくにゲイだってことを悩まなかった人もいる。ドラマのような生き様を歩んだりしてない人もいる。むしろそのほうが多いわね。みんな普通の男よ。ドラマチックな人生のゲイだなんてレアよ」
「まぁ、言われてみたら、当たり前だよね。今までゲイの人なんてテレビでしか観てこなかったから、あの人たちを基準で考えてたかも」
「テレビ出てるプロのゲイはね、もうほ〜〜んとすごい人たちなのよ」
ママは溜めに溜めて言う。
「それに、日常生活でゲイだと明かしてる人は少ないってだけで、きっとみっちゃんのまわりにもLGBTなんてザラにいるわよ。でも気づかないほど普通の人たちってわけなのよ」
「そっか……そうなんだろうね」
私は納得して頷く。
「とにかくね、オカマだからとか、年上だからとか、そんな理由で話を鵜呑みにしちゃダメ。バカでも死なないかぎり歳を重ねられるように、年齢だとかそんなものただの属性。人間のオマケって考えたほうがいいわ」
「オマケかぁ……」
「あたいもただ男性が好きな男ってだけで、女性の気持ちを代弁したりもできないし、全部の人生に口出ししたりできるほどえらくもないわけ。普通のお節介でおバカな男なのよ」
「……確かにね」
「今、おバカってところに賛同しなかった?」
「ち、違うよ。私も……夢見すぎっていうか、勝手に変な期待を持ってたかも」
私はお冷やを口にしながら、そう素直に伝える。
子どものころ、学校の先生ならなんでも知ってると思っていた。だけど大人になったらわかったけれど、教師も自分と変わらないただの人間だった。
私は先生に夢見る子どもと変わらない思考の危うさに気づいた。
「飲み屋で働くゲイでもね、いろんな職や業界を渡り歩いてきた人もいれば、ずっとゲイ業界で鍛えられてきたって人もいるのよ。どっちがえらいかってわけじゃなく、どっちもある程度視点や経験が偏ってるってことね。あたいもゲイバーで働いてたときには、お客さまのほうがよっぽど物事をよく知ってると感じることもたくさんあったわ。
そんなもんよ。みんなちっぽけな人間。プロのゲイはお客さまを安心させるために達観して見せるのが上手なだけなの」
ママはしみじみと話す。
「もちぎママは? 今までどんな人生を歩んできたの?」
私はふと気になってそう問いかけた。
私より年上で、やけに物知り顔で達観して語る、このママの背景を知りたいと思った。それは単純に好奇心だけど、でも彼が本当にただののらりくらりと生きてきた人間だとは思えなかったから。
「あたい? あたいの話を聞きたいの? 仕方ないわね。特別サービスよ」
彼は淡々と自分の話をした。5分に満たない短い時間だったけれど、それはとても濃厚で、私はまるでエッセイ本を1冊読んだような気分になった。
どうやら彼は、今まで過酷な人生を歩んできたようだった。
幼少期に父と死別、そして貧乏な10代。生活のために高校生のころからアルバイトをし、さらに退勤したあとに男性と逢引してお金を稼いでいたらしい。
それから、息子がゲイだということを受け入れられなかった母との訣別。
単身で都市部に飛び立ち、その後は私のまったく知らない世界だけれど、ゲイ風俗やゲイバーでの勤務で食いつないだこと。
親元を離れたあと苦労して大学に通い、就職してからもゲイだからという理由でひどい言葉を浴びたこともあるらしい。しかし、その間もずっとゲイのコミュニティで叩き上げられ、その道のプロたちに揉まれて、強くなっていたようだ。
それでこの若い(?)声色や様子とは裏腹に、中年のような話ぶりと、ちょっと老獪で達観した考えを持っているのだろう。
「タイヘンだったんだね」
「変態?」
「いや言ってねぇわ」
私は思わずツッコんだ。