サッカーはメタルと兄弟だ!/メタルか?メタルじゃないか?⑤
公開日:2021/2/20
“新しいメタルの誕生”をテーマに“BABYMETAL”というプロジェクトを立ち上げ、斬新なアイディアとブレること無き鋼鉄の魂で世界へと導いてきたプロデューサー・KOBAMETAL。そんな彼が世の中のあらゆる事象を“メタル”の視点で斬りまくる! “メタルか? メタルじゃないか?”。その答えの中に、常識を覆し、閉塞感を感じる日常を変えるヒントが見つけられるかもしれない!!
メタルにはお国柄があるという話をしたことがある。
北欧メタル、ジャーマンメタル、LAメタル(正確にはグラムメタル)、そしてジャパメタことジャパニーズメタルなどなど。
これも前に触れたことがあるが、やはり大地のエネルギーというか、気候や風俗などそういったものの影響というのは、メタルならずとも必ずあるもので、文化の前提条件と言えるだろう。
特にメタルは、村社会的な意識が強く働くジャンルなので、地域性もよりはっきりとした特徴が現れやすい。メタルフェスに行くと、そのことを強く実感する。集まっているバンドはすべてメタルなのだが、ベルギーにはベルギーの、イタリアにはイタリアの、またその中でも北部や南部といった違いが現れる。
重要なのは、それぞれに個性的ではあるけれど、ベースになっている部分は同じだということだ。その村独自の発展は遂げつつも、世界共通の基本ルールみたいなものが存在するということ。わかりやすく言うと、メタルフェスに集まったバンドは、みんな同じ競技の中で競いあっているのだ。
サッカーの大会にラグビーチームが参加しないように、柔道の大会に空手家が参戦しないように、メタルフェスは文字通りメタルだけの宴なのである。
と、ここまで考えてきて、はたと思った。
そう言えば、サッカーという競技は、競技人口の裾野が広いということも関係しているとは思うが、他のスポーツと比べてお国柄がはっきりと出やすいのではないだろうか。
がんじがらめのルールが自由度を生むというアンビバレンス構造
ワタクシ、サッカーは門外漢であるので、もしかしたら見当違いなことを書いてしまうかもなのだが、例えばドイツのサッカーは規律が重視され、ブラジルのサッカーはより個の力が求められ、スペインのサッカーは細かくパスを繋いだ戦い方が徹底されている――といった具合に。
また、応援もお国柄がそのまま出ていて、ワールドカップなんかを見ていると、ワタクシなんかはフィールドよりもスタンドのお客さんを見ている方が面白いと思ってしまうほど個性的だ。
ブラジルのファンはリオのカーニバルみたいな激しいダンスをしている人もいるし、イングランドのファンがチャントを大合唱する姿はまさに音楽におけるライブのオーディエンスとそっくりだ。たしか日本代表のサポーターはお手製の甲冑を身につけた侍みたいな格好をしている人がいますよね?
しかもサッカーは手を使ってはいけないという束縛があって、それの「なんとメタルなことよ!」と一人悶絶してしまうほどだ。
そしてオフサイドという独特のルールにもメタルを感じずにはいられない。オフサイドというのは、要するに相手のディフェンスラインを越えた地点でボールをもらってはいけないということ(ですよね?)で、サッカーという競技をより団体競技として魅力的なものにしている。おそらくオフサイドがなければ、ゴール前にフォワードが待ち伏せしてそれにつれてディフェンスが張り付いて、なんだか単なるボールの蹴り合いみたいな単純なものになりそうな気がする。
がんじがらめのルールを設けることで競技の中の自由度が増すというアンビバレンス構造はまさにメタルパターン! いや、サッカーの方が古いんですけどね。
現在につながるヘヴィメタルの起源を1970年代後半から始まった「NWOBHM(ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)」とするのであれば、メタルもサッカーも母国はイギリス。なんだかサッカーが他人事とは思えなくなってきた。
かつてサッカー日本代表で議論となった「自分たちのサッカー」というワードも、サッカーをメタルに置き換えれば、とても大事なことを問題にしていたんだなあと思ったり。
毎年開催されるメタルフェスで、「さあ、お前のメタルを見せてみやがれ!」とメタル自慢を繰り広げる中で、安定のメタルを見せつける強豪もいれば、突然変異的に進化したメタルを見せる新星が現れて話題となったりもする。サッカーで言えば、まったく新しいシステムを用いたサッカーをするチームが現れた! というところの驚きに近いだろう。
サッカーワールドカップとメタルのコラボが来る日を夢見ながら、今回はこのへんで。