「片付けられない人間」から脱却した私。“大雑把な性格”でも片付いた状態は維持できる!/「ちゃんとしなきゃ!」をやめれば二度と散らからない部屋になる①
更新日:2021/3/2
「ちゃんとしなきゃ!」と一念発起して片付けをしても、その状態を保てず、再び散らかってしまうことも…。そこで本書は、「元 片付けられなかった人」である著者が「自身の性格にあった片付け方」をご紹介。“大雑把民”でも「二度と散らからないキレイな部屋」はキープできる!
私は「片付けられない人間」だった
かつての私は、典型的な「片付けられない人間」でした。
子供の頃から親に常に言われていたセリフは、片付けられない人あるあるの「いい加減、片付けなさい!」という言葉でした。
床に置きっぱなしになっているCDケースを踏んで割るのは当たり前。
探し物もしょっちゅうで、「この部屋のどこかにあるのは分かっているのに、どこにあるのかわからない」、だから物だらけの部屋の中から探し物が発見できず、同じ物を買い直すなんていうのは毎度のこと。
服を着ようと思っても、部屋の隅に積み上がった衣類はどれが洗った物でどれが洗っていない物分からず、夏には放置していたTシャツからカビを生やしたこともあります。
大人になってからも部屋は相変わらず散らかっていて、いざ友人が来ようものなら大慌てで床に散らかった物をクローゼットに押し込んで、その場をしのぎました。そして友人が帰った後、三日もすれば元通りの散らかった部屋になっていたのです。
このように「ちゃんとしなきゃ!」と思っているのに、それができない。そんな自分に悶々とする日々を送っていました。
片付けに必要なのは「努力」ではなく「工夫」
ある時私は、きれい好きで評判な友人の新居にお邪魔しました。
駅前の新築タワーマンションの一室、洗練されたインテリアが並ぶ中、所々に観葉植物が置かれていて、その光景はインテリア雑誌に出てくるモデルルームそのものでした。
その日は洋服が趣味の彼女が、新しく買った服を見せてくれる約束になっていました。
彼女がおもむろに開いたクローゼットの中がチラリと見えましたが、普段人から見えない場所にもかかわらず、中は色や形が統一された収納具でキッチリとまとめられていたのを覚えています。
何が入っているのか分からない段ボールや、いつ買ったか分からない衣類が詰め込まれている私の部屋のクローゼットとは、天と地ほどの差がありました。
彼女はクローゼットの前に静かに膝をついて、衣装ケースをスッと開け、薄く平たくミルフィーユのようにきっちり重なった服の中から目当ての服を見つけました。そしてその服を取り出すために、重なっている衣類の一部を一旦取り出し、目当ての衣類を取り出して横によけた後、先ほど取り出した他の衣類をキレイに元に戻し、引き出しをきっちりと閉めました。
私はその光景を見て、雷が落ちたような衝撃を受けました。
もしも私が彼女だったら…。
衣装ケースをぞんざいに引き出し、目当ての服を見つけたらその服だけをうまく引っ張り出そうと無理矢理グイっと引っ張ること間違いなし。その結果、他の服がぐちゃぐちゃになってしまっても「後で直せばいいや~」と、そのまま引き出しを無理矢理閉めてしまうでしょう。その時にはみ出ていた服を引き出しにうっかり挟んでしまうかもしれませんが「これも後で直せばいいや~」と思うだけでそのままにしてしまう姿が、目に浮かぶようです。
この時、私の中に「大雑把な性格の私が、彼女のような几帳面な人の真似をしようとするから、片付けを失敗していたのではないだろうか」という仮説が生まれたのです。
その日以降私は、几帳面な人の行動を、気をつけて観察するようにしてみました。
ある人は、机の上に置いてある物が、たとえ使用中であっても常に直角に並んでいないと気が済まなかったり、ある人は、たとえ毎日毎食使う調味料であってもキッチンに出しっぱなしにすることが許せず、都度引き出しや戸棚に収納をしていました。
私が「そんなの面倒くさくて絶対続かない!」と思うようなとてつもなく手間のかかることを、彼女らは毎日平然と、息をするようにやってのけていたのです。
これらの観察を経て私は、
「片付けに必要なのは、几帳面な人の真似をする努力をすること」ではなく
「大雑把な性格の自分でも、片付けを継続できる工夫をすること」
だと確信しました。
それを実践して片付けている現在、私の性格は大雑把のまま変わっていませんが、それでも物をなくさない、ダメにしない、必要な物をすぐ取り出せて、散らかしても短時間で元のキレイな部屋に戻せる生活を送っています。
「ちゃんとしなきゃ!」と思っていても中々できなかった私が、何故そのようにできるようになったのか、次回から具体的にお話していきたいと思います。