女友だちに賞味期限はある?「壊れた友情」の実話集から、捨てたい人間関係を考える

文芸・カルチャー

公開日:2021/3/1

女友だちの賞味期限(実話集)
『女友だちの賞味期限(実話集)』(ジェニー・オフィル、エリッサ・シャッペル:編著、川上弘美:解説、糸井恵:訳/プレジデント社)

 何年か前に「彼氏がこんなに素晴らしい」というTwitterの投稿が目に入った。ツイートした本人はただ純粋な思いを吐露したつもりが、その彼氏の言動がモラハラであると各所から指摘が入り、注目が集まった。やれ「本人が幸せなんだからいいじゃないか」だの、やれ「それはモラハラだから気づかせてあげないといけない」だの、と。このとき私はずいぶん考え込んでしまった。

 もしも近しい友人がノロケていて、よくよく聞いてみたらどう見てもモラハラ男だったとしたら……。件のツイートに対しては、最終的には「まあ、本人が幸せそうだからいいのかな」と自分の中で片付けた。が、それはたぶん、私がその人とまったくの他人だから、それくらいの距離感でいられたのだろう。

『女友だちの賞味期限(実話集)』(ジェニー・オフィル、エリッサ・シャッペル:編著、川上弘美:解説、糸井恵:訳/プレジデント社)に収録されている、「完璧な彼女」というエッセイが、まさにそういった話だった。

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 本書はアメリカの女性作家たちによる、「壊れた友情」にまつわるエピソードをまとめたエッセイ集。海外文学っぽい独特の語り口ではあるが、読んでいくと金銭トラブルや、結婚や出産など環境の変化で徐々にギクシャクしていくものが多く、いずれもよくある話という印象を受ける。

「完璧な彼女」は、書き手のリディア・ミレットが、友達のウェンディとの友情が壊れるまでの事の顛末を記したエッセイ。ウェンディがある日、恋人デイビッドのある秘密を打ち明けてくる。なんと、デイビッドは高校時代に犯罪経験があるというのだ。といっても、被害届が出されたわけでもなく、その犯罪の事実を知った上でウェンディは交際を続けている。

 そこでリディアはたまらず、「デイビッドはあなたにふさわしいとは思わない。私だったらその犯罪を知っていながら平然と振る舞うのは耐えられない。私自身、デイビッドとこのまま知り合い関係を続けるのが怖いくらい」といった主旨の話をした。

 その結果、「(私の)『選択』を『尊重』できない人とはもう友だちではいられない」と言われ、ウェンディとの友情は壊れることになる。

 デイビッドの犯罪は過去のことではあるし(時効になっているかは不明)、罪を受け入れるとウェンディが「選択」したのだから、「尊重」すべきだ、という考えもわかる。一方で、詳細は省くがその犯罪はかなりひどいものであるため、「そんな人なんて選ばないほうがいい!」と言いたくなる気持ちもわかる。

 おそらく、「何を嫌だと感じるか」の価値観が友人とズレたときが(あるいはズレが発覚したときが)、縁の切れ目ということなのだろう。

 とはいえ個人的には、本書で友情が壊れたことに傷つき、嘆く書き手たちが、少し羨ましくも思えた。友達を全身で愛し、真面目に向き合っているからこそ、壊れたときにここまで傷つくのだと思う。私にはこの感情が基本的に欠けている。普段からあまり他者との関係に強くコミットしていない(できない)がゆえに、友情が壊れて傷つくことが特にない代わりに、友情に心の底からどっぷり浸ることもない。友達とは、互いのニーズが一致したときに楽しく過ごす、刹那的なものだと捉えている。人は環境や経験や出会いでいくらでも変わる。形が変わってしまっているものを、「友達」という狭い箱の中にぎゅうぎゅう詰め込みたくないのだ。

 今回、「捨てる」特集ということで本稿を書いているわけだが、もしも「捨てたい人間関係」があってここまでお読みいただいた方がいたら、今! たまたま! その人間関係が! 合わない時期なだけ! くらいの気持ちで捨ててしまっても、意外となんとかなる、とお伝えしておきたい。価値観がズレている者同士、無理に一緒にいても、しんどくなるだけじゃないですか?

『女友だちの賞味期限(実話集)』、読後感はジメジメと暗く悲しい決裂物語なのだが、ツラい人間関係、壊れて終われてよかったじゃん。ハッピー! と私は思ってしまったのだった。

文=朝井麻由美