「唯ぼんやりした不安」/巴奎依の社会不適号㉑
公開日:2021/2/26
芥川龍之介に興味を持つようになったのは、彼が残した「唯ぼんやりした不安」という言葉からでした。
何度も語っているように、元々本が好きで、三島由紀夫が好きで、谷崎潤一郎が好きだったのですが
自分の中で好きな本の系統が確立されてからは、好きな著者の本を読み漁ることで充実していたので、あまり新しい発見をしようとはしていませんでした。
いつも通り好きな本を読んで、当たり前の生活をして、変わり映えのしない、いつも通りの生活をしていたときにふと、芥川龍之介の「唯ぼんやりした不安」という言葉を目にしました。
何故か妙に気になりました。心に引っかかったこの言葉は、芥川龍之介のどの本に載っているんだろうか? どんな意味で綴られたのだろうか?
現代のネット社会のおかげで、すぐに見つけることが出来ました。
「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である」
言語化された、と思いました。
芥川龍之介による芥川龍之介のための言葉であることは分かっているのですが
私自身の中にある、なんだかよく分からない漠然としたものが、言語化されたように思えたんです。
「ぼんやり」という、一見めちゃくちゃ抽象的なこの言葉は、私にとっては、ぼんやりしたものをちゃんとこの目で見てぼんやりしていると言っているので、全然、抽象的ではないんです。
ぼんやりとしか言い表せない、的確な言葉だと感動したんです。
ダ・ヴィンチニュースさんでコラムを書くようになって気づいたのは、
巴奎依的にコラムを書くことは、文章を届けているという認識ではなく、自分自身と向き合ったその結果なので、どことなく殴り書きのメモに近いと思っています。
この自分自身に向き合うということは苦しいもので、向き合えば向き合うほどに、
空っぽで中身のない自分に気が付いてしまう。
叩いても乾いた音しか鳴らないような、空洞の自分と対面しなきゃいけない。
すべては中身を詰め込んでこられなかった私の責任なのですが、どんなに見つめても、理解をしようとしても、いつだって空っぽなので、どうしようもなく悲しくなるんです。
自分が一番、自分自身の空っぽ具合を知っているので
「最近どう?」とか、「最近何してる?」とか、そういう類いの質問が無性に怖い。
先日、友人との何気ない会話の中で「着飾ることしかしていないじゃん」と言われました。
これは全然、悪口とかではなく、ちゃんと私の本質を見抜いてくれている友人にものすごく感謝しているし、実際その通りなんです。
久々にストレートパンチを食らいました。
生きていく上で、各々の敵がいて
上司だったり、あるいは友達だったり、あるいは家族に敵がいたり。
私の場合はこの空洞の自分をやっつけるためにも、「唯ぼんやりした不安」と戦っていかなくてはならないんです。
ともえ・けい
2012年よりA応P(アニメ“勝手に”応援プロジェクト)のメンバーとして活動をスタート。2020年8月2日に、A応Pを卒業。現在、インターFMにて毎週土曜28:30〜「DJサブカルクソ女の音楽解体新書」にてDJ番組を担当、DJCD「A応P BEST DJCD PRODUCED by DJサブカルクソ女」をリリースするなど、「DJサブカルクソ女」としても活動中。社会不適合者(自称)。
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