昭和・平成を振り返って未来を見る――呉勝浩の新たな代表作が登場!『おれたちの歌をうたえ』《インタビュー》
公開日:2021/3/12
呉 勝浩
ご・かつひろ●1981年、青森県生まれ。大阪芸術大学卒。2015年に『道徳の時間』で第61回江戸川乱歩賞を獲得し作家デビューを果たす。受賞歴に『白い衝動』で第20回大藪春彦賞、『スワン』で第41回吉川英治文学新人賞及び第73回日本推理作家協会賞長編および連作短篇集部門。ミステリー界の次代を担う作家として期待される存在である。
吉川英治文学新人賞・日本推理作家協会賞を獲得した『スワン』に続く呉勝浩の最新作『おれたちの歌をうたえ』は、過去に遡る事件小説であり、謎解き小説の要素もあり、さらに教養小説としての側面も備わった、実に贅沢な娯楽大作だ。
「自作では過去最長です。その分量をどこまでエンターテインメントにできるかが勝負どころでした」
執筆のきっかけは、好きな作品と公言していた藤原伊織『テロリストのパラソル』への挑戦を編集者に提案されたことだという。1960年代の学生運動でドロップアウトした男が事件に関わることで自分の人生を取り戻していくという藤原作品の構造は、本作にも大きな影響を与えている。呉はここにスティーヴン・キング『IT』の骨格を加えた。
「少年時代に逃れられない悲劇が起き、仲間たちはばらばらになるが成人してもう一度集まる。そうした構成にすることを考えました」
物語は現代のパートで始まるが、第2章で回想が行われる。その舞台は長野県の旧真田町(現・上田市)である。そこで生まれ育った河辺久則と仲間たちは、過激派学生の逮捕に貢献したことから「栄光の五人組」と呼ばれていた。だが、ある豪雪の日に起きた出来事によって、運命を引き裂かれてしまうことになる。
「1972年のあさま山荘事件は学生運動の総決算ですが、報道映像を見ると雪が積もっていたという印象が強い。もともと、雪や雨が降っている場面が好きなんです。だから事件の現場に雪が必要だと思っていました。調べると、1977(昭和52)年に五二豪雪と呼ばれる大雪がある。ならばそのころ高校生という年代に主人公を設定しようと。そうすると事件がもう一つ動く1999(平成11)年には39歳で、と設定が符合していきました。『テロリストのパラソル』の作者である藤原伊織さんは学生運動の現場に実際立ち会われた経験がおありになる。それに太刀打ちするのは無理ですが、ならば現代から過去を振り返るという構造にしようと。主人公の目を通して、昭和52年、平成11年がどういう時代だったのかを考える。昭和・平成史を自分なりに書いてみようと考えました」
物語の舞台が真田町に設定されているのも、あさま山荘事件の現場から近いためなのだ。呉は現地を訪れて取材も行っている。
過去がなければ未来もない 歴史と向き合う主人公
運命に翻弄される者たちの物語である。雪は事件を生み出す背景であると同時に、個々人では逆らえない大きなものの象徴でもある。個人の存在を凌駕するものの一つが時代なのだ。プロローグでは河辺の祖父が従軍中に吹雪の中で出会った不思議な巨人の話をする。その予兆に導かれながら、物語は展開していく。
「河辺という主人公については、本当に作者の駄目な部分が反映されたキャラクターという印象ですね(笑)。私は事前に細かい履歴書を作らず、状況の中に登場人物を投げ込んでみて、その中で彼らがどのような行動をしていくのかを見ながら育てていきます。河辺は、内部に暴力衝動を抱えている人物です。私の中には、正義と暴力衝動とは密接に結びついているという感覚があります。「栄光の五人組」である河辺にも、当然そういう部分がある。書き出した時点ではほとんど話の内容は決まっていないけど、とりあえず河辺を投げ込んでみる。そこで作者自身を反映した彼がよく動いてくれたからこそ、物語の方向性がすんなりと決まっていったんだと思います」
学生運動の退潮が決定的だった昭和52年が舞台に選ばれたことと、主人公像は密接に結びついている。読者は、主人公の目を通して歴史と向き合うことになるのだ。
「それをするなら過去を描いても未来を感じさせないと呉勝浩の小説ではないな、という気持ちがありました。そういう思いもよく担ってくれた主人公だったと思います」
世代間の継承が一つの主題になっている作品でもある。栄光の五人組は、かつての担任教師であった「キョージュ」こと竹内三起彦を慕い、高校生になっても彼の家で寺子屋的な集まりを開いているという設定だ。そのキョージュが永井荷風信奉者であるというのが物語のいい薬味になっている。現在パートでも、河辺と行動を共にする茂田という若いチンピラが登場する。世代と世代の対話が基調になっているのである。
「継承されるのは必ずしもいいものばかりではなくて、幻滅してしまうような悪いものもあると思うんです。でも過去を切り捨てて現在はありえない。悪いものを引き連れて未来に行くしかないんです。それは自分の中にもともとあった考えなんですけど、茂田を書いているうちに、あ、お前はその部分を担うキャラクターなのかと気づきました。キョージュは、栄光の五人組を導くような大人として出した人物ですけど、永井荷風信者というのはほぼ直感で思いつきました。荷風の時代にはヴェルレーヌの詩が流行っていたんですが、彼も詩を翻訳している。そのヴェルレーヌの詩が重要な意味を持って、というように、自然な形で諸要素が決まっていきました」
自由に執筆することで物語は豊穣になっていく
物語を構成するために必要なピースが、向こうから飛び込んでくるような形で作者の元にやって来た。だからこそ『おれたちの歌をうたえ』は血肉を備えた小説になったのだろう。呉はプロットを堅固に決めず書き始めるタイプの作家だが、本作でもそうした執筆方針が貫かれている。
「初めは、誰が死ぬのかも決めてなかった(笑)。書きながら、なんか違う、こうじゃない、と行きつ戻りつしながら決めていく。非常にコスパは悪いんですが、これしかないという展開を書けたときの喜びがあります。第4章のラストなどはまさにそうでした。でもその時点で最終的な謎解きはできていないので、その後泣きながら真相を考えたわけですが」
すべてが見えない状態で置いた伏線、輪郭を決めずに出したキャラクターが成長し、後から作者に進むべき道を教えてくれる。自分で書いた文章に後押しされるような形で呉は物語を作り上げているのである。
「冒頭で読者に尻込みされると困るので、最初はゲーム感覚というか、虚構性が高そうに見える入口を準備する。それは意識的にやっています。ミステリーとしてのどんでん返しは、最初から秀抜なプロットを準備して書ければ素晴らしいとは思うんです。だけど、せっかくいいアイデアがあっても、もしかすると書いているうちにはまらなくなって、これはないな、って私は捨てちゃうかもしれない。やっぱり考えながら書くのが性に合っているんです。ミステリー作家としては我流というか、正統な教育を受けていないというか(笑)」
本作は書き下ろしだが、新型コロナウイルス感染流行が執筆時期と重なった。重要な箇所を書いているときに第一波がやってきて悲観的な気持ちになり、原稿を投げ出してしまいたい気持ちにもなったという。
「明日も見えないときになんで自分は過去の話なんて書いているんだろう、と思ってしまったんですよね。でも、気持ちが落ち着くにつれて、やはり未来を望むようになっていったんです。この小説も未来につながるものであってくれればいいと」
本書の密度・熱量は、そうした思いがあればこそなのかもしれない。呉勝浩の新たな代表作誕生である。
「この厚さなのに読んでそう思っていただければ本当に嬉しい(笑)。これまで以上に、読んだ方の声が聞きたい小説になりました」
取材・文:杉江松恋 写真提供・文藝春秋