胃壁に刻まれた暗号、28年前の〈折り紙殺人事件〉――。病理医が遺体から聞き取った想いとは? 知念実希人が贈る医療×警察ミステリー!
更新日:2021/3/14
医師の仕事と言えば、まず思い浮かぶのが診察と治療だろう。しかし、中には患者と直接顔を合わせることのない医師もいる。彼らは病理医。主な職務は、検査や手術で採取した細胞を観察し、病理診断を下すこと。例えば、採取した細胞が癌かそうでないか見極めるのも病理医の仕事だ。また、時には病死した患者の遺体を解剖することもある。基本的に患者と接することはなく、顕微鏡を覗き込んでいる時間のほうが圧倒的に長い仕事である。
知念実希人さんの新作『傷痕のメッセージ』(KADOKAWA)は、そんな病理医が活躍するミステリー。解剖した遺体からさまざまな情報を得るだけでなく、死者の想いをもすくいあげる病理医ならではの謎解きを堪能できる。
外科から病理部に出向した水城千早には、末期癌により余命いくばくもない父がいた。母を亡くしてからは、不器用な父・穣との間に壁が生じていたものの、なんとか歩み寄ろうと試みる千早。だが、心が通い合ったように感じたのもつかの間、穣は娘に対し、思わぬ言葉を投げつける。「たんに血が繋がっているからといって、親子になれるわけじゃない」──その翌朝、穣の容態は急変し、帰らぬ人となってしまった。
さらに、穣は「死亡が確認されたら、すぐに遺体を解剖して欲しい」という、不可解な遺言を残していた。戸惑いながらも父の遺志を受け入れた千早は、みずから病理解剖に立ち会う。そして、彼女は目の当たりにする。父の胃壁に刻まれた謎の暗号を──。
この時点で、心はガッチリ鷲づかみにされてしまう。穣は、なぜ親子の絆を否定するような言葉を突き付けたのか。胃の内壁に残された暗号は、何を意味するのか。冒頭からあまりにも魅力的な謎が提示されるうえ、かつて刑事だった父が追っていた28年前の〈折り紙殺人事件〉、当時と酷似した連続殺人事件まで絡んでくるため、ページをめくる手はもう止まらない。
さらに、事件を追う探偵役も実に魅力的だ。千早とともに謎に迫る病理医・刀祢紫織は、普段は寝起きのようにぼんやりしているが、病理解剖となると別人のように凛とする女性。キリッとしたスーツとヒールの高いパンプスという“正装”で解剖室に現われ、死者に敬意を捧げ、最期の声を聞き取ろうとする。同期とはいえ、最初は紫織に相容れないものを感じていた千早だが、共に事件を追うにつれ、ふたりの距離は徐々に縮まっていく。女同士で手を携え、ともに苦難を乗り越えるシスターフッド小説としても読みどころが多い。
さらにさらに、この作品は医療ミステリーでありつつ、警察小説としての側面もあわせ持っている。千早と紫織が独自に謎を追う一方、警察組織は過去の〈折り紙殺人事件〉と現在の連続殺人事件の関連性を調べていく。時に情報を共有しながらも、それぞれのやり方で真相に迫っていく過程はたまらなくスリリングだ。
さらにさらにさらに、事件を追うのが「天久鷹央」シリーズなどでおなじみの桜井刑事というのも、知念ファンにはグッと来るポイントだろう。ほかにも、知念さんの過去作品の登場人物が顔を覗かせており、クロスオーバーを楽しむことができる。初回特典の小冊子には、本書の主人公・千早、『祈りのカルテ』の諏訪野良太、『リアルフェイス』の朝霧明日香という純正会医科大学附属病院の医師トリオによる日常エピソードが収録され、広がる知念ワールドをより一層堪能できるはずだ。
このように『傷痕のメッセージ』は、1冊で多面的な楽しみ方ができる実に贅沢なミステリーだ。もちろん謎解きもひねりがきいているが(まんまと騙された!)、本作の醍醐味は過去と現在の殺人事件を犯したのは誰なのかという“犯人当て”だけではない。死者の想いを聞き取る病理医だからこそたどりつける結末が、深い余韻を残す1冊となっている。
文=野本由起