「河川敷」は“かせんしき”? ここぞという時に使える言葉の「教養」を鍛える一冊
更新日:2021/3/7
マナーが他人への心遣いだとすれば、教養は学問も含んだ一般的な知識といったところだろうか。ところが、しばしばマナーが教養と結びつき困惑することがある。手紙の時候の挨拶がそれで、昔は手紙一つ書くのにも神経を使い面倒に思ったものだ。今では信じられないかもしれないが、電子メールでも以前は時候の挨拶から始める人が多かった。しかし、新しい文化には新しいマナーが生まれるもので、携帯電話を使う機会が増えると、画面サイズや文字数上限から、挨拶は短いほうが良いとされるようになった。
140文字という字数制限のあるツイッターが現出した頃、見知らぬ人の投稿にリプライをしたら、初対面で挨拶しないのは無礼だと怒りの返信がきたのも懐かしい。でも普段そういった知識に触れないようになると、今度は面倒に感じていた難しい言葉を使う機会もほしくなる。教養をひけらかすようなことは愚の骨頂だとしても、遊んでみるのは悪くないのではないか。古風な言葉を使いこなせたら面白そうとも思い手にしたのが、この『いつも使わないけど、これが「教養」! ここ一番の国語辞典』(話題の達人倶楽部/青春出版社)である。
季節の「風」を、いくつ知っている?
本書は辞典を名乗っているだけあって、語句と短い解説のシンプルな構成だ。ただ、普通の辞典と違うのが、あいうえお順などではなく「共通点」のある語句を章ごとにまとめているところ。例えば「季節の日本語」の豊富さには、改めて驚かされる。
「東風(こち)」が「春に東から吹く風」というのは知っていたけれど、4月頃に南から吹く「穏やかな風」を指す「油風(あぶらかぜ)」というのは天気予報でも聞いた記憶は無い。初夏に吹く「新緑の間を吹き抜けてくる薫るような風」の「薫風(くんぷう)」は、爽やかなイメージで校歌の歌詞にでも出てきそうな言葉である。梅雨に入って吹く南風を「黒南風」と書いて「くろはえ」と呼び、梅雨が明けた後に吹く爽やかな南東の風は「白南風」と書いて「しろはえ」または「しらはえ」と呼ぶそうだ。月ごとの「○○の候」といった挨拶文の一覧も載っているので、特別な相手に使ってみてはどうだろう。
この漢字を「濁音」で読んだら間違い?
漢字辞典を引かなくても漢字変換が容易だからか、近年では難しい漢字を書けなくても読めるという人は多い。しかし間違った読み方で覚えている人のためにか、そのまま漢字変換できるように登録されている漢字も多い。
昔はアルコール中毒と云っていたのを現在は「依存」症と呼ぶが、本来の読みは濁らずに「いそん」が正しい(国語辞典には「いぞん」が並記されている場合も多い)。河川の敷地の「河川敷」も、広辞苑などの辞書では「かせんしき」を見出しにしているそうで、濁らないという。
茨城県は濁らない「いばらき」と読むが、筆者はかつて大阪府の茨木市は「いばらぎ」と読むというのを人から教えられたことがあったのだが、実はどちらも「いばらき」と読むのが正しいのだとか。
二通りの漢字が候補になる熟語の違いは?
漢字変換といえば、「肝腎」と「肝心」、「一攫千金」と「一獲千金」などのように、二通りの書き方のある熟語が表示されて、どちらを使うか迷うことがある。これは、役所や新聞社などでは原則として「常用漢字のみ」を使うため、本来の書き方を常用漢字に書き換えたからだそう。先の熟語では、後者が「代用漢字」を当てたものである。
「腎」と「心」なら、どちらも体には重要な臓器であるから意味が通じるのに対して、「つかむ」と読む「攫」を「獲(と)る」に置き換えてしまうとニュアンスが変わってしまい、本書でも「攫」のほうが「感じは出ている」というコメントが付いていた。同様に「慰謝料」と書くと「謝る」お金のように感じるが、本来は「慰藉料」と書き、「藉」には「いたわる」という意味があるそうで、これなどは戻したほうが良いのではないかと思う。
カタカナのままのほうが良い? それとも漢字にする?
本書には、日常的に使われるようになったカタカナ語の「反対語」についても載っていて、これが案外と難しかった。例えば、「アブストラクト」は分かるだろうか。「抽象」という意味で、反対はなんと「コンクリート」であり「具象」を意味する。「オリエント」は東洋を意味している馴染みのある言葉だけれど、西洋を「オクシデント」と呼ぶことなど実生活ではありそうにない。やはりカタカナ語は、漢字にしてもらったほうが分かりやすそうだ。
ところが世界の地名の漢字に目を向けると、どうもそう上手くはいかない模様。イギリスを「英吉利」と書くのは無理矢理感がスゴイし、エジプトを「埃及」というのは上手いけど失礼な気もする。せっかく覚えた言葉も使うさいには、TPOを弁えねばなるまい。
文=清水銀嶺