短歌入門にぴったり! 市井の人たちの生活がリアルにわかる「新聞短歌」が重要だったワケーー 穂村弘『あの人と短歌』
公開日:2021/4/3
10年ほど前から短歌を作ったり読んだりする面白さを覚えた筆者だが、ここ数年は多忙によりなかなか触れる機会がない。それでも出れば必ず買うのが歌人の穂村弘氏の本だ。穂村氏は短歌連作「楽しい一日」で第44回短歌研究賞、エッセイ集『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞、歌集『水中翼船炎上中』で第23回若山牧水賞を受賞。若い歌人たちにとっては憧れの存在だ。さらにはエッセイストとしても人気で、絵本の翻訳なども手掛けている。
まずは穂村氏の短歌を6首挙げてみる。先入観なしで、できるだけ軽い気持ちで読んでみて欲しい。
〈目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき〉
〈歯医者に行く朝などを、永遠に訪れないものの例として〉
〈包丁を抱いてしずかにふるえつつ国勢調査に居留守を使う〉
〈可能性。すべての恋は恋の死へ一直線に堕ちてゆくこと〉
〈オール5の転校生がやってきて弁当がサンドイッチって噂〉
〈ハロー 夜。ハロー。ハロー 静かな霜柱。 ハロー カップヌードルの海老たち。〉
短歌ってこんな書き方もあるんだ。こんなに自由にできるんだ。これなら自分もできるかも。そう思った人もいるだろう。特に、教科書の文語短歌しか知らなかった人には響くはず。筆者もそうだった。それは穂村氏が、大島弓子氏らの少女漫画のネームを、短歌に援用できないかと考えていたことと無関係ではあるまい。
本書『あの人と短歌』(NHK出版)は、『NHK短歌』テキストの人気連載「穂村 弘、対して談じる。」をまとめたもので、漫画家、ミュージシャン、ブックデザイナーまで、ジャンルもばらばらな16人たちとの対話が収められている。「短歌からひと、ひとから短歌が見えてくる」――そんな惹句そのものの通りの内容だ。
筆者がまず注目したのは、新聞に投稿される短歌について。エッセイストの酒井順子は「(自分は)詩心はないものの、一方で新聞短歌は好きです。市井の人たちの生活を覗き見る感じが楽しくて」と言う。酒井は、日本経済新聞にキスの短歌を大量に送ってくる読者がおり、どう向き合えばいいか戸惑ったエピソードを披露する。「日経」でキス…、ちぐはぐな印象だが、どんな人が創ったのか見てみたくなる。
穂村氏によれば、短歌は定型詩人が世界でいちばん多い国だそう。先述の新聞短歌もプラスに働き、なんとか生きながらえてきたという。新聞短歌がなければ、短歌はもっとマニアックでニッチな世界になっていたかもしれない。
あるいはもし短歌が現代詩のように純度が高く、人によっては高尚とも言われるようなものだったら、閉じられた世界に留まっていただろう。今の短歌は「生活をそのまま歌えばいい」というある種の了解のもとになり立っている。生活感を滲ませる短歌が多いことを示すために、本書でも取り挙げられた短歌を3首挙げてみる。
〈わが残生 それはさておきスーパーに賞味期限をたしかめおりぬ〉(潮田清)
〈魚肉ソーセージを包むビニール端の金の具を吐き捨てる夏〉(麻原遥)
〈ボールペンの先に小さく黒き玉のこして郵便局を出でたり〉(梅内美華子)
ちなみに本書の対談相手は、それぞれの分野で功成り名を遂げた人たちだが、その中にあって異端児的な存在と言えるのが「鳥居」という女性歌人。ネットで検索してみたらセーラー姿の彼女を視認できると思うが、とにかく波乱な人生を送ってきた人だ。
幼少時に孤児院、里親家族、DVシェルター、ホームレス生活を経験。小学校に通えず拾った新聞で字を覚え、数々の短歌賞を受賞した。偶然だが、ここでもまた「新聞」がキーワードになっている。彼女の短歌を本書から3首引用する。
〈思い出の家壊される夏の日は時間が止まり何も聞こえぬ〉
〈真夜中の樹々は切り絵のなりすましもう友もない私にやさしい〉
〈孤児たちの墓場近くに建っていた魚のすり身加工工場〉
正直、鳥居のプロフィールをどこまで詳細に書くかは最後まで悩んだ。『セーラー服の歌人 鳥居 拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語』(KADOKAWA)という評伝でも、彼女がいかに波瀾万丈の人生を送ってきたかが分かるが、そうしたサイドストーリーが作品を読む時に、時として鑑賞する際の邪魔にもなるからだ。
だが、ふたりの対談を読むと彼女の意図は明らかだと思える。穂村の影響で短歌を作り始めたという鳥居は、ひとりでも多くの人に短歌の面白さを伝えたい、と打ち明けているのだ。それならば話は早い。公の場にセーラー服姿で姿を現す彼女が、短歌界の外側にリーチする痛快かつ奇異な光景をもっともっと見てみたい。そう思ったのだ。
鳥居は2017年に「短歌界の芥川賞」といわれる現代歌人協会賞を受賞。一方本書では、彼女のような才能をさらにフックアップし、短歌に馴染みのない層に届くつくりになっている。特に個々の歌人の代表的な短歌が文中でちょくちょく挿まれるので、短歌へのひとつの入り口として機能することも考えられる。対談相手の詩人やミュージシャンが好きな人も、まずは本書を手に取り、短歌の深い森へ分け入ってみてほしい。
文=土佐有明