江戸に移住したらどんな暮らしが待っている? 現代人のための江戸生活手引書でタイムリップに備えろ!

文芸・カルチャー

公開日:2021/3/13

江戸移住のすすめ
『江戸移住のすすめ』(冨岡一成/旬報社)

 あるあるかもしれないが、過去にタイムスリップする作品では、まず現代の服装が奇異な目で見られ、主人公が現地の生活様式に戸惑いながらも少しずつ馴染んでいくもの。もしそこが江戸時代の江戸の町だったら、ネット検索しようにもスマホが使えるはずもなく、知恵も技術も体力も皆無な私など生きていける自信が無い。そんな、心配する必要も無い妄想をしていると面白い本を見つけた。それがこの、『江戸移住のすすめ』(冨岡一成/旬報社)である。著者の、「不便でやっかいな江戸暮らしを、むしろ楽しく過ごしていただけるように描きました」と述べつつも、「世の中が生きづらいのは昔からのことで、誰もがようやく折り合いをつけて過ごしております」という言葉には、なにやら先ほどの私の戯言が申し訳ない気持ちになる。

「住まいを探す」大家といえば親も同然

 さて、まずは雨露をしのげる住むところを見つけたい。賃貸情報誌どころか不動産屋すら見当たらない江戸での物件探しは、町人地から始めるそうだ。その「町人」であるが、本書によると幕府が町人として認めるのは「土地(沽券)を持っている地主・家持」に限られるという。現代で借家暮らしの私はもちろん、時代劇などに出てくる商人や、親方と呼ばれる職人なども、家や土地を持っていなければ町人ではないとは驚いた。

 とりあえず行く当てが無ければ、アパートに相当する長屋を訪れるのが無難。落語などで「大家といえば親も同然、店子といえば子も同然」という台詞があるように、上手くいけば面倒を見てもらえるかもしれない。何故なら当時の大家の実務は多岐にわたり、「不動産業、公証人、弁護士、民生委員」などを兼務し、そのうえで店子の身元保証から生活指導、病気や怪我での世話に冠婚葬祭の取り仕切りも含めて、一切合切を行なっていた。つまり大家さんと仲良くなることが大切で、本書には交渉の仕方はもちろん、当時の言葉遣いも載っているので参考にすると良いだろう。ただ、交渉のポイントとして「自分の身元を明らかにすること」を挙げているのが気にかかる……。

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「お金を稼ぐ」やってることはYouTuber?

 どうにか住む場所が決まったら、次は仕事探しである。バイト情報誌も職業安定所も無いけれど、「専門技術によって物をこしらえる職人の種類」は百をはるかに超えていたそうだから、なにがしかの親方のもとに弟子入りをして修業する道がある。ただし、現代のようにマニュアル化されていないし、親方の家に住み込みで飯炊き、掃除、洗濯などの下働きのうえ、5~6年経っても半人前扱いという世界である。住むところは得られて一石二鳥かもしれないが、メンタルがやられやしないかと不安になる。

 それが嫌なら、YouTuber(?)になる道もある。江戸には、「ほんの思いつきで商売をはじめる人」がけっこういたとのことで、紹介されているのがエンタメ感が強く、どれもYouTuberを彷彿とさせる。例えばこれ。猫の面をつけた5~6人の托鉢僧が「にゃんまみだぶつ」と唱えながら家々を回り、お布施をもらったら「おねこ!」と叫んで錫杖を鳴らしてから、皆で「にゃごにゃごにゃご」とパフォーマンスをしたという。

 他にも、顔に血みどろの化粧をして、二尺(約60センチ)ほどの紙で作った墓石を木枠の台座に乗せ自分の腰の前にくくりつけ、子供たちに出会うと墓石を前に倒して驚かせる。これを商家の前でやれば、「よそでやってくれ」と店の人が銭を渡してくれたのだとか。なんという、迷惑系YouTuber……。

「江戸前の食事を愉しむ」にぎり鮨は素手で食べる

 せっかく江戸に来たのだから、江戸前の本格的な寿司を食べてみたい。現代には、寿司を箸で食べるのを伝統に反すると糾弾するいわゆる“寿司警察”的な人がいるけれど、「江戸のにぎり鮨」はなるほど箸で食べるのには無理がある。なにしろ、現代よりも2~3倍の大きさがあって、「まるでおにぎりにネタをのせた感じ」というくらいだったのだ。

 なんでも第二次世界大戦の終戦当時に食糧難から米の配給が足らず、「シャリが小さい方が上品」なんて方便を持ち出して寿司屋が窮余の策で握ったのが現代のサイズだそう。ちなみに「すし」の漢字には、魚の漬物が酸っぱいので当てた「鮓」があり、保存食をやめて魚貝を酢で洗って飯にも酢を加えたのが「鮨」で、「寿司」の字は何事も縁起を担ぐ江戸っ子が屋号に書き入れて客を喜ばせたことに由来するというから、まさに江戸っ子という気もする。

 江戸といえば、一時期マナー向上のためにとテレビCMにまでなった「江戸しぐさ」なんて虚構の江戸文化が広まったことがある。そこで紹介されていたマナーの数々が、えらく現代的なことに違和感を覚えた理由が本書を読んでよく分かった。十年一昔という言葉を持ち出すまでもなく、文化は移ろいゆくものなのだ。江戸での生活の基本が案内されていた本書だが、著者としては祭礼や年中行事、物見遊山に名所巡りなど書き残したことがあるとし、続編の構想を練っている模様。私もぜひ、この読むタイムスリップを再び愉しみたい。

文=清水銀嶺