俳優・井浦新×教育者・田中博史対談──教師と役者、そして現場の教師に高く支持される「板書シリーズ」と役者の台本の共通点とは

暮らし

更新日:2021/4/16

井浦新さん・田中博史さん

 創業以来70年以上にわたり、小学校の先生向けの教育書を発行してきた東洋館出版社。中でも、2003年に誕生した『板書で見る 全単元・全時間の授業のすべて』(通称「板書シリーズ」)は、各教科のプロがビジュアルとともに板書の展開例、授業づくりのポイントを解説する同社の看板シリーズだ。授業の流れを見開きでわかりやすく整理しているため、多忙な先生がたから好評を博し、累計110万部を突破するベストセラーになっている。

 このシリーズを考案したのが、田中博史さん。山口県内の公立小学校、筑波大学附属小学校の教員、副校長を37年にわたって勤めあげ、退職後の現在は教師塾「授業・人」塾を運営する教育業界の重鎮だ。

 一方、俳優の井浦新さんは、2020年から「板書シリーズ」のイメージキャラクターを務めている。両親が小学校の先生とあって、幼い頃から先生がたの努力、苦労を目の当たりにしてきたという。

 そんなふたりの対談が実現。教師と役者の共通点、一般家庭でも役立つ「板書シリーズ」の活用法などについて、語り合っていただいた。

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両親が小学校教師だったので、家では先生の舞台裏も見てきました(井浦)

井浦新さん

井浦新さん(以下、井浦):僕は、教員教育にすごく興味があるんです。田中さんは教師を育てる塾をされているそうですが、教師にはどんな資質が必要なのでしょう。

田中博史さん(以下、田中):教育業界には、昔から「教師は五者であれ」という言葉があるんです。1つめは「学者」、2つめが子どもたちの心身をケアする「医者」、3つめが未来を語る「易者」。残る2つは何だと思いますか?

井浦:1つは「役者」ですか?

田中:さすがですね! 僕らが授業をする時、本当はわかっているのにわざとわからないふりをすることがあるんです。それによって、子どもたちから「先生、こうじゃない?」と考えを引き出すことができますから。ほかにも、子どもの心を惹きつける役者のような魅力が、教師には必要です。

井浦:残りの1つは何だろう……。

田中:「芸者」です。技を使って子どもたちを喜ばせるのも、教師の仕事と考えることもできるのだと思います。

井浦:すごく大変なお仕事ですね。「五者」のうちの1つを学ぶだけでも、人生を懸けたって足りないぐらいなのに。本当に奥が深い職業です。

田中:すべてを極めることはできませんが、多面性を持つことが小学校の教師にとっては大切なことだと思います。

──そもそも井浦さんが、教員教育に興味を持ったのはなぜでしょう。

井浦:僕の両親は、小学校の先生だったんです。学校ではそれこそ「五者」になろうとする先生がたの姿を見てきましたし、家庭では授業の準備をする両親の姿も見てきました。教師の舞台裏を知っている分、先生のことを多面的に見ることができたように思います。しかも、父はほかの先生がやらないようなオリジナルの教育方法を率先してやる熱血タイプ。行事を発案したり、クラスの課外授業に他校の僕を呼んでくれたり、新たなことにもチャレンジしていたんです。

田中:そうだったんですね。

井浦:例えば鮭の稚魚を放流する授業では、井浦家でイクラから育てていました。ある程度育ったところで父が学校に持っていき、子どもたちが放流していたようです。蚕から絹糸を取る過程を教える時には、繭になるまで井浦家で育てて。僕も学校帰りに桑の葉を取ってきて、幼虫にあげていました。

田中:それは楽しかったでしょう。お父さんは理科系がお好きだったんですか?

井浦:いえ、歴史が好きでした。古い神社を巡ったり、博物館に行ったりする時は、いつも僕を連れて行ってくれました。そういったフィールドワークをノートにまとめていたので、それを授業に役立てていたのかもしれません。僕もその影響を受けて、考古や美術に興味を持ちました。父の趣味を一緒に楽しめたのは、今思うとすごく大きなことだったなと思います。

 ほかにも、僕の学校が休みの時に、父が教えるクラスに1日だけ通ったこともあります。ドッジボールで一番になり、「井浦先生の子どもがすごい!」と噂が広がり、その日だけはスター気分を味わいました(笑)。夢のような体験でした。

──ご自身は先生になろうとは思いませんでしたか?

井浦:小学生の頃は、「お父さんみたいな先生になりたい」と言っていた記憶があります。ただ、中学に上がる頃にはスポーツ選手にあこがれて、教師になりたいという思いはどこかへふわーっとなくなってしまいましたが。

田中:我が家もそうでしたが、教師を親に持つと「先生ってこんなに大変なんだ」と思って、同じ道に進むのを避けるのかもしれません。特に小学校の先生は、ほぼすべての教科を教えますよね。それを毎日準備するのは、本当に大変なんです。

井浦:確かに、僕の両親も大変そうでした。間近でその姿を見てきたので、記憶に刻まれています。

「あと10分で授業」という時でも、この本を開けば準備できます(田中)

田中博史さん

──そういった多忙な先生がたをサポートするのが、「板書シリーズ」です。このシリーズが生まれた背景を教えてください。

田中:もともと教科書に即した教師用指導書はあったんです。でも、分厚いうえに表組みが多く、若い先生方が授業のイメージを具体的に持つことは難しいなと感じていました。こうした指導書を、すべての教科で毎日しっかり読み込むのはとても大変なこと。そこで、たとえ苦手な教科でも、そのページさえ開けば授業のイメージが湧くような教育書を作れないかと考えました。

井浦:それまでの指導書よりも、先生にとってわかりやすく、子どもたちにも伝わりやすいものを目指したんですね。

田中:本来あってはならないことですが、忙しくて授業の準備がどうしても間に合わないことってあるんです。「あと10分で授業に出なければならない」という時でも、この本なら見開き2ページだけ見れば大丈夫。できるだけシンプルで、なおかつ授業のイメージが湧くような本にしようとエネルギーを注ぎました。しかも、掲載しているのはすべての授業です。特定の授業だけを詳しく書くのではなく、各学年の全授業について流れと板書例を解説しています。その2点が、これまでの教育書との大きな違いです。

──「板書シリーズ」とあって、板書の実例がビジュアルで示されているのでわかりやすいですよね。中学高校では先生がポイントを解説したら板書を消していましたが、小学校では授業の最後まで板書を消さないものなのでしょうか。板書の重要性について、田中先生のご意見をお聞かせください。

田中:そもそも1枚の黒板に45分の授業の流れがわかるようにビジュアルに配置しすべてを収めるように書くという板書の技術は、日本の小学校教師特有の文化だと言われています。私は諸外国でも授業をしてきましたが、海外の先生は黒板がいっぱいになるとそれまで書いたものを消してしまうんですね。国内でも、中学校より上の先生は内容も多いためそういった傾向があるようです。でも、小学校の授業では、1枚の板書に45分の授業展開を構造的に収めることが重要です。僕が小学校の教師になった時にも、「授業が終わるまで、一度板書に書いたことは絶対に消すな」と言われてきました。授業全体の流れがわかるように板書していけば、授業中ちょっとぼんやりしてしまった子がいたとしても、黒板を見るだけでもう一度流れに戻っていけますから。

井浦:授業を理解するペースは、ひとりひとり違いますよね。僕は理解に時間がかかるほうだったので、わからないところをずっと考えているうちに、気づいたら板書が消されていることもありました。そうなると心が折れてしまい、それ以降の内容が頭に入ってこなくなるんです。板書を残してくれるのは、子どもにとって非常に重要なことだと思います。

田中:しかも、子どもの言葉を聞きながらその場で板書することが大事なんです。「僕が今気づいたことを、先生が黒板に書いてくれた!」と思えば、子どもたちも成就感を味わえますよね。あらかじめ模造紙を用意したり、電子黒板にポンと板書を映し出したりすることもできますが、それでは「なんだ、先生は最初から知っていたのか」と子どもたちが興ざめしてしまいます。

井浦:「僕が見つけたんだ」と喜びを味わうことが重要なんですね。

田中:おっしゃるとおりです。それに、小学生は集中力も長く続かないので、ただ教えているだけでは飽きてしまいます。でも、子どもだって面白いアニメやドラマなら、じっと集中して観るでしょう? 僕たち教師も、子どもたちが何に興味を持って、どう展開すると集中力や好奇心が継続するのか考えなければなりません。子どもたちが自分自身で道を切り拓いていると感じられるよう、教師が役者になることも必要なんです。「板書シリーズ」には、子どもたちの考えを引き出す質問の投げ方なども記しています。

「板書シリーズ」は役者にとっての台本のようなもの(井浦)

井浦新さん・田中博史さん

──「板書シリーズ」が刊行された時、先生がたの反響はいかがでしたか?

田中:まず全時間の解説がそろっていることが、とても喜ばれました。

井浦:画期的だったんですね。

田中:単元の内容によっては、「この教材を使うと盛り上がる。面白い見せ方ができる」という授業の実践報告はこれまでにもあったのです。でも、計算練習のように、大きな盛り上がりはないけれど絶対に必要な授業もありますよね。これまであまり紹介されてこなかった時間も含め、すべて網羅しようという教育書は画期的だったのではないかと思います。

──しかも、どの内容もすべて見開きで均等に解説しています。

田中:そうなんです。あまり詳しく書きすぎると先生がたも読み込むのに時間がかかってしまうので、毎日の授業の準備に使えるよう、どの授業も見開き2ページに収めています。とはいえ、この本はあくまでも授業のベース。先生がたには、自分なりのトッピングを大いにしてほしいと思っています。

井浦:僕もこの機会に「板書シリーズ」を拝読し、あらためて先生がたの大変さを痛感しました。全教科、全授業の準備をするには、1日24時間では足りないくらいですよね。僕は台本をもとに役を演じる仕事ですが、どれだけ準備しても不安がつきまといますし、完璧という状態はありません。どうすればベストな表現ができるのか、ギリギリまで、何なら本番中にも探っていくんですね。こうした不確かな表現の中で、台本は僕らが唯一すがれるもの。同じように、先生がたにとっては「板書シリーズ」がお守りのようなものではないかと思いました。

田中:そういった意味でも、教師と役者は共通するところがあるのかもしれませんね。

井浦:僕の場合は、どんなシーンの撮影であろうと監督がOKと言ってくれたら救われます。でも、先生がたはそうはいきませんよね。どれだけ準備して本番を迎えても、OKなのか、いまひとつだったのかという判断が返ってきません。孤独な戦いだなと思いました。

田中:僕たち教師の場合、OKを出してくれるのは監督ではなく子どもなんです。授業を終えた子どもたちが、「先生、面白かった!」「明日は何やるの?」と言ってくれればOKが出たのと同じことだと思います。ちなみに、井浦さんは台本に忠実なほうですか? それとも逸脱するタイプ?

井浦:僕は逸脱するのが好きなほうです。

田中:とはいえ、台本をどう変えてもいいわけではありませんよね。逸脱するにしても、どんな点に気を付けていますか?

井浦:破綻しないように、ですね。好き勝手やるにしても、限度や節度があります。作品の骨組みをしっかり体に染み込ませ、どれだけ逸脱しても最終地点は当初の目的地に戻るようにしています。

田中:そのあたりも僕らと共通していますね。僕が「板書シリーズ」を若い先生がたに使っていただく時には、「授業の目標さえ変わらなければ子どもたちの反応に応じて、どんどんアレンジしてください」と言うようにしています。そうでないと、先生がたの個性も発揮できませんから。

井浦:子どももひとりひとり個性が違いますしね。

田中:そうなんです。だからこそ、授業でも驚かされることがたくさんあります。僕は算数が専門なのですが、ある時、小4を対象に箱の展開図について教える授業がありました。解説書を見ると、「全部で66通りあるので、子どもたちに全部見つけてもらいましょう」と書いてある。でも、いざ授業を始めたら、子どもたちが「54通りしかない」と言い始めたんです。私は解説書を読んで準備していたので、「そんなはずはない」と思いましたが、子どもたちは口々に「いや、54通りが正しい!」と僕を説得してきました。その後、自宅で検証したところ、実は解説書のほうが間違っていることがわかりました。

井浦:へぇ、そうですか!

田中:その後は、解説書の記述もすべて変わりました。小学4年生が大人を超えたわけです。あの時、もしも「いや、そうじゃない。正解は66通りだよ。はい、授業はこれでおしまい」と言っていたら、大人は間違いに気づかず、子どもたちの考えを潰すことになっていたでしょう。「板書シリーズ」のような解説書を読んで授業に備えることは大切ですが、子どもの言葉を聞いて修正する勇気も必要だと思います。

井浦:大事な考え方ですね。教科書や板書がすべてではなく、その都度発見したことを取り入れて柔軟に更新していくことも必要なんですね。

田中:先生がたが、「板書シリーズ」にどんどん書き込みをしてくれるといいなと思います。使う先生によって、1冊1冊をオリジナルの「板書シリーズ」に成長させてほしい。教師教育をする中で、そう強く期待するようになりました。

わが子がどこでつまずくのか、「板書シリーズ」を家庭学習の材料にしてほしい(田中)

井浦新さん・田中博史さん

──井浦さんは、学校教育、特に小学校の教育に対して思うことはありますか?

井浦:先生がたが、自由にオリジナリティを発揮できる教育環境がどれだけ整っているのか気になります。かつては昭和の熱血先生が良しとされていましたが、今は行きすぎた教育だと言われることも。世の中が多様化していく一方で、家庭の中は画一化がどんどん進んでいるようにも感じます。僕の父も、情熱を持って力強く子どもたちに向き合うタイプでしたが、退職前の数年間はかつてのようにはいかなかったようです。父とお酒を飲んだ時にも、「僕が見てきたようなやり方でやっていく時代ではなくなった」と話していて。「求められなくなったなぁ」という言葉が印象に残っています。

田中:お父さんがおっしゃること、よくわかります。

井浦:これまで先生がたが主導していた個性的な教育が、単一化、画一化されていますよね。ちょっと変わったことをやると、「うちには必要ない」とご家庭から注意を受けることもあるそうです。先生と保護者のパワーバランスが変わったんでしょうか。それが、どれだけ先生がたが「五者」になるための妨げになっているのか心配ですし、自分自身も子を持つ親として気を付けなければと思っています。子どもを預けるからには、学校は先生がたが「らしさ」を発揮できる環境、子どもがのびのび成長できる場であってほしいので。

田中:素晴らしいご指摘です。おっしゃるとおり、今はどの学校でも教育が画一化され、足並みをそろえようとする傾向があります。先生自身も、個性を出すことに憶病になっているんですね。僕は井浦さんのお父さんと同じ昭和を生きてきた人間なので、比較的自由にやらせてもらって教師人生を楽しんできました。でも、今の若い先生がたは自分で自分を最初から制御してしまう方が多いようですね。

井浦:ああ、そうなんですね。

田中:僕は筑波大附属小学校に28年間勤務しましたが、その前は山口県の公立小学校で9年間教えていました。山口時代の半分は、全校生徒が40人ほどの山奥の学校にいたんです。僕はその当時の雰囲気のまま東京に来たので、とても自由にやらせてもらいました。6年生が卒業前に学校行事の思い出が残る農園に泊まりたいと言い出した時は、「よし、やろう」と一緒になって計画して。ご家庭によって「農園に泊まらせるのは不衛生」「夜、突然具合が悪くなったらどうするんだ」という声もあれば、「いや、どんどんやってくれ」という声もあり、大いに揉めました。そこで子どもたちにも意見を求めたところ、「どうしてもやりたい」「私たちが親を説得します」と言い出したんです。最終的には、医師になった卒業生も駆り出し、多くの方々のサポートを受けて実現させました。当時は管理職も面白がってくれて、「思い切ってやれ」と言ってくれたのはありがたかったですね。

 でも、今は先生がたが怯えてしまい、なかなか思い切った一歩を踏み出せません。管理職ももっと大らかに構えて、先生がたがのびのびとクラスを運営できる環境を作るべきではないかと思います。ただ、なかなか難しいところだという現実も感じます。どうしても画一化に向かう力が強いので。

井浦:先生がただけが悩んでも、解決しない問題かもしれませんね。自分への戒めも込めて、保護者が先生がたの表現を狭めないようにしなければと思いました。教育現場の主役は子どもたちです。子どもたちが学ぶうえでベストな環境を作れているのか、親も考えないといけません。保護者が理想を押し付けると、学校との関係、教育のあり方にねじれが生じてしまいますから。

田中:子どもたちも、10歳を超えれば我々と変わらないしっかりと意志を持って行動する子も増えてきます。彼らにもそれぞれの思いがありますから、実際には子どもたちがひとつにならないことのほうが多いんですね。それでも彼らが結束して「これをやりたい」と言い出したら、大人も「よし、わかった」と理解してくれると思うんですけどね。実際、そうなった時の子どもたちの力はすごいですよ。

井浦:先ほどのお話も、学園ドラマのようでした。

田中:本当に、ドラマみたいなことが起きるんですよ。僕が定年退職を迎える3月に、筑波小で最初に教えた卒業生たちが「先生の退職を祝う会を開きましょう」と言って集まってくれたんです。卒業生と一緒に懐かしい校舎を歩き、最後にホールの扉をバンと開けたら、そこには高校生から38歳までの全世代の教え子たちが集まっていて大変驚きました。

井浦:それは感動しますね。

田中:苦労は多いですが、それを上回る感動をもらえる仕事なんです。

──「板書シリーズ」は小学校の先生向けの教育書ですが、親御さんにも役立つのではないかと思いました。コロナ禍では、親御さんがお子さんの勉強を見る時間も増えているのではないかと思います。家庭での「板書シリーズ」の活用法、自学学習についてのアドバイスはありますか?

田中:すべての大人は、子どもだった時代があります。学校教育を受けてきた経験もあるはずですよね。でも、不思議なことに、子どもの頃に嫌だったことを大人になるとなぜかやってしまうんです。子どもの頃は「きちんとしなさい」「お行儀よくしなさい」と言われるのが嫌だったはずなのに、同じことを言ってしまう。子どもに判断をゆだねない。物事を上から教え込もうとする。そういう親御さんも多いと思います。

 だからこそ、「板書シリーズ」を読んでいただき、もう一度子どもの目線に立っていただきたい。そして、「自分は子どもの頃、こういう問題を解く時にここがわからなかったなあ」と感じる点について、お子さんと一緒に語り合ってほしいと思います。わが子がどこでつまずくのか、どんなことに困っているのか、「板書シリーズ」を家庭学習の材料にしていただけたらうれしいですね。さらに、もし可能であれば、先ほどお話しした「五者」のように親御さんが先に間違えてみせましょう。すると、子どもは「そうじゃないよ。こうすればいいんだよ」となりますから。このやり取りを楽しんでもらえると、豊かな時間を作れるのではないかと思います。大人はどうしても解説したくなりますが、それをどれくらい我慢できるかがポイントですね。

井浦:田中先生のお話をうかがって、教師って本当に想像力が必要なお仕事だなと思いました。想像力を持ち、常に広い視野で物事を考え、いろいろな準備をして実行する。そのお仕事ぶりに頭が下がります。

田中:相手を喜ばせるという意味では、井浦さんのお仕事と同じような気の遣い方なのではないかと思いました。今日お話して、僕も井浦さんから刺激を受けました。今日はありがとうございました。

取材・文=野本由起
撮影=田中淳子
井浦新さんスタイリング=上野健太郎
井浦新さん衣装=ジャケット3万5200円、パンツ2万2000円、シャツ1万7600円/すべてSteven Alan(Steven Alan Tokyo TEL:03-5428-4747)、その他スタイリスト私物
井浦新さんヘアメイク=山口朋子(HITOME)