『プリンセス・メゾン』の池辺葵、最新作の舞台は“ヒト型AI”と共存する近未来――AIは本当に人の仕事を奪うものなのか
更新日:2021/3/29
池辺葵さんの描くマンガにはいつも、明確な主人公がいない。もちろん物語なので、軸となる語り手はいるのだけれど、誰かひとりの強い力で、物語が進んでいくことはあまりないように思う。それは、池辺さんにとっての世界が、想いの連鎖で積みあがっているものだからではないだろうか。最新刊『私にできるすべてのこと』(文藝春秋)では、その、想いを重ねていく人たちのなかに、感情を持たないはずの“ヒト型AI”も加わって展開していく。
各話のタイトルは登場人物の名前。第1話の和音(わおん)は、いつも無表情のおかっぱ頭の女性。山の上にあるごみ処理場のあたりをふらふらしていたところを、水晶玉を覗き込んで目の前にないものまで覗き見る占い師・斗音(とね)おばさんに拾われた、らしい。それこそ水晶のような、特別な瞳を持つ和音は、斗音の営む喫茶まんぷくで働きながら、人々を観察している。〈彼らは怒ったり笑ったり泣いたりしながら キラキラと発光しつづけている〉。その所感を、通販会社で働く男性・田岡に送り続ける彼女の真意は不明だが、田岡を通じて、彼の同僚たちの日常も本作では描かれる。
愚痴が多くて、サボりも多いけど、顧客満足度がいちばん高いお人好しの電話受付係・リリィ。そんな彼女に茶々を入れながら見守る、フェミニンなマイペースボーイ・翔。山頂に捨てられたヒト型AIを使って何かを成そうとしている社長。社長のサポートをし続ける田岡……。彼らと、彼らに関わる誰かがヒトで、誰かがAIなのだけど、その判別を見た目ですることはできないし、じかに触れあい、接していても「ちょっと変わった人だな」というだけで、ほとんどのヒトは見抜くことができない。けれど仮に、見抜いたとして。命じられたことをこなすというよりは、ヒトのために何が最善かを考えて、自分にできるすべてのことを尽くそうとするAIたちの、いったい何が人間と違うというのだろう。
「僕らは記憶に感情をのせない」と、あるAIが言うけれど、使命を果たしたのならいつ廃棄されてもかまわないのだと淡々と告げる彼らには確かに、私たちの想定するわかりやすい感情はない。そんな彼らを、みずからの手で大量に生み出しておきながら、「人間の仕事を奪う」として片っ端から廃棄していく動きが、物語では描かれているのだが、自分都合で他者をふりまわし、感情はなくとも人格はある存在を抹消してしまおうとするその感情は、果たして、ヒトとしてあるべき姿と言えるのだろうか。
ヒトもAIも、役に立つという理由だけで必要とされるわけじゃない。その存在じたいに助けられ、自然と愛してしまうということが、きっとある。そしてその愛を守るため、自分にできるすべてを尽くして生きる姿を、命と呼ぶのではないかと思う。
誰もかれもが区別されることなく、手をとりあって生きる世界。優しくて美しいこの物語のような未来が、すぐそばに来ていることを、願ってやまない。
文=立花もも