父はなぜ胃壁に暗号を残したのか? 死者の思いに迫る病理医×警察ミステリー《知念実希人インタビュー》
公開日:2021/4/7
知念実希人
ちねん・みきと●1978年、沖縄県生まれ。日本内科学会認定医。島田荘司選 第4回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞し、2012年『誰がための刃 レゾンデートル』で作家デビュー。その他の作品に『祈りのカルテ』『ムゲンのi』『ブラッドライン』『優しい死神の飼い方』「天久鷹央」シリーズなどがある。
病院には、患者と直接会うことのない医師がいる。彼らは診察をしなければ手術もしない。主な仕事は、患者から採取した細胞や組織を顕微鏡で観察し、病理診断を下すこと。時には患者の遺体を解剖し、治療の妥当性を検証したり、医学の発展に役立てたりすることもある。医療現場に欠かせない縁の下の力持ち︱それが病理医だ。
「ミステリーでおなじみの法医学者は、犯罪に巻き込まれた方の死因を司法解剖によって究明します。一方、病理医が行うのは、病死された方の解剖。とはいえ、メインの仕事は解剖ではなく病理診断です。例えば、採取した細胞が癌かどうかを診断するのも病理医の仕事。外科手術を行うような総合病院には、多くの場合、病理医が常駐しています」
新作『傷痕のメッセージ』では、そんな病理医にスポットを当てている。現役医師である知念さんならではの着眼点が冴えている。
「病理医は、皆さんが思っている以上に大勢いらっしゃいます。ただ、患者さんにとっては存在すら見えず、普段何をしているのかまったくわかりませんよね。こうした職業の実態を知ることも、読書の楽しみのひとつ。病理医を主人公にして、その仕事をミステリーにうまく組み込めないかと考えたのがこの作品です」
外科医と病理医、真逆の女性コンビが事件に挑む
外科から病理部に出向した水城千早は、顕微鏡を覗いてばかりの仕事にうんざりする毎日。千早を指導する同期の病理医・刀祢紫織とも馴染めず、「早く外科に戻りたい」とばかり考えていた。そんな千早には、末期癌で入院中の父がいた。高校時代に母を亡くしてからは不器用な父・穣とどう接すればいいかわからずぎくしゃくしていたが、それでも折に触れて父の愛情を感じていた千早。だが、ある日見舞いに訪れた彼女に対し、穣は親子の縁を否定するような言葉を投げつける。そして翌朝、穣は帰らぬ人となってしまう。
悲嘆に暮れる千早だったが、思わぬ事態はさらに続く。穣は「死後すぐに、自分の遺体を解剖してほしい」という不可解な遺言を残しており、病理部で机を並べる紫織が執刀することになったのだ。普段は寝ぐせ頭にノーメイクの彼女だが、病理解剖となるときちんと化粧し、別人のようにキリッとしたスーツ姿で登場。その〝正装〟には、亡くなった患者と遺族に対する最大限の敬意、患者の最期の声を掬い上げたいという切なる思いが込められていた。
「近年は医療の発達にともない、病理解剖の件数も減っています。ご遺族だって、できれば遺体を解剖することなく安らかに眠らせてあげたいはず。にもかかわらず、〝医学の発展に役立つなら〟とボランティア精神から解剖に同意してくださるんです。私が医師として立ち会った病理解剖でも、〝ご遺族や患者さんの思いに応えよう〟〝疾患について学ばせていただこう〟という真摯な気持ちや敬意が病理医から伝わってきました。正装こそしませんが、実際の病理医も紫織のように敬虔な思いで解剖に臨んでいるんです」
解剖の結果、穣の体内から見つかったのは胃壁に刻まれたメッセージ。父は内視鏡で胃粘膜を焼き、暗号のような文字列を残していたのである。
「病理医を主人公にするからには、彼らならではの謎を用意したいと考えました。実際、内視鏡の扱いがうまい医師なら、簡単な文字を刻めるのではないかと思います。〝このくらいの文字なら書けるのではないか〟というギリギリのリアリティを出すため、作中に登場する暗号の文字列は私が書いています」
死の間際、父はなぜ千早を突き放したのか。そして、胃に刻んだメッセージの意味するものは。その謎を解くため、千早と紫織は胃壁の暗号を解読しようと試みる。性格も価値観もまったく違うふたりがひとつの謎に向き合ううち、不思議な連帯で結ばれていくのも面白い。
「外科医は、じっとしているよりもどんどん患者さんを治療したい体育会系気質。かたや病理医は、自分の世界にこもって細胞をじっと観察するタイプ。少々マニアックで不思議な人が多いように思います(笑)。千早と紫織は、典型的な外科医と病理医。まったく違う思想の持ち主がコンビを組んだほうが、小説としては面白くなるのではないかと考えました」
「天久鷹央」シリーズを筆頭に、さまざまなバディものを描いてきた知念さんだが、女性コンビを主役に据えるのは珍しい。
「女性のペアを書くのは、初めてじゃないでしょうか。しかも、彼女たちは探偵と助手という関係性ではなく、対等な存在としてお互いを補っていきます。違う性格、違う価値観を持つふたりですが、協力して謎に向き合ううち、徐々に友情が芽生えていくという形にしました」
警察視点を入れることで重厚かつリアルな物語に
千早を驚かせたのは、胃壁から見つかったメッセージだけではない。穣の死を知って訪ねてきた桜井刑事からは、父がかつて捜査一課の刑事であり、28年前に起きた幼児連続殺人事件、通称「折り紙殺人事件」を追っていたと聞かされる。さらに、父が亡くなったその日から、当時を彷彿とさせる新たな殺人事件が発生。過去と現在の事件について捜査する警察側の動きも、桜井の視点で語られていく。
「表の主人公が紫織と千早なら、裏の主人公は桜井刑事。彼らはそれぞれのやり方で真相に近づき、やがてふたつの道が重なり合っていきます。医療ミステリーでありながら、警察小説としても読めるような作品を目指しました」
警察側の視点を取り入れることで、物語の重厚感もぐっと増している。
「探偵が登場する推理小説は、どこか現実味が薄いところがありますよね。地に足のついた捜査で緻密に犯人を追いつめていく警察小説とは、リアリティに差があります。今回はシリアスな物語でもありますし、ふたつの視点を入れることで重厚かつリアリティが濃い物語にしようという思いがありました」
さらに、ちょっとしたお楽しみも用意されている。知念作品の愛読者ならすでにお察しのとおり、桜井刑事は「天久鷹央」シリーズなどにも登場する人物。ほかにも、おなじみの人物について語られたり、初回特典小冊子に他作品とのコラボ短編が収録されたりと、さまざまな形でクロスオーバーを楽しめる。
「いろいろな作品の世界観を統一させることで、読者に楽しんでいただければと思いました。自分も一読者としてそういう作品に出合うとうれしいので、おまけとしてこうした要素を取り入れています」
事件は二転三転し、千早と紫織、桜井刑事は各々の道筋から連続殺人犯の正体にたどりつく。それだけでは終わらず、千早と父をめぐる親子の物語も読者の胸を大きく揺さぶる。
「今回は連続殺人犯を見つけることよりも、千早の父がなぜ胃壁にメッセージを残さなければならなかったのか、亡き父が何を考えていたのかがメインの謎です。とはいえ、殺人犯をめぐる謎をおろそかにすると作品の質が落ちるので、その点にも意外性を持たせています。ミステリーで大事なのは、〝この先どうなるんだろう〟と常に興味を引き続けること。冒頭で作品の背骨となる大きな謎を提示し、それを解くための小さな謎が次々やってくるという構成、スピード感のある展開は、今回に限らず意識しています。物語に入り込み、最後まで一気に読めるスリリングなサスペンスミステリーになっているので、ぜひ多くの方に楽しんでいただきたいです」
取材・文:野本由起 写真:佐山順丸