身ごもった命を別の男の子として育てる…“共謀”から始まった夫婦の絆は「書くこと」。明治期の文壇を舞台に、手の届かないものを追い続けた2人の物語
公開日:2021/4/6
明治期の文壇は、男性中心社会だった。文芸同人誌を立ち上げるのは男性、そこに集まるのも男性。樋口一葉のような女流作家が現れることはあっても、成功例はごくわずかにすぎない。当時の女性は、家庭に入るのが当たり前。女性が小説を発表する場さえなかなか得られず、ましてや職業作家になるなど大それた夢だったろう。だが、そんな時代にあっても、「書きたい」という熱をたぎらせていた女性はいたはずだ。『共謀小説家』(蛭田亜紗子/双葉社)の主人公・宮島冬子も、そのひとり。「自由に伸びやかに文字を綴ってみたい」という切なる願いを抱いた少女は、数奇な運命に振り回されることになる。
当代きっての人気作家・尾形柳後雄(ゆうごお)にあこがれる17歳の冬子は、尾形の家で女中として働くことに。本来なら弟子入りして彼に学びたいところだったが、尾形は女の弟子を取らない。内弟子たちの輪に混ざりたいという羨望、20歳で婿を取るまでになんとか作家として世に出たいという焦燥を抱きつつ、雑用に追われる日々を送っていた。
それから半年後、尾形のもとに新たな内弟子・野尻権兵衛が現れる。優しく穏やかな野尻に、彼女はほのかな好意を抱くようになる。だが、ある時から野尻は「胸中に九つの鬼を飼う、修羅のような小説家」になる覚悟で、九鬼春明を名乗りはじめる。
いっぽう冬子もまた、胸中の鬼を目覚めさせようとしていた。ある日、彼女は筆が進まぬ尾形から、“手伝い”と称して恥ずべき行為を強要される。その後も尾形に呼び出されるたびに辱めを受け、ついには「小説の供物になってくれ」と畳に組み敷かれてしまう。だが、冬子は冬子で覚悟を決め、編輯者に自分を売り込んでもらう代わりに、尾形に体を差し出すことを承諾する。そんなふたりの行為を、障子の隙間から覗く目があった──。
尾形との意に染まぬ関係は続き、冬子は彼の子を身ごもってしまう。「すべて終わりだ」と絶望する冬子に対し、春明は“共謀”を持ちかける。「おれたちはお互いに利用し、支えあうことができると思うんだ」──真意がわからぬまま、冬子は彼と結婚し、授かった命を春明の子として育てることにする。
第一章を読んだだけでも、当時の女性が夢を叶えることの厳しさがひしひしと伝わってくるだろう。女性というだけで作家の弟子になれず、無名の女は作品を発表することも叶わない。そのうえ、尊敬する師匠からは非道な扱いを受け、妊娠したら郷里に送り返されてしまう。とはいえ、これは明治時代に限ったことではない。今だって、女性は入試や就職で門戸を狭められ、望まぬ子を妊娠して負担を負うのは女性ばかり。作中で描かれるのは遠い過去の出来事ではなく、現在と地続きの問題と言えるだろう。
現代以上に制約の多い社会だが、冬子はそれでも自分の足で立とうとする。彼女はけっして、時代の波に呑まれた哀れな女性でも、夫に愛されていない不幸な女性でもない。“書くこと”で内なる衝動を解放し、小説を介して夫と魂で結びついている。冬子の強さ、いびつながらも濃密な夫婦関係に眩しさすら感じるほどだ。
春明は、なぜ冬子に“共謀”を申し出たのか。誰にも触れさせない心の内側には、どんな鬼が隠れ棲んでいるのか。作品を貫く大きな謎も、終盤に向けて解き明かされていく。夫婦小説であり、女性の自立を描いた物語でありながら、サスペンスのようなスリルも感じられる。余談ではあるが、春明のダメ男っぷりも見逃せない。創作に行き詰まれば酒を飲んで暴れ、小説が書けなくなれば弟子に代作を書かせる。時に名作を生み出すこともあるのに、どうにも勢いが持続しない。どこまでも弱い男だが、崩れた色気が漂い、ふと手を差し伸べたくなってしまう。ダメ男好きのツボをぐいぐい押してくる絶妙な書きぶりに、著者の蛭田亜紗子さんもダメ男好きではと余計な想像を巡らせてしまう。
想像と言えば、作中に登場する人物のモデルについて考えるのも面白い。明治期の文壇を舞台にしているため、尾形柳後雄は尾崎紅葉、九鬼春明は小栗風葉など、一部の登場人物にはモデルがいる。当然ながら、冬子との関係はフィクションだが、「これはあの人かも……?」と当時の文壇と照らし合わせながら読むのもおすすめだ。
“共謀”から始まった夫婦は、近づいては離れを繰り返しながら年を重ねていく。手の届かないあこがれを追い求め、あがき続けたふたり。けっして一般的とは言えない、いびつな夫婦。それでも、ふたりは幸せだったに違いない。ラスト1ページを読んで、そう確信するとともに、ふたりを包む陽射しの眩しさに目を伏せた。
文=野本由起