毎日が同じ服、同じ献立の男性。その理由は1日10枚の“意思決定カード”/がんばらない戦略④
公開日:2021/4/18
『がんばらない戦略』から冒頭部分を全7回連載でお届けします。今回は第4回です。
がむしゃらに働く人生から脱却し本当に必要な努力に注力できる自分に変われる新時代の人生戦略の指南書が登場! これからの時代に大切なのは「がんばらない努力」を身につけること。子供の頃からやる気だけは人一倍だったのに、何をやっても結果が出なかった著者。しかし、ある日を境に人生が大きく変わった――。
STAGE1 とりあえず同じ服ばかり着てる男
ミサキは電車に揺られていました。
ザ・ブルーハーツの歌みたいに、裸足のまま列車に乗ったのです。
いや、裸足というのは、そんな気分というだけで実際は、靴くらいは履いていました。
でもポケットに財布を突っ込んだだけで他に荷物らしい荷物もなく。
両手が空いているというのは身軽といえば身軽ですが心細いといえば心細い。
電車の窓から差し込む日差しは心にあたたかく、しかしながら目には眩しい。
ありがたいような、ありがたくないような、そんな時間が線路の上を滑っていったのです。
「次はガンバラン王国~ガンバラン王国~」車内のアナウンスが流れます。
はじかれるように立ち上がり、ミサキはドアの前に立ちました。
車窓を流れる風景が、だんだんとゆっくり、ハッキリ見えてきます。
そしてなんのへんてつもないホームに電車は止まりました。
プシュッと扉が開くとミサキは右を見て左を見てあたりに誰もいないことを確認。
そしてピョンッとジャンプしてホームに降り立ちました。
だってもし誰かいたら、ピョンと電車から降りるのはちょっと恥ずかしいですからね。
「ここが、噂のガンバラン王国」
ミサキはあたりをぐるりと見渡して、冒険のはじまりを感じ、そして途方に暮れました。
同じ立場ならきっとあなただって、そうなると思いますよ。
名前くらいしか知らない街に一人でやってきたらなにをしていいか困ってしまうでしょう。
たとえば絶景がありがたいのは、テレビや雑誌で絶景の情報を先に見ているからです。
仮に、なにも知らない外国人が箱根の仙石原を通りかかったとしましょう。
それはきっと、ただのススキの原っぱです。
もし宇宙人がダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を知らずにルーブル美術館を歩いていたら?
他の絵と同じように「ふーん」といった感じで素通りするでしょうね。
余談が過ぎたようです。
ピッと改札を出ると、ミサキは駅前のロータリーで思わず立ち止まりました。
「鳥たち」
そう、ガンバール国と違って、この国の空では鳥たちが思い思いに歌を歌っています。
鳥たちと競うかのように駅前のベンチでギターを鳴らして歌っている人間もいます。
ガンバール国ならみんなスマホを覗き込みながら歩いているのに。
ここでは人々がおしゃべりをしながら、あるいは一人でも楽しそうに行き交うのです。
「なにかが違う、違い過ぎる」
ミサキはその様子から目が離せなくなりました。
「なんて楽しそうなんだ、なんて楽しそうなんだ」
ミサキは立ち止まったまま、ただただ駅前の風景を見つめていました。
大人も子どもも、男も女も、太っている人も瘦せている人も。
モジャモジャな人も薄毛の人も、杖をついたおじいちゃんだって。
みんなスキップしてるみたいに足どりも軽やかです。
「どうしてなんだ、なんでなんだ、うちの国とは違うよ、全然違うよ。
なんでうちの国ではみんなスマホばかり見てるんだ。
なんで時間がない時間がないなんて焦って、あれもこれもとほしがってるんだ。
よし、やっぱりここだ。ここでガンバってなにかを学んで帰ろ……イテッ」
一人で興奮していると誰かがぶつかってきました。
「あ、ごめんね」
振り返ると、黒いセーターにメガネの男が、申し訳なさそうにしています。
「いや、考えごとをしててね。でも君も駅前でボーッと突っ立ってたら正直、邪魔だよ」
「邪魔……ですよね、すみません」
どうやら率直な人のようです。
「で、こんなところに突っ立ってなにしてるの?」
「え、あ、はい、ガンバール国からきました」
「ガンバール国から? あの、みんなが宗教みたいに、ガンバることこそ素晴らしいと信じてるっていう、あのガンバール国から?」
「そのガンバール国です」
「ここは真逆の国だよ、誰も無駄にガンバるようなことはしない。
君たちの考えとはきっと全然違うんだ。合わないから帰った方がいいよ。なにしにきたの」
「それがその~」
そのとき、グゥ~~~とミサキのお腹が鳴りました。
二人はなんだかバツが悪くて目を見合わせて笑いました。
「とにかくお腹が空いてるようだね。僕の家にくるといい。お昼をごちそうしよう。話はそれからだ」
思えば朝ご飯も食べずに、ザ・ブルーハーツ気分で飛び出してきてお腹がペコペコです。
「でも」
ミサキは考えました、もしもこの黒いセーターの男が悪い人だったら?
せっかく新しい価値観を学ぼうというときに犯罪にでも巻き込まれては、たまりません。
家出はしたけれど、もちろん無事に家には帰るつもりなんですから。
「せっかくですが、知らない人の家に行くのは危険だと教わりました」
ミサキがおずおずと断ると、
「本人を前に、言うよね~」
と黒いセーターの男は笑い、それから、
「家族と一緒に暮らしているから、家の前まで見にきて入りたかったらどうぞ」
と言ってくれました。
ついていくと奥さんと小さな子どもたちが出迎えてくれました。
なにより家の中から美味しそうなパンの焼ける匂いがしてきます。
ミサキは家に入れてもらうことに決めました。
あんまりお腹が空いていたからでしょうか。
「お邪魔します」と言うところを「いただきます」とドアをくぐったこと。
あえて広げずさらりと書いておきましょう。
黒いセーターの男の家は、公園のそばにある3階建のアパートの3階でした。
リビングに通されると大きな窓に青い空に、洗濯物がはためいているのが見えました。
勧められた椅子に腰かけ、見るともなく部屋を見回すミサキ。
気持ちのいい風が入ってきます。
パンの焼ける匂いに気持ちがふわふわと漂います。
もう一度ベランダに目をやると、ミサキはあることに気づきました。
洗濯物はどれも黒いセーターとデニムのパンツばかりです。
大人の洗濯物も、かわいい小さな洗濯物も。
行儀よく並んで干された黒いセーターと、デニムパンツ。
それでハッと目を移すと、黒いセーターの男は、黒いセーターとデニムパンツ。
その奥さんも黒いセーターとデニムパンツ。
そして子どもたちも黒いセーターとデニムパンツ。
いま風に言うなら、いわゆる「おそろコーデ」です。
「あの~、今日はなんでお揃いの服なんですか?」
ミサキは尋ねました。
「今日だけじゃなくて、毎日この服装なんだよ」
と黒いセーターの男が、自分の着ている服を見せながら言いました。
「僕だけじゃなくて、家族もみんなこの服にしてるんだ。ほら、見てみる?」
男は別の部屋にミサキを案内して、クローゼットを開けて見せてくれました。
黒いセーターとデニムがズラリと並んでいます。
それを見たミサキは、漫画『おぼっちゃまくん』の1シーンを思い出していました。
主人公の御坊茶魔は大財閥の息子なのにいつも同じ服装です。
不思議に思って友人が尋ねてみると?
茶魔専用の大広間のようなクローゼットに同じ服が3000着ズラリと並んでいるではありませんか。
「なんで同じ服ばかりこんなに?」
ミサキが尋ねると、黒いセーターの男はドヤ顏で答えます。
「人間ってね、本当になにかを決める集中力って、一日に10回分しかないんだよ」
「10回?」
ミサキはなにを言われているのかわからず、キョトンとしています。
「言いかえるとね、これをやろう、これにしよう、と“意志決定”に使えるカードは、ほんとは一日10枚しか与えられてない、ってこと」
「そうなの?」
「三枚のお札って昔話知らない? 追いかけてくる山姥に三枚だけ魔法のお札が使えるって話。あれみたいなもんなんだよ。ほんとに自分で決められるのは一日10回」
なるほど、もしそれが本当だとしたら自分の生まれ育ったガンバール国はどうだろう?
黒いセーターの男はしゃべり続けます。
「だからね、本当に決めなきゃならないことのために、決めなくていいことを僕は、自動化しておくんだ。朝、なにを着ればいいのか、なんてことに、貴重なカードを使いたくないからね」
そういえばアメリカのオバマ元大統領も、グレーか青色のスーツしか着ないことで有名です。
Apple 社のスティーブ・ジョブズも、黒のタートルとジーンズがお決まりのスタイル。
Facebook のマーク・ザッカーバーグも、グレーのTシャツに黒のパーカーでおなじみ。
アインシュタインも同じスーツを何着も持っていたとかいないとか。
あぁ、あれ、三枚のお札理論だったの? 日本の昔話と同じ?
黒いセーターの奥さんも口を挟みます。
「朝、なにを食べればいいか、なんてことにもカードを使う必要はないと、私たちは考えているんです」
そう言われて、ミサキは思い出していました。
朝、起き抜けにお母さんから「朝はパンにする? ご飯にする?」と聞かれる鬱陶しさを。自分のために聞いてくれてることはわかってます。
でも正直、そこはミサキにとって、どっちでもよかったのです。
お母さんが自分で決めるのが面倒だから聞いてくるのではないか疑惑。
黒いセーターの奥さんは続けます。
「だから、うちは毎朝、ご飯と味噌汁と卵焼きにお漬物。お昼はね、はいできましたよ」
クロワッサンがテーブルに並びました。
焼きたてのパンの甘い匂いに、カリカリベーコンの香ばしい匂いが食欲をそそります。
「お昼はクロワッサンにベーコンとポテトサラダ、それにスープで決まりなんですよ。
こうして決めておけば買い物だってラクだし、クロワッサンの生地は週末につくって冷凍しておけるんです。その分、夜はなにをつくろうかなって毎日、楽しみでね」
黒いセーターの奥さんは、スープの湯気の向こうで笑っています。
「でも」
ミサキは聞きたくなりました。
「そんなのつまらないって思いませんか? 毎日、同じ服を着て、毎日、同じものを食べて過ごすなんて、自分はちょっと考えられません」
「本人を前に、言うよね~」
黒いセーターの男は駅前と同じセリフです。
「すみません」
「いいの、いいの。10枚のカードの使い方こそ、その人の人生だと僕は思うから。おしゃれしたい人はおしゃれに使えばいいんだよね、そのカードを。食べるのが好きな人は、食べることに使えばいいじゃない。僕は雑誌の副編集長だから、どんな企画を通すとか、この特集をやろうとか、そういうことに10枚のカードを使いたいんだ。だから服とか食べるものとかに10枚のカードを、なるべく使わないように自動化してるんだ」
「でも」
ミサキはもっと聞きたくなりました。
「10枚って言いますけど、ほんとは10枚じゃないでしょ。だってガンバール国では、みんな朝からご飯はなににしよう、脱いだパジャマは洗うかどこかに置いておくか、服はなにを着よう、靴はなにを履こう、電車は何分なら間に合うか、いっぱいカードを使ってるけど、ちゃんと夜まで判断して生きてるんだから」
黒いセーターの家族は、目を見合わせて「ふふふ」と笑いました。
「それって疲れない?」
黒いセーターの男が問いかけます。
「朝から晩までたくさんの小さな判断をして、一日を振り返ったとき、疲れてないのかなぁ。それに今日はこれをやったなーって充実した気持ち、どのくらいあるのかなぁ。僕に言わせりゃそれは10枚のカードを散り散りに破いてちょっとずつ使ってるようなもの。破いて小さくなればなるほどその判断の価値って下がらない?」
「ガンバール国のみんなは、判断に疲れてる、ってこと?」
ミサキは、いただきますを言って、クロワッサンにかぶりつきました。
腹ペコのミサキにとってそれはとても美味しくて。
そんなときは、食べ物をくれた人の言うことがなんでも正しく思えてくるもので。
「人は、もぐもぐ、判断に、もぐもぐ、疲れてるってことですね、もぐもぐ」
「そうそう、もぐもぐ。あのねー、『サラメシ』って番組、そっちでもやってる? もぐもぐ」
「あ、やってますよ、もぐもぐ」
「あの番組にさ、もぐもぐ、“あの人も昼を食べた”ってね、亡くなった偉人たちの昼ご飯を紹介するコーナーがあるんだけどさ」
「ありますね、好きです、もぐもぐ」
「もぐもぐ、あれ見てるとなにか成し遂げた人たちってさ、もぐもぐ、けっこうみんな同じ店で同じもの食べてるなってことがわかるんだよね、もぐもぐ。意志のカードを自分の仕事にさ、もぐもぐ、使ってたんじゃないの?」
「そういえばそうですね、もぐもぐ。これ美味しいですね奥さん」
「そのポテトサラダのレシピは昔、『ママモコモ』で笠原さんがやってたのよ、もぐもぐ」