バイトを始めた喫茶店の店長は…なんと同級生の男の子!? 天真爛漫な女子高生と推理力抜群の店長が日常の謎を解き明かす、青春ミステリ!/チェス喫茶フィアンケットの迷局集①

小説・エッセイ

更新日:2021/4/21

チェス喫茶フィアンケットの迷局集
『チェス喫茶フィアンケットの迷局集』(中村あき/双葉社)

 珈琲とチェスを楽しむ喫茶店「フィアンケット」。そこでバイトを始めた高校生の柚子子と、クラスメイトにして代理店長の世野が、不可解な謎を解き明かしていく“日常本格ミステリ”。天真爛漫な柚子子と冷静沈着な世野の凸凹コンビっぷりに、思わず胸キュン!? 〈第3回双葉文庫ルーキー大賞受賞作〉

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 確か小学校に上がる直前だったかと思う。叔母さんに連れていってもらった喫茶店のことを今も覚えている。

 海外で暮らす橘子(きつこ)叔母さんはあたしにとって憧れの人だった。彼女が帰国する度にあたしは会いたいとせがみ、家に遊びに来た時はカルガモのようについて回り、日本を発つ頃には決まって一緒に行きたいと駄々をこねて親を困らせた。それを見かねた彼女がいつか、「あなたの街にも素敵なところがある」とあたしを連れ出したのだ。

 駅前の大通りから一本路地を折れ、さらに小道に入った一角。そこに小さなお店はひっそりと佇んでいた。壁はレンガ調に塗り込められ、まるでチョコレートのよう。ところどころに這う蔦が幻想的で、街中にありながら森の中で長い年月を経てきたかのような雰囲気があった。戸口には木枠に黒板をはめ込んだ看板が立て置かれ、『フィアンケット』という店名が添えられていた。

 叔母さんに促されて店内に入ると、あたしは不思議な光景に目を見張った。その喫茶店には全てのテーブルに小さな人形が並べてあった。様々な色や形がある。のっぽな人形もあれば、ずんぐりとした人形もある。立派な兵隊や騎士がいたかと思えば、何やら戦車をかたどったようなものまで。どうやら何組かでひとそろいになっているようで、それらは整然と決まった順番に整列していた。

 店内にはあたしと叔母さん以外にも、数人のお客さんがいたけれど、みんな差し向かいに座ってその人形を交互に置き直していた。店内の明かりはしっとりと薄暗い。テーブルの上だけが賑やかに輝いて、まるで秘密のお祭りみたいだった。

 ドアベルの音に気づき、エプロン姿の男の人が顔を上げた。それは髭をたくわえた優しそうなおじいさんだった。このお店のマスターのようだ。すぐにこちらにやって来て、あたしたちを席に案内する。

 並んで歩く途中、あたしはおじいさんマスターの足元に、自分と同い年くらいの男の子がぴったりくっついているのに気づいた。けれど、あたしが話しかけようとすると、彼はさっとどこかに隠れてしまった。

 あたしと叔母さんは案内された席に横並びに座った。ほどなくして、マスターが注文の品を運んでくる。叔母さんがコーヒーで、あたしがメロンソーダ。叔母さんは注文した品を受け取ると、そのままマスターに正面の席に座るように促した。マスターは店内の状況を見やった後、少し照れたように髭をこすりながら腰を下ろした。

 それから二人は交互に人形を操り、テーブルの上に自由に彼らを解き放つ。あたしは身を乗り出し、夢中になってその光景を眺めていた。一体どんな法則や規則に従って、二人が人形を扱っているのか見当もつかなかった。それでも踊るように卓上を行き来する人形を眺めているだけであたしは心底楽しかった。

 時間はあっという間に過ぎ去り、いつしか窓の外では陽が傾いていた。あたしは叔母さんが立ち上がってからも、しばらく卓上の人形を眺め続けていた。つやつやと輝くそれらはなんだか不思議な魔力を宿しているようだ。

「ほら、帰るわよ」

 叔母さんの呼びかけに生返事をし、あたしも渋々立ち上がった。

 その瞬間、魔力に魅せられてしまったのだと思う。

 まるで吸い寄せられるように、並べられた人形の一つに手を伸ばして――。

「――だめ!」

 あたしは知らず立ち上がり、叫んでいた。

 白昼夢のような過去の記憶、そこから現実へと戻ってきたのだ。

 そう自覚すると同時に視覚の情報が一気に脳へと流れ込む。

 あたしが今立っている場所は学校の体育館だった。けれど、見慣れた中学校の体育館じゃない。辺りを見回すと椅子に座ったたくさんの人、人、人。

 立っているのはあたしだけ。そのあたしは今、真新しいセーラー服とぴかぴかの上履きを身にまとっている。

 とてつもなく、嫌な予感がした。

 意を決して正面のステージに視線を戻すと、そこにはでかでかと『深瀬高校入学式』の文字。

 ――ああ、やっちゃった。

 あたしはくずおれるように椅子の上に不時着した。

 ほとんど腰が抜けるような格好だった。

 その時。 

「よほど話が退屈だったようです」

 響いた声。壇上に立つ男の子が話しているようだ。会場にはようやく気が抜けたような笑いが広がった。

 一瞬、彼の視線があたしを捉えた気がした。

 だけどそれは本当に一瞬の出来事で、すぐに彼は優雅な所作で一礼する。

「長々と失礼しました。以上で新入生代表のあいさつを終わります」

<第2回に続く>