高校の入学式で大失態!? 思い切って隣の男子に声をかける主人公・柚子子(ゆずこ)だったが……/チェス喫茶フィアンケットの迷局集②

小説・エッセイ

更新日:2021/4/21

チェス喫茶フィアンケットの迷局集
『チェス喫茶フィアンケットの迷局集』(中村あき/双葉社)

 珈琲とチェスを楽しむ喫茶店「フィアンケット」。そこでバイトを始めた高校生の柚子子と、クラスメイトにして代理店長の世野が、不可解な謎を解き明かしていく“日常本格ミステリ”。天真爛漫な柚子子と冷静沈着な世野の凸凹コンビっぷりに、思わず胸キュン!? 〈第3回双葉文庫ルーキー大賞受賞作〉

――あたし、小坂柚子子(こさかゆずこ)の高校生活はこうして幕を開けることとなった。

「こととなった、じゃないよ。まったく……」

 セルフツッコミ、からの自己嫌悪。あたしは教室の隅の席でちぢこまり、静かにうなだれていた。

 入学式が終わると、ほどなくして新入生はクラスごとに教室へ移動となった。この後担任の先生がやって来て、最初のホームルームを取り仕切る手はずになっている。

 先生の到着を待つ間、教室内はがやがやと新鮮なざわめきに満ちていた。にもかかわらず、あたしの周りだけ、エアポケットのように空気が沈滞している。

 席が窓際の一番後ろということも多少関係しているかもしれない。けれど、主たる要因は分かりきっていた。さっきの失態だ。やばいやつと思われて、周囲から遠巻きに様子をうかがわれているのだ。

 あたしはますます肩を落とした。ただでさえ引っ越してきたばかりだから、悪目立ちしないように気をつけようと思っていたのに……。そんな矢先、早々にやらかしてしまった。

 居眠りをしただけならまだよかった。いや、よくはないけれど、取り返しはついたと思う。だけどよりによってあんな夢を……。

 思い当たることなら、あった。

 この街に来てからずっと胸の奥にわだかまっている。あたしが一歩を踏み出せずにいるからだ。だからこんな――。

 がたり。

 隣の席の椅子が引かれた音がして、あたしは内に向かう意識を引き戻した。

 あれ、隣、今まで空席だったのか。そんなことにも今気づいた。

 ――この人に話しかけてみよう。

 あたしは決心する。えいっと顔を向け、そこで思いがけず心臓が飛び出そうになった。

 隣の席にいたのは、先ほど壇上で新入生代表のあいさつをしていた男の子だった。

 近くでよく見ると、なんていうか――こちらがちょっと後ずさりしそうになるほど美形の男の子だ。事実あたしは二センチくらい身を引いたと思う。すっと通った鼻筋、薄いけれど形のいい唇、少し気だるげな目には長い睫毛が添えられて。長身でスタイルもバツグン、さらっさらに輝く黒髪にいたっては反則級の美しさだった。

 加えて、新入生代表スピーチを務めたということは、入試の成績がトップだったということだ。天は平気で二物、三物を与える。この世はまったく不公平――。

「あ……こ、こんにちは」あたしは口をぱくぱくさせて、ようやくそんな一言目を絞り出した。「あの、先ほどはお見苦しいところを……失礼しました。あたし、小坂柚子子っていいます。隣の席なんてびっくりしちゃった。けど……これも何かの縁だよね。実はあたし、引っ越してきたばかりなんです。よかったら、お友達になってもらえませんか、なんて……」

 そう言って右手を差し出してみる。

 彼はこちらに顔だけ振り向けた。あたしの手をちらと見て、それからあたしの顔へと視線を戻す。彼の顔立ちはすごく整っているけれど、なんだかそこに表れるはずの感情の色が薄くて、どこか不安になる。涼しげな目元を通り越し、冷たくて寒々しいくらいだ。

 しばしの沈黙の後、彼は口を開いた。

「――うっとうしい」

「は、え」

 最初は何を言われたのか分からなかった。

 何度か反芻して言葉の意味を理解した後も、しばらくこの現実を素直に受け入れることができなかった。

 手を差し出した状態で固まる。彼はもうこちらを見てさえいない。

「あの」

 それでも食い下がろうとするあたしに、彼は食い気味に言った。

「朝から全校生徒の前で話して疲れてるんだ。のんきに居眠りしてた奴と違って」

 ……そっか。そりゃそうだよね。

 自分が一生懸命話している最中に、目の前で寝息を立てられたら腹も立つだろう。挙句寝ぼけて大声を出し、スピーチの邪魔までする始末。今回の件は全面的にあたしに非がある。

 弁解する気はなかった。それでも少しは謝罪の気持ちが伝わるようにと思って、あたしは頭を下げた。

「ご、ごめんなさい。昨日は緊張してうまく寝つけなくて、それで……」

 彼にぴくりと反応があって、手応えがあったことにほっとする。だけど――。

「はっきり言わなきゃ分からないか?」それは追い打ちだった。「目障りなんだよ。その手も邪魔だから早く引っ込めろ」

 な――!

 そこまで言うか!?

 あたしは思わず立ち上がっていた。

「ちょっと! いくらなんでも失礼じゃない!?」

 その時、

「なんだ。どうした」

 割って入る高い声が教室の前方から飛んできた。

 近づいてきたのは担任と思しき女の先生だ。胸元のネームプレートには「別府園あおい」とある。化粧っ気はないのにはっきりとした顔立ち。きゅっと腰が締まって綺麗。三十そこそこくらい? 若作りに躍起になっていないところが逆に潔い――けれど。

「ああ、誰かと思えば入学式の眠り姫か。寝起きで元気があるのはけっこうだが……ホームルームを始めるからちょっと静粛にしてくれるか? ん?」

 意志の強そうな目でにらむように言い放つ。……怒らせると怖そうだ。

「す、すみません」

 あたしは頭を上下させながら、席に着いた。

 どこ吹く風の隣人に恨めしげな視線を送りながら。

<第3回に続く>