日本のものづくり現場はかくも美しい!小説家・小川洋子が綴る大人のための工場エッセイ
公開日:2021/4/22
〈長年抱き続けている工場への思い入れを本の形にして記したい。子どもの私が味わったあの瑞々しい体験を、作家になった今の自分の言葉でよみがえらせてみたい〉――著者・小川洋子のこうした思いから生まれたのが本書『そこに工場があるかぎり』(小川洋子/集英社)だ。
生家の向かいには鉄工所があり、小学校の通学路には高い塀に囲まれた正体不明の工場があったという著者。「いったい中では何がおこなわれているのだろう」と妄想をふくらませていた子ども時代の好奇心はそのままに6つの工場を取材し、小説家ならではの表現で記録した。
訪れた工場は、金属加工(大阪)、お菓子(神戸)、ボート(滋賀)、ベビーカー(東京)、ガラス加工(京都)、鉛筆(東京)。どれも時代の最先端でバリバリやっているというよりは、地味だけれど昔から身近になくてはならないといったものばかり。著者がその都度興味を惹かれる工場を取材していった結果、上記のようなラインナップになったのだとか。
普段はあまり気にも留めないけれど生活になくてはならないモノたちが、実際はどのように生まれて我々のもとに届くのか。機械的な話や技術的な記述ももちろんあるが、全編を通して描かれるのは、ものづくりに対する人の関わり方や姿勢である。
代表的なのが、「手の体温を伝える」の章。ここでは、ベビーカーや介護用品などを製造販売する五十畑工業株式会社を取材している。東京スカイツリーのお膝元、墨田区向島にある同社は、昭和2年の設立以来、全工程を自社で一貫生産する体制をとっている。
イチから作れば「お客さんの要望を敏感にキャッチして小さなロットで作ってみることができます」とは三代目社長・五十畑雅章氏の談。実際に、同社は従来のベビーカーに改良を重ね保育園児を4~6人乗せて連れられる「サンポカー」を開発、商品化したり、半身不随で前脚しか動かせなくなった老犬のため、犬専用の車椅子を開発したりしている。これらはみな、身近なお客さんとの関わりの中で生まれたものだ。急速に変化する時代にあって、地域密着型の町工場としての姿勢を大切にしている同社の姿は、読んでいてとても応援したくなる。
また、工場で働く人たちの様子を丁寧に伝える文章もいい。たとえば、部品となるパイプの組み立て作業を見学する場面。
一人、男性が作業台の前に座り、パイプにネジを取り付けているのだが、その後ろ姿が毅然として実に清々しい。終わりなど見えそうもない大量のネジに取り囲まれながら、うんざりする様子など微塵もなく、延々と続く作業にひたすら没頭している。一つ一つの動作に丁寧さがあり、確信がある。
こうした記述の一つ一つに、工場で働く人たちに対する著者の敬意がうかがえる。
「お菓子と秘密。その魅惑的な世界」の章では、江崎グリコ株式会社の工場「グリコピア神戸」を取材。ロングヒット商品ポッキーの製造現場を見学するのだが、〈ポッキーがポッキーになる以前、こんな形を成しているとは誰も想像できないだろう〉とあるように、原材料が混ぜ合わさって練られた生地が、あのよく知られたポッキーの軸になっていく過程は読んでいてワクワクする。チョコレートをかける工程だけは絶対の秘密で、中は〈開かずの扉〉になっている謎めいたところも、まるで小説を読んでいるようだ。
コロナ禍の今、自分にとって本当に必要なモノが何かを見つめ直す機会も多くなった。本書は、普段何気なく手にしているさまざまなモノたちに思いを馳せるきっかけをくれる。
文=林亮子