何も知らない呑気な奥さんをよそに、不自由な恋に涙するわたし。こんなのフェアじゃない/気がつけば地獄⑥

文芸・カルチャー

公開日:2021/5/6


気がつけば地獄』から厳選して全6回連載でお届けします。今回は第6回です。

『レタスクラブ』での大人気連載がついに書籍化! 薄氷の夫婦関係、許されぬ恋、ありえない友情――その友情もその愛も、決して芽生えてはいけなかった。冷え切った関係の夫婦の前に現れたひとりの女。一体彼女は何者…? 予測不可能、衝撃展開のサスペンス!

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気がつけば地獄
『気がつけば地獄』(岡部えつ/KADOKAWA)

『Yから誕生日のリクエストを訊かれたから、パークハイアットのニューヨークグリルをおねだりしちゃった☆』

 朝の通勤電車の中でツイッターに投稿すると、二分も経たずに「いいね」がついたけど、何を書いてもすぐ「いいね」してくるオヤジだったから、全然嬉しくない。

 女性の画像を使ったアイコンを片っ端からフォローして「いいね」するこういう輩を見ると、祐くんがSNSを嫌ったり馬鹿にしたりするのも無理はないと思う。けど、ここに書かなかったら、わたしと祐くんとの関係は本当に全く誰にも知られることがない。そんなの、わたしがあまりにかわいそうだ。

 だから、ツイッターに書く。普通の恋人としての祐くんとのこと、できることなら友達に話して羨ましがられたいことを、全部書く。匿名だから、ちょっとは盛ってる。たくさん盛ることもある。今のツイートも、ちょっとだけ嘘が混じってる。

 祐くんは昨夜、いつもどおり仕事帰りにやってきて、わたしが簡単に作ったご飯を食べて、セックスをして、シャワーを浴びて、テレビのニュースを見て、帰り支度をしながら「誕生日は、何したい?」って訊いてきた。だから、ニューヨークグリルに行きたいな、と甘えたら、

「そういうところはNGって言ってるだろ、万が一誰かに会っても、言い訳できないじゃないか」

 と、ダメ出しされちゃった。

 わかってる。わかってて言ったのだ。そして祐くんも、わたしがわかってて言ったのをわかってる。わかってて、わからない振りして、あんな意地悪を言う。

 奥さんとは、ああいうところでデートしたこともあるのかな。祐くんは格好つけたがりだから、結婚前にはあったかもしれない。想像したら、スマホの画面が涙で歪んできた。

 どうしてわたしばっかりが泣かなきゃならないんだろう。祐くんはわかってるくせに気づいてない振りしているし、奥さんは何も知らずに呑気に子育てをしている。こんなの、フェアじゃない。

 指先で目尻を拭ってからスマホの画面を見直したら、さらに一つ「いいね」がついていた。

 サニーだ! サニーが読んだ!

 心でキャーッと叫んで、ほくほくと愉快な気分で彼女の最新ツイートをチェックする。すぐに、昨晩遅くに書き込んだらしいつぶやきが出てくる。

『どうしよう……。誤配達でわたしの美顔器を受け取った人が、引っ越ししちゃったみたい……』

『宅配業者は、どっちの荷物も受け取りのサインがあるから、関知しないって。ちゃんと見ないでサインしちゃった自分が悪いんだけど、でも……ひどいな』

『マンションの管理会社にわたしの荷物を持っていっちゃった人の連絡先を訊いてみたけど、個人情報だからって、何も教えてくれない。内緒の買い物だから、夫に相談もできないし、どうしよう(泣)』

 嘘でしょ。昨日のうちに、荷物の交換は終わってると思ってた。まさか603号室の人が、祐くんの奥さんの荷物を持ったまま引っ越すなんて、想像もしていなかった。

 まったく、なんてことをしてくれたんだろう。おかげで奥さんが、うちの会社に電話しちゃったじゃないか。会社に着いたら、上司に何て言われるか。行きたくないな。サボっちゃおうかな。ああでもそれじゃあ、さらに心証を害しちゃう。今日のところは行って、叱られたら今知ったように驚いて見せて、素直に謝っておこう。奥さんも603号室の男もサインしてるんだし、わたしだけのせいってわけでもない。実際会社は、そういう対応をしてるみたいだから、大丈夫だろう。

 それにしても、奥さんの買い物が祐くんに内緒だったのは、ラッキーだった。もしそうじゃなかったら、奥さんは祐くんに相談していたかもしれない。そしたら祐くんがうちの会社に乗り込んできて「担当の配達員を出せ」なんてことになって、わたしのことがばれて、何もかもがおしまいってことになったかもしれなかった。想像しただけで、脇の下に汗が吹き出てくる。

 もう潮どきだ。奥さんとはこうしてツイッターで繋がれたし、こんなバイトはなるべく早く辞めて、次の仕事を探そう。今日の昼休みにでも、派遣会社に電話してみよう。

 そんなことを考えていたら、サニーが新たにつぶやいた。

『やっぱり、昨日の宅配業者と、マンションの管理会社の対応はひどいと思う。こっちが女だと思って……。悔しいけど、こういうときは男の人に強気で言ってもらうのがいい気がする。怒られるのを覚悟で、夫に相談するしかないかな……』

 まずい! そりゃ高価なものらしいから気持ちはわかるけど、今はだめ。わたしがバイトを辞めるまでは、祐くんに言っちゃだめ!

 わたしはすごい速さで頭を回転させて考え、リプライをつけた。

『サニーさん、お手元の荷物に、送り状が貼ってありますよね? そこに、届け先の電話番号が書いてあるはずです。電話してみましたか?』

 すぐに返事がついた。

『それが、破れてしまっていて、読めないんです』

 破れてた? 嘘だ。わたしは絶対にそんなことしない。荷物は丁寧に扱ってる。自分で破いたか、子供がいたずらでもしたんだろうに、まるで配達員のせいみたいに言うなんて、性格悪い。

『それでは、送り主の方に、訊ねてみてはいかがですか? 荷物を送った人なら、協力してくれると思いますよ』

 またすぐに返事が来る。

『なるほど! やってみます』

 ほっと胸を撫で下ろしたところで、彼女が住む街の駅に到着した。

<続きは本書でお楽しみください>