時には諦めたっていい。100万回への挑戦の中で気づいた、不確かな世の中でも前向きに生きる方法
公開日:2021/4/25
『もしもヘタクソがキックを100万回練習したら?』と題して、壁やゴールに向かってひたすらキックを蹴る動画をYouTubeに投稿し続ける人物がいる。矢部光太朗、またの名を「進撃のY」。
チャンネルのテーマは「人間の成長」。「挑戦しやすい社会を作るために」「成長したいと願う人に何かしらのインスピレーションを与えたい」という想いを込めて動画を投稿し続け、動画の再生回数が100万回を超えるものはザラで、最も多い動画では585万回もの再生数がある。強豪チームへの所属経験はないものの、100万回キックに挑戦するなかで海外チームと契約するまでに至り、結果も出してみせた。
しかし、投稿される動画は、キックを蹴り続けるシーンばかり。何かを語るわけではなく、人間性や考えなどはベールに包まれている……そんな「進撃のY」が、自身のストーリーを詰め込んだ一冊、『ゼロからの進撃 1,000,000回への挑戦』(KADOKAWA)を刊行した。その本で何を語り、どんなことを伝えたかったのか。その想いに迫った。
“挑戦する人がより生きやすい社会を作りたい”という思い
――矢部さんが本を通じて伝えたいメッセージというのは、どのようなものだったのですか?
矢部光太朗さん(以下、矢部):そうですね。書籍の中でも語られているんですけど、“挑戦する人がより生きやすい社会を作りたい”と思っていました。また、“挑戦する人の背中を押せるようなメッセージを発信したい”とも思っていました。そういう軸となる思いはもともと明確にあったんですけど……それをどのように発信するのか、というのは編集の方とコミュニケーションをとりながら、試行錯誤しながら決めていったという感じです。
――“挑戦する人がより生きやすい社会を作りたい”というのは、YouTubeとも同じテーマなんですよね?
矢部:そうです。より多くの人たちが、自分の情熱に従って挑戦していくことによって、その挑戦の成果物が生まれる。その成果物によって、世界がより豊かになっていくという考えが根本にあります。世の中により多くの挑戦が生まれたらいいな、という考え方に関しては書籍でも、YouTubeでも常に一貫しているテーマです。
――本の執筆で、苦労した部分はありますか?
矢部:もともと自分の中にあった想いやメッセージを文章にしていった感じなんですけど、それをどういう構成にして、どう伝えていくかを決めるまでは結構大変でした。でも、一度こういう方針でメッセージを伝えようと決まったら、割とそこからはスラスラ書けました(笑)。ただ、第3章はちょっとやっぱり違うなと思って、一度全部書き直したんで……そこは精神的にちょっとつらかったですね。
――“未知の挑戦”、“恐怖を克服する”、“絶望を祝福せよ”など、パワーワードが多くちりばめられています。こういったワードはいつ思いついたんですか?
矢部:出版が決まる前から、日々の生活の中で構築していた世界観がもとになっています。言葉自体は元々あったものが多いんですが…中には本を書くとなってから、改めて言語化した概念もあります。ただ、基本的には元々頭の中にあった言葉を出したって感じですね。
――普段から言葉で自分を奮い立たせるっていうのは結構あるんですか?
矢部:そうですね。言葉によって自分の思考が形作られるというところがあり、この言葉いいなって思ったらそれをよくメモしたりとか、あるいは繰り返し自分に言い聞かせたりとかいうこともしていました。
――帯の直筆“今から、挑戦しよう”もかなり練習を重ねたという話でした。
矢部:回数はわかんないんですけど100回は書いたんじゃないかなと思います。
――やっぱり努力の量が凄まじいですね(笑)。
ずっと”どん底の住人”でした
――まず100万回への挑戦を始めたきっかけについてです。その当時は、登録者が12万人を超えたり、本を出すことになるというのは想像していましたか?
矢部:動画を投稿し始めたときは、きっとこれをわかってくれる人がいるに違いない、と思って動画を投稿していました。今では、たくさんの人に動画を見てもらえていて、本当にありがたいなと。そして予想どおりの状況になってくれたっていう感じです(笑)。
――予想どおりだったんですね。
矢部:そうですね。ちなみに、「進撃のY」のチャンネルは、思いついてから2年くらい構想を練って温めていました。どうしたらより面白いものになるか、どうしたら多くの人に響くチャンネルになるか、というのを考えていたんです。
――2年も! 当時はYouTuberも少ない時期ですよね?
矢部:ちょうど YouTuber っていう言葉が生まれ始めた時期だったんじゃないかと思います。
――先見の明があった、ということですね。
矢部:そうかもしれないですね(笑)。
――矢部さん自身の歴史について振り返っていくと、最近になるまで挫折の連続だったんだな、という風に感じます。挫折が連続した中で努力を継続できたのは、何か理由があったんですか?
矢部:一度どん底に落ちてしまうと、それより下がないっていう状況になるので。そこからはもう、上に行くしかないっていう状況になってくるんです。どん底に落ちる経験があったからこそ、そこから這い上がって行こうっていう決意ができたのかなと思います。
――ちなみに、どん底っていうのはどの時期になるんですか?
矢部:まあ、どん底っていうのは……あとで振り返ってみると、あのときが一番どん底だったな、とか考えられると思うんですけど。当時は毎回絶望的な状況になると、“今がどん底だ”っていう感覚になっていて。そういう意味では、浪人時代の初期とか、千葉大学時代にサッカーをもう辞めようか、と思ったときとかは「今がどん底だ」って思うくらい苦しかったですね。
――なるほど、どん底の連続だったという感じですね……。
矢部:そうですね。そういえば、高校時代とか中学時代とかもどん底でしたね。そう思うとなんか常にどん底というか、“どん底の住人”でした(笑)。
――オーストラリアでの挑戦は、ようやく矢部さんの努力が報われたのか、と読みながらに感動してしまいました。ご自身でもその感動は大きかったでしょうか?
矢部:そうですね。すごく大きかったです。サッカー選手になろうと決めてから、自分ならできるって信じている自分と、やっぱりそこまでたどり着くことはできないんじゃないかっていう自分が同居していたんですけれども……あとから振り返ってみたら道はしっかりつながっていたんだとわかって、すごく感動しました。
――しかし、その状況が一転してコロナ禍となり、オーストラリアでのリーグ戦が中断となってしまった。どん底には落ちなかった?
矢部:その時点で、自分はクラブと契約できるんだっていう証明が自分自身に対してできたので。リーグが中止になったらまた契約すればいい、という考えでした。自分の中にはひとつの成功体験が残った、というところにフォーカスしていたので、どん底に落ちるとかっていうことはなかったですね。
どん底から這い上がるっていうのは人生の中でも一大ビックイベント
――矢部さんの努力の秘密「挑戦的思考法」についてです。この思考法に至るまでには、どのような行程があったんでしょうか?
矢部:テーマにすると、10個くらいの物を書いたと思うんですが、自分で試行錯誤して目標を達成する、ということを始めた頃から少しずつ蓄積されてきた考えをもとにしています。当時18歳だったので、そこから10年くらいの人生の中で少しずつ構築されてきたものですね。
――努力をする中で努力を継続する方法を身につけたという感じですか?
矢部:そうですね。目標に向かっていく中で、どうしたらより効率的に目標に近づけるのか、試行錯誤の中で生まれました。
――矢部さんは努力する中でも、“諦める”ことも選択肢に入れています。努力と対局にあると感じる概念なのですが、この“良い諦め”に気づいたのは何かきっかけはあったんですか?
矢部:有限な時間と有限な労力の中で、理想を求めていかないといけないと思うんです。自分の本当に理想とするものを求めていくためには、些細なことを諦めなければいけないことっていうのはよくあると思います。自分自身、理想を求めていく中で、本質から外れた物を諦めなければいけないっていう経験があったので、その考え方に至りました。
――そして、一番気になる部分が、どん底からの這い上がり方についてです。こういうものは言葉では簡単に書けても、実際にとなるとうまく使えない気もするのですが……。
矢部:まず前提としては、「どん底から這い上がるっていうのは人生の中でも一大ビッグイベント」なわけで、簡単なものではないとは思うんです。その前提の上で、なんで難しいかって考えると、やっぱり絶望を目の当たりにすると、その目の前の絶望に視点が固まってしまうんですよね。目の前の絶望に気を取られて、大局的な視点を失ってしまうんです。だから本でも書いたように、視点を一歩引いて、人生全体というストーリーの中で、その出来事がどのような意味を持つのか、ということを考えるのが、必要なんじゃないかと思います。まず目の前の絶望から一歩離れてみる、一段高いところから見下ろすようなイメージで考えると、良いんじゃないかと思います。
――矢部さんは、どん底だった浪人時代はどのようなイメージで考えたんでしょうか?
矢部:浪人のときは、社会から切り離された生活をしているけれども、今ここで勉強して自分の能力を高めて、将来社会にとって有用な人物になって社会に貢献できる……と考えました。だから、この時間に価値があるんだというふうに考えたんです。
新しいキックを開発するということもあるかもしれません
――矢部さんはキックの種類をたくさん持っていますよね(掲載されているキックは8種類)。全部習得するのには、どれくらい期間がかかったんでしょうか?
矢部:無回転シュートは、感覚をつかみ出したのがかなり最近の話なので……全部のキックとなると6年くらいかかりました。でも、これからまだまだ磨きあげていかないといけないと思うんで、まだまだ時間がかかるものだと思っています。
――ここから新しいキックを習得する予定はあるんですか?
矢部:毎回の練習が発見の連続だと思うんで、その中からインスピレーションを得て新しいキックを開発するということもあるかもしれません。
――ちなみに練習法などは、ほとんどが独自で学んだものなんですか?
矢部:いろんな本を読んだり、いろんな人の話を聞いたり、何を参考にしたのかすべては思い出せないくらい情報は探していたので。それを独自で学んだと言っていいのかわからないんですけど……おそらく独自で学んだと言っていいのかなと思います。
――インプットの量が凄まじいんですね、インプットしたものをうまくアウトプットするコツとかあるんですか?
矢部:基本的には、どうしたらもっとうまくなれるか、を常に考えて生きていたので。生きていく中で入ってくる情報を、すべてうまくなれるために使えないかなと思いながら生きていました。入ってくるすべての情報が、うまくなるためのインプットだったとも言えるんじゃないかと思います。そして、それは実際の練習やトレーニングで試すことになるので、アウトプットも必然的にアウトプットしていたという感じです。
――一つひとつのキックについて、細かい分析をしていることにも驚きました。無回転キックは3万回練習したとか……特にこのキックはお気に入りとかありますか?
矢部:最近は、左足のインステップカーブで立て続けにゴールを決めているのでお気に入り度は上がってきています。あと、無回転シュートも決めた時にかなり気分が上がります(笑)。
すべての人に読んでほしいです
――オーストラリアでのセミプロ契約、その次なる目標はどんなものになるんでしょうか?
矢部:またクラブと契約して、より良い条件での契約にステップアップしていきたいなと思います。あと、サッカーの次はギターもしっかりと練習して、成果を上げていきたいです。
――具体的に何ゴールとかの目標はあったりしますか?
矢部:ゴール数は特に考えてないんですけど、コンスタントにゴールを奪えるようになりたいなと思います。
――この本はどんな人に読んでほしい、こんな人が読んでくれたら嬉しい、などありますか?
矢部:もちろん、何かに挑戦している人だったりとか、これから挑戦していきたいと思っている人に読んで欲しいと思っていますが……すべての人が何かしらの挑戦をしていくような世界になったらいいな、と思っているので、すべての人に読んでほしいです!
取材・文=平田雄大 写真=Masahisa KUROSAKI
【著者プロフィール】
矢部光太朗(進撃のY)
1991年生まれ。小6からサッカーを始め、高校時代は公式戦に出場できず、千葉大学進学後にサッカーから離れる。24歳で「やっぱりサッカー選手になる」と決意し大学を中退、サッカー部入部のために横国大を再受験。5年後にオーストラリアのチームと契約。YouTubeチャンネル登録者数は 13万人超(2021年4月現在)。
YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCrmwUBVU1omSKRJy47S0fMQ