今も偉大なヒロイン真央ちゃん、フォトエッセイ『私のスケート愛』で当時の思いと近況を明かす

スポーツ

公開日:2021/4/27

私のスケート愛
『私のスケート愛』(浅田真央/文藝春秋)

 真央ちゃんが、フォトエッセイ『私のスケート愛』(文藝春秋)を出版した。パラパラとめくると、生き生きと氷上を滑る真央ちゃんの写真の数々に心が温かくなる。今も彼女の表情や衣装を見るだけで、現役だった浅田真央選手のナンバーが頭の中に流れたり、当時の感動が蘇ったりするファンは多いだろう。

 現役選手としては、2016年の全日本選手権でのパフォーマンスが最後で、2017年に引退した。2018年からはプロスケーターとして、アイスショー「浅田真央サンクスツアー」を引っさげて公演をスタート。座長として、構成、演出、プロデュース、主演など、すべてを担い、アイスリンクのある都道府県を制覇する全国行脚。200回以上もの公演を成功に導いている。

 同書は、真央ちゃんが「第二のスケート人生」をどう過ごしているのかはもちろん、これまで折々でどんな思いを抱えていたかが率直に綴られている。フィギュアをスポーツだと強く意識していた現役時代、「16、17歳頃から純粋に楽しむことはできなくなっていた」という真央ちゃん。今はサンクスツアーを通じて、「スケートってこんなに楽しかったんだ」と明かしているのも印象的だ。

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「心から楽しく滑る」スケーターとしても人としても成熟

 日本中が“真央ちゃん”と呼んで、幼い頃からトップ選手として奮闘する姿を応援してきた。サンクスツアーは、これまでの感謝の思いを伝えるためのショーという。けれども、同書を通じて、彼女自らが綴る舞台裏を知るほどに、“真央ちゃん”と呼び続けていいものかと躊躇させられる。スケーターとしても、人としても、ますます成熟しているからだ。

 現役時代を「新幹線のようにあっという間に過ぎた」と振り返り、今を「自転車のようにゆっくり、色んなものを見て色んなことを感じたい」と言いながらも、サンクスツアーへの座長としてのこだわりと熱意は、長年のトップ選手ならでは。向上心の塊のような気概が感じられる。

「一度しか見られない人もいるかもしれない」「お金を払って来てくれている」とチームを鼓舞し、「どれだけ泣くんだよ!」と自分でツッコミを入れるほどに思いを込めて作り上げてきた。その取り組み方と人としてのあり方には、敬服させられるばかりだ。

 同ショーで初めて、スケートの魅力だけでなく、アイスショーの面白さに気付かされた人も少なくない。

未来のために。日本初スケーターによるリンク創設へ

 日本のスケート界を支えるため、活動はアイスショーにとどまらない。なかでも一大プロジェクトは、アイススケートリンク設立の計画。今、コロナ禍ということもあって、全国で運営の厳しくなったスケートリンクが次々と閉鎖されている。なお、この「真央リンク」ができれば、日本初のスケート選手によるリンク誕生となる。

 かつては自身も常時練習できるスケートリンクがなく、アメリカに拠点を移すことを余儀なくされた経験を持つ。「選手はリンクがなければ練習できない」と憂い、アクセスが悪くなりすぎない場所で、運営コストの検討や再生可能エネルギーを使うことなどを視野に入れて構想を練っているという。

 日本中をフィギュアスケートで虜にした真央ちゃんも30歳。サンクスツアーでは、さらに円熟味を増したパフォーマンスでファンを魅了し、リンク内外で日本のスケート界を支える。まさに偉大なヒロインだ。でも、同書を読むほどに、偉人が偉ぶらないように彼女も等身大で、身近に感じさせる側面は変わらない。だから、きっと“真央ちゃん”でいいのだろう。

「真央ちゃん、どうしてるかな?」そう思いながら、同書を手に取ってみてほしい。現役時代の感動が思い出されるだけでなく、今の第二のスケート人生、次世代のサポートに勤しむ様子に、さらに感動させられるから。

文=松山ようこ