人生100年時代。誰もが手にする「転職チケット」をどう生かす?/働くみんなの必修講義 転職学②

ビジネス

公開日:2021/5/7


働くみんなの必修講義 転職学』から厳選して全5回連載でお届けします。今回は第2回です。

日本の人材開発研究の第一人者が12,000人の大規模調査に基づき編み上げた、「一億総転職時代」最高のテキストが誕生! 巷に溢れる「転職本」の問題点とは?「ミドルの転職」の結果を左右するものは?全日本人必読の一冊です。

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働くみんなの必修講義 転職学
『働くみんなの必修講義 転職学 人生が豊かになる科学的なキャリア行動とは』(中原淳、小林祐児、パーソル総合研究所/KADOKAWA)

「転職チケット」を片手にもって働く時代

 みなさん、こんにちは。ようこそ「転職学」講義へ!

「転職学」は「働くこと」に向き合おうとする、すべての人々のための必修講義です。人生のうちで長い時間を占めるのが仕事です。この「転職学」には、読者のみなさんが自分の仕事人生を完走するために役に立つ科学的な知見を、これでもか、これでもかと詰め込んでいます。

 これまで転職の多くは、「転職成功者の経験談」や「転職コンサルタントのノウハウ」として語られてきました。しかし、本書は違います。本書は「科学」の力を武器にして転職に迫ります。本書をつくるにあたって、私たちは数年前から一万人規模の大規模調査を繰り返してきました。だからこそ、日本の転職市場にぴったり合った「転職にまつわる原理&原則」を解説できる、と自負しています。

 まず、この講義の紹介、いわゆるオリエンテーションを始めていきましょう。このオリエンテーションでは、私たちが働いているこの日本社会の変化について簡単に押さえたうえで、この「転職学」が扱っていく内容やスタンスを説明していきます。

 近年、働き方に対する日本人の意識が大きく変わりつつあるということは、多くの方が実感されていることでしょう。「人生百年時代」という言葉が広まったように、長寿化に伴って、一人ひとりの働く期間が長くなっています。

働くみんなの必修講義 転職学

 図1をご覧ください〈1〉。このグラフは、我が国の人々の平均寿命と将来の推計を描いたものです。いかに猛烈な勢いで、私たちの平均寿命が延びているかがわかるかと思います。二〇一六年時点で、男性は約八十一歳、女性は約八十七歳。だいたい一年で〇・二年ずつ寿命が延びているのです。二〇六五年には、男性は約八十五歳、女性は約九十一歳になるとされています。

 こうして平均寿命が延びる一方、現在の日本では、それに伴う十分な社会保障(年金など)の額が得られないのではないか、という懸念が広がっています。そうした状況を踏まえ、これまでよりも私たちは「長い仕事人生」を送ることになると思われます。

 その一方、急激なIT(情報技術)化やいわゆる「サービス産業化」などによって、ビジネスの変化のスピードが、以前よりもはるかに速くなっています。そこで変化についていくためには、つねに知識やスキルを高め、成果を出していかなければなりません。

 バブル崩壊以前、多くの会社員(このときはまだ男性に限られていました)は、最初に入社した企業で頑張って働いていれば長期雇用が保障され、給与は右肩上がり、中間管理職くらいには出世できる、という期待を抱くことができました。しかし、いまやそれは過去のもの。成果を出さねば企業のなかで仕事人生を全うすることが難しい、という状況が生まれつつあります。給与も職位もさして変わらないままでは、「このまま、この会社にいてもよいのだろうか」と煩悶する人が増えるのも、当然です。

 最近、副業・兼業に関心を抱く人が増えています。副業・兼業とは、いまの会社にいながら、ほかの会社でも同時に働くことです。給与や職位が右肩上がりにはならない時代、在籍する企業の「外」で働くことへの意識が高まっているのです。

 このような不安定な状況を背景として、いまや「転職」は人々にとって「当たり前」の選択肢になりつつあります。かつては、「就職した会社でずっと働くこと」が前提であり、何かのきっかけがあって初めて転職を考える、というものであったのが、いまでは、転職は最初から「キャリアの選択肢の一つ」として想定されています。いつも片手に「転職のチケット」をもちながら働き、そのチケットを使うかどうかを自らに問い続ける。言い方を変えれば、「いま転職する」ことだけでなく、「いまは転職しない」ということも選択するような時代を、私たちは生きているのです。

 こうして組織や会社を横断しながら就業人生全体を捉えるというような感覚は、学術的にいえば「キャリア論」と呼ばれる研究の文脈のなかで、広く共有されています〈2〉。

企業の「長期雇用」傾向は変わっていない

 しかし、とはいうものの、じつはこうした日本社会の雇用の変化は、世の中の誰もが実感できるほど、急激かつ劇的なものではありません。というと、何をいっているのかピンとこないかもしれませんが、会社員のキャリアについて語っている、次の文章を読んでみてほしいと思います。

 平社員から始まって主任、係長、課長、次長、部長と、一本の坂道を黙々と登っていくような昇進構造はすでに揺らいでいる。遠からず純粋な形のものはほとんど見られなくなるだろう。そして終身雇用という神話も消える。もともと定年制があるのに〝終身〟というのは誇大表示だったが、新卒者を一旦採用したら、定年まで雇用するという意味での終身雇用は暗黙の前提としてあった。大企業の従業員は、毎年の昇給やボーナスの決定には関心を寄せても、雇用の継続については当然のこととして、普段は考えたこともないだろう。これからは、雇用は「契約」であるということにいやでも気づくことになる。〈中略〉 行き着く先を企業は明らかにしていないが、人生丸抱えの終身雇用から契約型雇用へ切り替わるのは疑いない。(太文字の強調は筆者)

 じつはこの文章は、バブル崩壊後の一九九三年に日本経済新聞社が編集・出版した『日本型人事は終わった〝役職デフレ時代〞の到来』(日本経済新聞出版)という本の一節です。そう聞くと、ここに並んでいる文言は、現在においてもほとんどそのまま通じることに驚くのではないでしょうか。「終身雇用の崩壊」「雇用の流動化」のほかにも、「仕事の多くが機械に奪われる」のような労働環境についての言葉はここ数十年、紋切り型のように繰り返されてきました。

働くみんなの必修講義 転職学

 一方で図2に示したように、長期雇用の動向を調査したデータや人事部データなどを用いた実証研究でも、長期雇用の傾向や企業の人事管理などに目立った変化は見られていません〈3〉(詳細は一九三頁の「特別集中講義」へ)。

 つまり、こういうことです。私たちは、転職が当たり前になることへの変化や焦りを、日々、心理的には感じているものの、日本社会の実態のほうはそれほど急激かつ劇的に変化してこなかったのです。そこには、「意識と現実の板挟み」、つまり転職への強い意識はあるけれども、現実の社会はそうなっていない、というディレンマが存在しています。

 さらにいえば、いまの社会がそうなっていないとはいえ、いつ何時、そうした急激かつ劇的な変化が日本に訪れるのかはわかりません。板挟みの状況が続き、その先行きも不透明、という現在の状況は、働く人たちにとって「自分は転職したほうがよいのか、しないほうがよいのかわからない」「そもそもどういう働き方を選べばよいのか」という状態を生み出してしまいます。

 社会の規範意識が機能しなくなり、支えがなくなった状態を、社会学では「アノミー(無規範状態)」と呼びます〈4〉。それに倣えば、いまの状況はいわば「転職アノミー(転職してよいのか、よくないのか、視界不良の状態に人々が陥ること)」とでも呼べるでしょう。いまの会社にい続けるべきか、それとも転職すべきか、ということを考えるための「軸」が失われているのです。たしかに「転職のチケット」はもっているけれど、ほんとうにそれを使ってよいのか、そもそもどう使えばよいのか、という道標が不足しています。

 この「転職アノミー」に、二〇二〇年のコロナ・ショックが拍車をかけました。勤め先の経営状態が悪化し、先行きがさらに不透明になった方も少なくないことでしょう。

 新型コロナウイルス感染防止のためにテレワークが定着したことで、働き方の選択肢は広がったように思えますが、「どのようなキャリアを選べばよいかわからない」という状況は、むしろ加速しているようにも感じられます。視界不良の大海を前にして、私たちは立ち尽くしているのです。

〈1〉 内閣府(2018)「平成30年版高齢社会白書」

https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2018/html/zenbun/index.html

〈2〉「キャリア論」の文脈では、かつてはエリク・H・エリクソンの生涯発達論(ⅰ)や、ドナルド・スーパー(ⅱ)など、人の就業人生を段階的なステージを上がっていくものとして捉える「階段としてのキャリア(ⅲ)」が主流となって議論されていました。かつての仕事人生は「右肩上がりの安定的な航路」であったということです。しかし最近では、ときに組織を横断しつつ、あらかじめ決められていない変異的なキャリアのあり方を強調するものが耳目を集めるようになりました。たとえば、「バウンダリーレス・キャリア(ⅳ)」「プロティアン・キャリア(ⅴ)」「ポートフォリオ・キャリア(ⅵ)」などのコンセプトが欧米の研究者を中心に議論され、日本でも組織をまたいだキャリア発達を捉える「組織間キャリア発達(ⅶ)」の観点が提出されています。

ⅰ Erikson, E.H.(1959〔1980〕)Identity and the Life Cycle, W.W. Norton.(2011、西平 直・中島由恵訳『アイデンティティとライフサイクル』誠信書房)

ⅱ Super, D. (1980)“A life-span, life-space aproach to career development” Journal of Vocational Behavior, 16,pp.282-298.

ⅲ 加藤一郎、2004『語りとしてのキャリア メタファーを通じたキャリアの構成』白桃書房

ⅳ Arthur, M. B.(1994)“The Boundaryless Career: A New Perspective for Organizational Inquiry” Journal of Organizational Behavior, 15(4),pp.295-306.

ⅴ Hall, D.T.(1976)Careers in organizations, Scott Foresman.
  Hail, D.T.(2002)Careers In and Out of Organizations, Sage Pub.
  Hail, D.T.(2004)“The protean career: A quarter-century journey” Journal of Vocational Behavior, 65(1),pp.1-13.

ⅵ Handy,C.(1989)The Age of Unreason, Random House.
  Handy,C.(1994)The Empty Raincoat:Making Sense of the Future, Random House.

ⅶ 山本寛、2008『転職とキャリアの研究[改訂版] 組織間キャリア発達の観点から』創成社

〈3〉 ただし、日本において、非正規雇用の比率がこの十数年で大きく伸びたことは重要な変化です。人件費を統制しやすい非正規雇用の従業員を増加させることで、正規雇用サイドの基本構造が長期的に温存されている、と見るのが正しいでしょう。より詳しいデータは以下を参考。
神林龍、2017『正規の世界・非正規の世界 現代日本労働経済学の基本問題』慶應義塾大学出版会
一守靖、2016『日本的雇用慣行は変化しているのか 本社人事部の役割』慶應義塾大学出版会
大湾秀雄・佐藤香織「日本的人事の変容と内部労働市場」川口大司編、2017『日本の労働市場 経済学者の視点』有斐閣、20‐49頁

〈4〉エミール・デュルケーム、田原音和訳、2017『社会分業論』ちくま学芸文庫
エミール・デュルケーム、宮島喬訳、1985『自殺論』中公文庫

<第3回に続く>