大反響を呼んだ大御所漫画家・竹宮惠子の自伝、ついに単行本化! ヒット作『風と木の詩』『地球へ…』創作秘話も
公開日:2021/5/19
大御所漫画家の生い立ちや代表作を生み出すまでの葛藤を知る機会は、なかなかない。
1970年代、「24年組」と称される昭和24年前後生まれの女性たちが、定番のストーリーばかりだった少女漫画界に革命を起こした。文学性の高い漫画が生まれ、少年漫画より下だと思われていた少女漫画の地位を高めたのだ。
その一人が竹宮惠子さんである。
現在のBLの原点と言える『風と木の詩』、SF大作『地球へ…』などで少女漫画界のスターとなった竹宮さんは、2000年から京都精華大学の教授として若い世代に漫画について教えはじめ、2014年から2018年にかけて学長を務めた。
『扉はひらく いくたびも-時代の証言者』(竹宮惠子:著、知野恵子:聞き手/中央公論新社)は彼女の貴重な自伝だ。1970年から1973年まで少女漫画家・萩尾望都さんと暮らし、そこには山岸凉子さんなど今も活躍中の漫画家たちが集まり大泉サロンと呼ばれた。サロンの詳細はもちろん、竹宮さんの生い立ちやご両親のこと、そして70歳を過ぎた現在までが細やかに描写されている。
“言葉にするより、マンガに描く方が楽なんです。”
竹宮さんは子どもの頃の自分についてそう語る。
滑り台の上から見ないとわからないような大きな絵を運動場に描いていた一人の小学生は、漫画を熟読し、絵を描いてストーリーを作るようになった。漫画家の石ノ森章太郎さんに心酔し、高校時代は石ノ森さんのファンによる同人誌にどんどん自分の漫画を投稿する。
竹宮さんの人生と絡めながら、その頃に起きた出来事が太字で掲載されているのも本書の特徴だ。時代によって漫画家の生き方や作品の内容、そして出版業界のあり方が変化していることがわかりやすく説明されている。
漫画家デビュー後、彼女は徳島大学に入学するが中退して上京、1970年から同年代で既に斬新な作品を発表していた萩尾望都さんと同居する。しかし萩尾さんの将来性の高さに刺激を受けながらも苦しみ、大泉サロンを解消、その半年後に「距離をおきたい」と言ってそれ以来没交渉となったくだりは、竹宮さんの現状に甘んじないストイックさが表れている。
当時は少女漫画誌の編集者も男性編集者が多かった。竹宮さんはそれをネガティブにとらえていない。
たしかに読者である少女たちの需要を客観的に知るためには、男性編集者も必要だっただろう。しかし、竹宮さんが、少年愛を題材にした漫画『風と木の詩』を生むまでの苦難も同性の編集者がいないことにあったのではないだろうか。どうしても発表したいこの作品を連載にこぎつけるために、他の作品で編集部に認められる必要があった。
その後成果を出し連載開始に至った『風と木の詩』は、漫画界に衝撃を与え、後にBL雑誌『JUNE』の発刊にも繋がった。竹宮さんの活躍はその後も続き、SF漫画『地球へ…』も代表作の一つとなった。
漫画を教えることになったきっかけは、90年代にエルメスから依頼を受け描いた社史『エルメスの道』である。個性を発揮することと、あえて個性を殺すこと。どちらもできる竹宮さんは、教える才能にも恵まれていた。2000年から京都精華大学で教鞭をとり、2014年から同大学の学長を務めた後、定年退職をした。
その後も竹宮さんの挑戦は続く。デジタルでの作画に意欲的に取り組み、漫画の動画化にも目を向けているのだ。
“自分の中にしかなくて、口で説明することができない、描くことでしか説明できない、描きださなければ理解されない、そういうものが面白いんです。”
終盤のこの一文を読んだとき、運動場で大きな絵を描いていた少女と、「竹宮惠子」という偉大な漫画家が重なった気がした。
文=若林理央