秋の日の夕陽が胸をキュっとさせた。ぼくのこころが生まれた瞬間だった/84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと③
公開日:2021/5/13
『84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと』から厳選して全4回連載でお届けします。今回は第3回です。
作家・辻仁成氏が自身の母の半自叙伝を、豪快な秘話とともに書き下ろした泣き笑いエッセイ集。心に響くとツイッターで大反響! 母の愛と人生訓にあふれた一冊です。
こころはどこにあるの?
ぼくはきっとこころの方が身体よりも早く成長したように思う。
よく覚えていることがある。
3歳とか4歳の頃のことで、ぼくは東京の日野市の団地に住んでいた。
そこは日本で最初のマンモス団地で、戦後の日本が立ち直る、近代化が進む中での象徴的な住居群、建造物、そして近代を示す場所でもあった。
聳える団地は灰色で、四角くて、巨大で、荘厳だった。
そしてコンクリートの広大な駐車場には、マイカーと呼ばれる小型車がずらりと並んでいた。
ぼくは団地の子供たちとよく遊んでいたのだけれど、ある日、異変が起きた。
その時、太陽が西の空に沈みかけていた。
夕陽が空を赤く染め、そうだ、あれは秋の日の夕刻のことであった。
長い夏の厳しさが通り過ぎ、空気にもツンとした冷たさが混じっていた季節。
その時、ぼくは西の赤い空を見上げながら動けなくなってしまう。
空があまりに切なかったからだった。
でも、切ないという言葉を知らないので、なにかわけのわからない感情に支配されて、帰りたくてもそこから動けなくなってしまったのだ。
すると、母さんがぼくを捜しにやってきて、「どうした、ひとなり。心配して捜しにきた」とぼくを見つけるなり言った。
大きく肩で息をしていたので、あちこち捜し回ったみたいだった。
「誘拐にあったかと心配したじゃないか」
でも、ぼくは動けなかった。夕陽から目が離れない。
「ママ、なんかこの辺がキュってなって、へんなんだ」
ぼくは胸の中ほどを指さしてそう告げた。
母さんが夕陽を振り返った。そして、穏やかな声で言った。
「それはこころのせいだよ。こころがお前を切なくさせてるんだ」
またこころか、と思った。
「切ないってなに?」
「胸が、キュってなってるって言ったじゃないか」
「うん。キュってなってる。なんか苦しいような、悲しいのとは違うけど、息ができなくなるような感じ。どうしていいのかわからない感じ……」
「それを切ないと言うんだよ。こころがお前をそうさせている」
ぼくは母さんを見上げた。
「こころは悪いことしているの?」
「いいや、悪いことじゃないよ。こころはお前に人間らしい感情を教えようとしている」
「かんじょう?」
「こころの動きのことを感情と言うんだよ。こころがキュっとなっているから、お前もキュっと切なくなってる」
「なんで、ぼくはこんなにキュっとなっているの?」
「それは夕陽を見ているからだ。あの夕陽はね、地球が今日の終わりを告げている合図。カラスが鳴いて、太陽が遠ざかって、この一日がもうすぐ終わるよ、と教えてくれている。太陽が地球の向こう側に去っていくところだ。はじまりがあり、終わりがある。この繰り返しが一日と呼ばれる尺度で、生き物にはずっと付きまとう。そういうことを自然という。人間にはどうすることもできないものだよ。切ないというのは、人間が仕方なく受け入れなければならない気持ちなんだ。そして、それは同時に、お前が人間のこころを持ったということだ」
「人間の?」
ぼくはしゃくど、とか、しぜん、とかそういう単語の意味がわからなかったけど、その一つ一つの説明を求める気持ちにはならなかった。
きっとそういうことじゃないんだと思った。
黙って聞いていようと思った。
「だって、赤ん坊のこころはキュっとならない。こころが成長していき、人間らしさを持った時に、たとえば、この世界の中でいろいろなものとふれあい、夕陽とか、好きな子とか、悲しい出来事があった時とか、別れの後とか、なにかが変わるタイミングなんかに、そのこころが動く。ひとなりの身体の中でこころが動くから、どうしようもないくらいにすべてがキュっとなる。切なくなるとそんな風に息もしにくくなるんだよ」
ぼくには難しかったけれど、太陽が西の空に落ちて、空が紫色になり、だんだん暗くなっていき、星がそこかしこで瞬きだして、木々が風で揺れて、葉っぱがその風でさわさわと音を立てたりすると、不思議なことにぼくは動けなくなって、こころを奪われてしまって、とっても切なくなるのだった。
その時の空の色をはっきりと記憶している。
赤ん坊の時の記憶は曖昧だったけれど、その時の空の無限の広さ、そこに飲み込まれるような広大さに圧倒されながら、赤い夕陽が宇宙と混ざり合っていき、星が瞬きだし、この世界が宇宙と一緒になる瞬間、ぼくのこころはキュっとなって動けなくなるのだった。
母さんがぼくの肩を優しく抱きしめてくれた。
「さあ、おうちに帰りましょう」
あれが、ぼくのこころが生まれた瞬間だったのかもしれない。
ぼくは能天気な子供らしい子供だったけれど、それ以降、時々、ぼくはなにか得体の知れない存在に呼ばれるようになって、また、動けなくなった。
そこには沈む太陽や、紅葉した街路樹や、風でささめく草原や、斜めに過っていく光りや、広大な宇宙や、夜空に瞬く数えきれない星々があった。
そういう時、ぼくは少し世界が怖くなって、母さんの横に避難した。
母さんがいることでぼくは安心を覚えた。
つまり、切ないの反対がそこにはあった。
弟と場所を奪い合うように母さんの傍にくっついて離れなくなるのだった。
あらゆることが未知で謎であった。
でも、その先になにがあるのかを想像するのが好きだったし、その先を恐れてもいた。
その先に憧れもあったし、その先に広がるものがぼくを切なくさせているのだ、と思った。
母さんという陸地があり、そこから先には無限の海原があった。
「ママ、世界ってなに?」
「ああ、世界のことが知りたいの?」
「だって、ママがよくつかうじゃない、世界ってことば」
「そうね、世界っていうのはね……」
「うん」
ぼくは前のめりになって耳を傾けた。弟がまねをした。なにもわかっていないくせに、とぼくは思った。
「お前がまだ知らないものぜんぶを世界というのだよ」
ぼくは驚いて母さんの顔を覗き込んだ。
「自分を除くすべてのものが世界だ」
ぼくは想像をしたが、すぐには理解できなかった。
「この星の上の人間社会のぜんぶだ。もっと言えば、自分をとりかこむあらゆることを世界と言うんだ」
母さんの目が怖かった。
「だから、世界のことをみんな知りたくなる。世界がどうなっているのか知りたいから、みんな知らないところへ行きたいと思うようになるでしょ?」
「じゃあ、角を曲がったパン屋さんの向こう側とかが世界なの? 墓地の向こうとか、貯水池の先とか」
「ええ、それも世界」
ぼくは首を傾げた。知らないものがどれくらいあるのか、そのことをまだ知らないということにぼくは気が付いて、びっくりしてしまった。
それくらいこの世界は大きいのだと思った。
大人になった今現在のぼくは残念ながらもう世界のほとんどのことを知ってしまった。
知らないこともいっぱいあるけれど、だいたいこういうものだと理解できている。
そういう意味で、ぼくはもう生きることにほぼ慣れてしまったということができる。
生きるということはだいたいが、面倒くさいものであり、予測がつかないものであり、それでいて、なんとかなるものでもあった。
でも、その時の3歳か4歳の頃のぼくにとって、世界は極めてミステリーな集合体だった。
世界は想像を絶するほどに広大だった。
それは怖かったし、関心があった。
世界をもっと知りたいとぼくは思った。
そう思わせたのは紛れもなく母さんであった。
そして、ぼくはその時から冒険を開始した。この世界を知るための大冒険である。
その冒険はいまだ続いており、そして、ぼくはこれまでに数えきれないほどの、大中小、様々な世界を発見することができた。
そのはじまりがあの日野市に沈む夕陽であり、日野市の夜空に輝く星たちであった。
ひとなり、死ぬまで生きなさい。
ゆっくりと焦らずに。