LiSAと振り返る、10年間の「最高の日々、最高の道のり」――LiSA10周年インタビュー②
更新日:2021/5/18
2011年4月20日。1stミニアルバム『Letters to U』で、LiSAがソロデビューを果たしてから、10周年を迎えた。『紅蓮華』や『炎』の驚異的な大ヒット、2020年末にはTBS「第62回輝く!日本レコード大賞」にて「日本レコード大賞」を受賞、NHK紅白歌合戦に2年連続出場――いまやLiSAを説明し、紹介するためのフレーズはそれこそ無数にあるけれど、10年前に歩みを始めたひとりのシンガー・LiSAが、最初から自信たっぷりで、すべてを成功させてきた完全無欠のスーパースターだったかと言えば、決してそうではない。傷つき、悩み、それでも楽曲を受け取ってくれる・ライブを一緒に楽しむ仲間たち、彼らがLiSAに託した夢が、彼女を奮い立たせ、その足を前に運ばせる力となってきた。LiSAがオンリーワンの存在であり続けている理由、それは聴き手に近づきたいと願う想いの強さであると思う。初めて話を聞かせてもらった2012年から、その印象はまったく変わらない。ブレることなく過ごした日々、進んできた道のりが、今のLiSAの楽曲やメッセージを形成しているのだ。
今回は、10周年のミニアルバム『LADYBUG』(5月19日発売)にあわせて、10年間の軌跡をLiSAとともに振り返らせてもらった。『紅蓮華』や『炎』をきっかけにLiSAを認知し、彼女の歌にのめり込んだ方は、たくさんいることだろう。だからこそ、LiSAの原点・根幹を成す考え方をお伝えするために、10年間の前半について厚めに語ってもらうロング・インタビューとなった。5日にわたって、お届けしていきたい。第2回は、シンガー・LiSAのあり方を示したシングルと、10年間掲げてきたキーワードについて語ってもらった。
みんなと一緒に遊ぶ、世界を楽しむわたしを確立させてくれたのが、“best day, best way”
――2013年4月リリースの3rdシングル“best day, best way”は、LiSAの歴史上ものすごく重要な曲だと思います。シンガー・LiSAのありようを明確に示しているし、ダ・ヴィンチニュースのベストアルバムのときのインタビューでも、「LiSAを知らない人に聴かせたい名刺代わりの1曲」で挙げてくれてましたね。
LiSA:自分を作った軸のような曲だと思います。ミニアルバムでは伝え切れなかったけど、アニメソングをシンガーとして責任を持って、背負って歌います、というわたしと、「誰かの何かになりたい」と思ったLiSAというシンガーが、「音楽でみんなを元気にする!」じゃないけど(笑)、みんなと一緒に遊ぶ、世界を楽しむわたしを確立させてくれたのが、“best day, best way”だった気がします。
――今でも、LiSAを象徴する曲であると。
LiSA:そうですね。根底、ベースにある感じです。
――3枚目にして、初のノンタイアップだったじゃないですか。
LiSA:そうですね。最初に“oath sign”があって『LOVER“S”MiLE』があって、“crossing field”があって。2作連続でアニメタイアップのシングルが続いて、当時のプロデューサーが、「ちゃんと自分の気持ち、を示していくノンタイアップシングルを、ここに1枚置いておいたほうがいい」って言って、作らせてくれました。でも、その頃から、ノンタイアップでCDを出している人ってあまりいなかったですよね。だから、それもすごく嬉しかったです。
――一方、アニメとの向き合いと意味でいうと、とにかく難易度が高かった“oath sign”に始まり、“crossing field”では『ソードアート・オンライン』に引っ張ってもらうような格好だった。同時に、その頃はガルデモの曲がライブのキーになる場所に置かれていた。だけど4thシングルの“träumerei”はオリジナルアニメのタイアップで、当時は「アニメに対する恩返し的なニュアンスがあった」みたいな話をしていたな、と思うんですけども。
LiSA:最初の2作品がすごく大きかったけど、“träumerei”は「はじめまして」でちゃんと向き合って、一緒に作っていく作品に出会って――初めて「一緒に作る側」としての経験をしたような気がします。とにかくカッコいいから、“träumerei”という楽曲がすごく好きでした。ある意味、自由度が高くて、「自分色に染めていいですよ」の枠をもらったような気がしたし、おこがましくも「プロデュースする」みたいな気持ちでした(笑)。『幻影ヲ駆ケル太陽』がきっかけで、アニメ作品の活動がいろいろあって、そのときに初めて声優さんとお仕事でたくさん関わることになったんです。そういう、新しい活動をした時期でした。
――音楽活動をしている声優の人たちと関わってみて、どうでしたか。当然、バンドカルチャーとは考え方も違っていると思うんだけど。
LiSA:わたしが最初に声優さんとステージでご一緒したのは、『アイドルマスター』なんですよ。
――……え?
LiSA:わたし、『アイマス』がめっちゃ好きで。
――長らくファンの人には常識なのかな? 初めて聞いた(笑)。
LiSA:(笑)『アイマス』のゲームがすごく好きでした。たぶんね、『Letters~』のツアーのときとか、いつも移動中にゲームをしていたんですよ。そんな記憶もありつつ、『アイマス』のたぶんTVシリーズが始まったときにも観ていて、大好きでした。そしたら、アニメのイベントで、「“READY!!”を一緒に歌います」って言われて――わたしはすごく好きだけど、“oath sign”とか“crossing field”を歌っている自分が“READY!!”を歌い出したらどうなる?って思ってたんです(笑)。そのとき、ちょっと自分では理解できなくて、LiSAのイメージと違うんじゃないか、とも思ったんですが、振り付けも全部覚えて、イベントで完璧に踊ったんです。
『アイマス』は作品としてはよく知ってたけど、そのイベントのリハーサルのときに、初めて中村繪里子さんと浅倉杏美さんにお会いしたんです。新参者で、ただのファンだったわたしを、快く受け入れてくれたんですね。皆さんすごく忙しい中、夜遅くに集まって振り付けや歌の練習をしていて、わたしにも何回も付き合って練習をしてくれたり、歌の相談に乗ってくれたり。こうやって、声優さんたちはひとつの作品に対してすごく真剣に向き合ってるんだなって思いました。それなのに、わたしのようなプロデューサー(『アイドルマスター』では、ファンを「プロデューサーさん」と呼ぶ)のために――。
――あっ、自分自身がPだったと。
LiSA:Pです(笑)。プロデューサーさんに対していいライブを届けてくれる。片手間ではなく、真剣にやっている姿を見て、すごく感動しました。
なけなしの「今日もいい日だっ。」を探すのではなくて、いろんな幸せをちゃんと噛み締めて眠れるという意味の、「今日もいい日だっ。」になった
――当時、「“träumerei”まででLiSAの第1章が終わった気がしていて」という話をしてたんですよ。ガムシャラに走っていく姿を見せるLiSA、みたいなものはここで1回やり切っている、みたいな。でも、結果その後4年間くらい、同じ話をしているっていう。
LiSA:ははは。2013年だから、“träumerei”のあとに『LANDSPACE』、その後武道館じゃないですか。
――そう。だから未来から来た人がいたとしたら、「何を言ってるんだ」と。その後もガムシャラな自分と向き合ってるじゃないか、という話になるんだけど(笑)。
LiSA:(笑)はい。たぶん“träumerei”のときに感じてたガムシャラ感って、歌のキーの話のような気もするんですよね。“träumerei”は、たとえば“oath sign”と比べたら難しくはないし、キーも低いんですね。だから、あえて声を出さないわけではないけど、そのときはまだ「引く自分」がわからなかったんですね。120パーセントかけて投げているんだけど、その実感がないというか。力が余ってることに対しての罪悪感、自分を削ってないことへの罪悪感、みたいな。
――フィジカル的な意味ですね。のどがすり切れてなんぼ、みたいな歌い方をしていた、と。
LiSA:そうそう(笑)。“träumerei”のときに、ガムシャラではない投げ方もわかった気がします。ただ、キーが高くないからこそ、そのキーで力を込めて歌うのが難しかった部分もありますね。
――ガムシャラにぶつかっていく姿勢って、わりと長らくあったじゃないですか。その考え方の根底にあるものって、「自分はこうあるべき」「人にこんな姿見せてはいけない」という考え方だと思うんだけど、そもそもなぜそういう考えに至ったのかを、改めて聞きたいです。
LiSA:思い返せば、たぶん子どもの頃から、完璧なものが美しいと思ってましたし、涼しい顔でそれをやるのがカッコいいと思ってたし、弱音を吐かないのが美学だと思ってました。悲しいことを悲しいって言わずに笑顔で見送ることが正しい、と思ってました。
――その考え方自体をもたらしたものとは?
LiSA:やっぱり、大人になって自覚するのは、子どものときの経験がすごく響いてるんだろうな、ということですね。大事な人を失くした経験、自分のわがままのせいで捨てられたような気がしたり――明確に話すと、お父さんがいなくなったことが、一番大きな出来事だったような気がします。小学校低学年の頃だったんですけど、それまでわたしがお父さんのためを思って何かを我慢したこともなかったし、いなくなると思ったこともなかったから、きっとひどいことだって言ったと思うんです。だから、後悔しかなくて。その後起きる結果に対して、何もできなかった、何もしなかった自分、何も我慢しなかった自分に、すごく後悔したからだと思います。
――我慢をしない自分のせいで、そういう結果を招いてしまった。であれば、そうではない自分にならなければいけないと思った。
LiSA:そうですね。苦しいことは、閉じ込めておくべき。自分の悩みは、自分で解決するべき。人に頼って生きていくなんて、そんな弱い女になってはいけない。人におごってもらうなんて信じられない、みたいな感じでした。
――自分の足で立って、歩いていかねばならない。
LiSA:そうです。誰も助けてなんてくれない、と思ってたから。
――子どもながらに、タフな考え方が芽生えている。
LiSA:そうですね。だから自分のご飯代は自分で稼がなきゃいけない、自分のことは自分でやらなきゃいけない、と思ってました。
――なるほど。その考え方は長く心の中に残り続けて、アーティストとしてのあり方にも、大きく影響を与えているわけですね。
LiSA:そう。「そうすれば、大事なものはなくならない」と思ってました。自分自身が、後悔したくなかったんですね。何かがなくなったときに、自分が「こんなことをわたしがあの人に言ってしまったからだ」「あの人に、重荷にさせてしまったからだ」って、自分で後悔をするのがイヤだったんだと思います。
――その話の延長線上にあるのかもしれないけど、ずっと言い続けてきた「今日もいい日だっ。」も、実は「自分はこうあるべき」という考え方に関わるのかもしれないな、と思っていて。とてもポジティブなワードだし、LiSA自身を奮い立たせたり、前に進ませてくれる言葉であるのは大前提として、ある意味自分を戒めるような側面もあったんじゃないか、とも感じるというか。
LiSA:そのときどきで変わってますね。最初の頃は「今日もいい日だっ。」と思わないといけないんだ、と思っていて、訓練みたいな部分もありました。どちらかというとマイナス思考で、悲観的な人間だったので、最初はちゃんと今日を褒める、今日という日を尊かったんだって思い込むことの訓練でした。「日々に感謝できる人でありたい」、そのほうがいろいろうまくいくんだなってわかってきて。そのほうが、自分の心持ちも、前に進んでいく力も、わりとうまくいくと思ったし、何かのせいにしたい日も、反対側の光を見つけて、今日に花丸を打っていくべし。LiSAとはそう進むべしって、自分で決めたんです。
――なるほど。で、今は完全にポジティブな意味になっている。
LiSA:今はすごくポジティブな意味ですし――感覚的な話なんですけど、子どもの頃からそんなに恵まれた環境で育ってたわけではなくて、お母さんはたまごっちも買ってくれなかったし(笑)。ずーっと言われてたんです、「うちはうち、他所は他所」って。お母さんにいいように丸め込まれてきたんだなと思いますけど(笑)、「あなたはね、お母さんがいることは幸せなのよ」「妹がいるのは幸せなんだよ」「お布団があるのは幸せなのよ」って言われ続けてきて。今いる状況下で幸せを探すように、常に言われていましたね。
――おかげで、それができる大人になれたわけですね。
LiSA:そう。だからこそ、今の状態って、子どもの頃に比べたら、「今日もいい日だっ。」と言えますし、めちゃくちゃ希望のある言葉ですよね。今だったら、「今日もいい日だっ。」と思える幸せなことを探したら、山のように出てくるんです。「今日もおいしいご飯が食べられたな」「今日はパスタ食べられたな」とか、小さな幸せがいっぱいある。だんだん、なけなしの「今日もいい日だっ。」を探すのではなくて、いろんな幸せをちゃんと噛み締めて眠れるという意味の、「今日もいい日だっ。」になった気がします。
第3回へ続く(第3回は5月19日配信予定です)
取材・文=清水大輔 写真=藤原江理奈
スタイリング=久芳俊夫(BEAMS) ヘアメイク=氏家恵子