カレー魔人の小説家と駆け出し料理人が、文豪とカレーにまつわる謎を解く――脳と胃袋にダイレクトにくる古書×カレー×ミステリー
公開日:2021/6/2
神田神保町の雑居ビルにある喫茶店、喫茶ソウセキの一押しメニューは「漱石カレー」。もちろん夏目漱石にちなんでのネーミングだ。昔ながらの懐かしい、だけどオシャレでハイカラな味と自負する店長兼シェフの千晴だが、残念ながら店は閑古鳥状態。しかも、文学青年然とした一見客から「このカレーの、どこがどう『漱石』だ」と、きついダメ出しをされてしまう――。
神保町は本の街であるのと同時に、東京屈指のカレー激戦区としても知られている。たくさんの店がひしめきあい、しのぎを削っている。そんな本とカレーの聖地を舞台にした、これまでにない古書×カレー×ミステリー小説が誕生した。
文学青年の正体は、デビュー作が大ベストセラーとなった小説家の葉山トモキだった。しかし現在はスランプ中で、しかもライバル作家を誹謗中傷で引退へ追い込んだという良からぬ噂まで流れている。
カレーに対して並々ならない情熱を持つ葉山と、彼によって料理人魂に火をつけられ、漱石カレー改良を決意する千晴。彼らの前に、本とカレーにまつわる謎が次々と降りかかってくる。
「漱石カレー」を筆頭に、作中には文豪にちなんだカレーがいくつも登場する。
漱石の門下生の一人であった内田百閒(第二話)、漱石の親しい友だった俳人・正岡子規(第三話)。ミステリー小説界の巨人エラリー・クイーン(第四話)。各人の特性や作品から着想を得た創作カレーの数々が、調理法からして独創的に、そして実においしそうに描写される。
加えて本編のストーリーと、それぞれの章で俎上に上げられる作品(第一話『三四郎』、第二話『冥途』、第三話『仰臥漫録』、第四話『神の灯』)が、絶妙な綾を成している。
千晴の母の形見の本である『三四郎』に隠された秘密。優しかった祖父が作ってくれた思い出のカレー。突然姿を消したアルバイト。お客さまの老女が忘れていった4冊の古本を皮切りに、現在と過去をつなぐ謎(それもやはり古書と食絡み!)に葉山と千晴は挑む。
序盤では強烈な葉山のキャラに圧倒されて、語り手にすぎないかのような存在感だった千晴。しかし物語が進むにつれて、彼女こそがこの物語の最重要キーパーソンであることが分かってくる。
そうして最後の謎が解けたとき、再び第一話の『三四郎』が立ちのぼってくる。千晴が喫茶ソウセキを開店する動機となった本、自分たち家族を結びつけていた形見以上の存在であった本、そして葉山と出会うきっかけとなった本――すべては『三四郎』からはじまっていた。
古書を扱ったミステリーというとどうしても、このジャンルにおける先達的存在『ビブリア古書堂の事件手帖』を連想してしまうかもしれない。実際『ビブリア』以降の古書ミステリーの作品群は、いかにして脱ビブリア的なプラスαを生み出せるか、という点が課題となってきた。
その意味で本作には明確に、鮮やかなるプラスαがある。文豪と食(それもカレーに特化することで一貫性が生まれている)の関係を詳細に掘り下げて、知識欲と食欲を同時に、猛烈に刺激する。脳と胃袋に、ダイレクトにくる。これはもう是非カレーを食べながら読むことをおススメしたい。
文=皆川ちか