7年熟成した12リットルの梅酒の味は? 憧れていた「ていねいな暮らし」の結末/38歳、男性、独身――淡々と生きているようで、実はそうでもない日常。②
公開日:2021/5/26
『38歳、男性、独身――淡々と生きているようで、実はそうでもない日常。』から厳選して全5回連載でお届けします。今回は第2回です。
男女問わず共感できる、笑いあり涙ありの独身エッセイ、誕生!「そのうち結婚するっしょ」と思いながら、気づけばアラフォーになっていたすべての人へ。圧倒的共感でお送りする独身論。
ていねいな暮らしと12リットルの梅酒
7年前に漬けた12リットルの梅酒。憧れていた「ていねいな暮らし」の結末とは。
細々とインスタグラムをやっています。はじめの投稿は2013年の5月。
梅酒を漬けたことを報告する投稿です。
仕事でお世話になっていた和歌山の方より立派な梅をたくさんいただいたのですが、生の梅をいただいたのは初めての経験で、正直困りました。
消費方法を調べると「梅ジャム」「梅干し」「梅のコンポート」と出てきたのですがどれもピンときません。そんな中、目に入ってきたのは梅酒。お酒はほぼ毎日飲んでいますし、作るのも簡単そうです。4リットルの瓶とホワイトリカーと氷砂糖を用意し、詳しい作り方をネットで調べたのですが、その工程の多さに驚きました。
瓶を熱湯で煮沸消毒しなければいけないし、梅も洗ってアクを抜いて自然乾燥させ、傷をつけないようにヘタと軸を全て取らないといけません。どれもカビを発生させないための大事な工程です。
瓶に酒と砂糖と梅をぶち込んで終わりだと思っていた僕はその作業の多さに驚き、めんどくささを感じながらも、一つひとつはじめましての工程をこなしていくと、不思議なことに徐々に心地よさを感じるようになりました。
その頃の僕は仕事に忙殺されていました。勤務形態だけなら立派なブラック企業の中堅ポジションにいて、肉体的にも精神的にもタフな日々を送っていました。
食事は三食とも外食かコンビニ。掃除も自分ではできず外注。洗濯も追いつかず毎週のように新品の下着やワイシャツを買い増すような生活。そんな生活の中で行った、やっつけ仕事が許されない梅酒作りの作業は非常に新鮮で、楽しさを感じたのです。
当時読み漁っていた松浦弥太郎さんや水上勉さんのエッセイの影響もありました。
いわゆる「ていねいな暮らし」というものです。ていねいな暮らしからは程遠い世界でなんとか生き長らえながら、僕はていねいな暮らしに憧れていたのです。ていねいにていねいに梅酒を漬け終えた僕は、その達成感の中、通販で梅を買っていました。多忙な日々の中、かすかに感じた心地よさの手応えを再確認するためです。
いただいた量の倍です。瓶も二つ追加注文です。言わずもがな追加で届いた梅もていねいに下処理を行い、全部きれいに漬けました。大満足です。
結果、僕の手元には合計で12リットルの梅酒の仕込みが完成しました。その様子もインスタグラムに投稿していました。あとは熟成するのを待って、仕事が落ち着いた時にでも飲めばいい。
7年熟成のお味は
キッチン収納の一番奥、日光を浴びない冷暗所で、梅酒は静かに熟成されていきました。漬けた本人は視界に入らない梅酒のことなどあっと言う間に忘れ、仕事に忙殺されています。
結局その梅酒は、それから7年間、一口も飲まれずただ熟成を続けました。
7年間で梅酒のことを思い出したのは2回。引っ越しの荷造りの時だけです。
1回目は同じ市内での引っ越しだったので(ああ、こんなのもあったな)と、いったん見なかったことにして、新居のキッチンの収納の一番奥にしまった記憶があります。
2回目は2020年の年末。同じく引っ越しの荷造りの時です。前回とは状況が違うことが二つありました。一つは引っ越しが長距離ということです。名古屋から横浜です。合計12リットルの梅酒の瓶。運ぶのは引っ越し業者さんなのですが、わざわざ300キロ移動させるのもどうかなという思いがあります。
二つ目は僕が激務の中にいないということです。2018年に会社を退職しました。フリーランスになり、不安は増えましたが自由な時間を手に入れ、収入も増えました。つまり、初めて梅酒を漬けた時に欲していた「ていねいな暮らし」を、送ろうと思えば送れるのです。でも、僕の生活は相変わらず雑なものでした。締め切りに追われながら忙しく暮らしています。
ていねいに漬けられた梅酒にはカビ一つ生えていませんでした。7年間熟成されたていねいな暮らしのフタを開け、お玉でコップにすくい、ストレートで飲みます。
「甘い」
思わず声が出るほど甘いのです。レシピ通りていねいに作ったはずなのですが、氷砂糖が多かったのか、熟成されて甘くなったのかは知る由もありません。
そもそも僕は、甘いお酒が好きじゃありませんでした。あと、これは正直言いたくありませんが、どう贔屓目に見てもチョーヤの梅酒のほうがおいしいのです。企業努力はすばらしいのです。
引っ越しまでの1ヵ月、12リットルもの梅酒を一人で消費するのは過酷でした。はじめはソーダで割ったりして飲んだのですが、一向に減らないのでストレートでがぶ飲みです。瓶からグラスに注ぐのもめんどうになり、途中からペットボトルに移し、そこから直接飲んでいました。
それでもなかなか減らないていねいな暮らしの残骸に辟易しながら、今後、いつかまた何かの間違いでていねいな暮らしに憧れることがあったら、雑巾を縫うとか、土鍋でご飯を炊くとか、そんなやつをしようと誓った次第です。