「最近した贅沢」と聞かれて答えたのは「ミックスナッツ」。あのときの欲望はどこへ行ったのか/38歳、男性、独身――淡々と生きているようで、実はそうでもない日常。⑤

暮らし

公開日:2021/5/29


38歳、男性、独身――淡々と生きているようで、実はそうでもない日常。』から厳選して全5回連載でお届けします。今回は第5回です。

男女問わず共感できる、笑いあり涙ありの独身エッセイ、誕生!「そのうち結婚するっしょ」と思いながら、気づけばアラフォーになっていたすべての人へ。圧倒的共感でお送りする独身論。

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38歳、男性、独身――淡々と生きているようで、実はそうでもない日常。
『38歳、男性、独身――淡々と生きているようで、実はそうでもない日常。』(ウイ/KADOKAWA)

現代アートじゃなくてミックスナッツ

「最近何か贅沢をしましたか?」と聞かれたら、あなたはなんと答えますか?

 先日、非常に回答に困る質問を受けました。

 とある対談で受けた「最近何か贅沢をしましたか?」という質問です。これには本当に困りました。うんうんと唸りながら記憶をひっくり返し、ようやく一つだけ見つけ出した回答が「ミックスナッツ」です。

 

 まず、カルディに行きます。ドンキに行けばキロ単位で手頃なミックスナッツが売っていますが、カルディのナッツは一味違うのです。そこで大容量の素焼きのミックスナッツをカゴに入れます。そこに、ピスタチオを単品で追加購入します。

 カルディのミックスナッツはアーモンド、カシューナッツ、マカダミアナッツ、くるみの4種で構成されており、ピスタチオは含まれていないため単品で買う必要があるのです。さらに、カシューナッツも単品で購入します。

 カシューナッツはミックスナッツの中にも入っていますが、僕はナッツの中でカシューナッツが一番好きなので、割合を増やしたいのです。

 最後に、ドライイチジクも単品で購入です。150グラムで399円もする高級品ですが、控えめな甘さとソフトな歯ごたえが箸休めにちょうどいいのです。

 これらを家に持ち帰ったら全て大きなボウルにあけ、均一になるようによく交ぜ、巨大なジップロックの袋に入れればオリジナルのミックスナッツの完成です。

 各ナッツの割合が理想的で、もはやオーダーメイドと言っても差し支えありません。これが家にあるだけで僕は落ち着くのです。もちろん100円ショップや量販店に行けば、安く同じ割合のオリジナルミックスナッツができるかもしれません。でも、カルディのおいしいナッツでこれをやるから贅沢と呼べるようになるのです。

 

「大変申し上げにくいのですが……素朴というか、地味なんですね」

 インタビュアーさんが困っています。解せん。正直に答えたのに。

 あ、そうか、38歳独身の贅沢はこんなもんじゃダメだったのか。20万円する革靴とか、シャトーブリアンとか、もしかしたら「つい買っちゃうんですよね。これなんか一目惚れで」とか言いながら現代アートを買うとか、そんなやつを期待されていたのかもしれません。そんなお金ありません。

 

大人の男の贅沢、その正解とは

 38歳独身男性が行う贅沢の正解とはなんなのでしょうか。

 僕はまず身の回りのものを見渡しました。家具家電はどれもメンテナンスしながら長年使っているものばかりです。洋服や靴や鞄も長年愛用できるものを年に数点しか買いません。靴下や下着類は無印良品です。

 車もカーシェアの素晴らしさを知ってからはあっけなく手放してしまいました。住んでいる家も築50年以上経過している雑居ビルです。2年前に住居用にフルリノベーションされた物件で、非常にきれいなので満足しています。さらに、食べ物だって普段は近所のスーパーで買った食材で自炊しています。つまり、衣食住において「それは贅沢しましたね」と言ってもらえるような分かりやすいアイコニックな出来事がないのです。

 趣味はどうでしょうか。僕の趣味の中で一番お金がかかるのはアウトドアです。しかし、ここ数年のアウトドアブームで毎シーズン大量にリリースされる最新のギアにはまったく興味がなく、基本的に消耗品しか購入しません。愛用しているテントは7年目を迎えますし、焚き火台なんか15年以上使っています。

 

 意識して節約しているかと言われれば、そうでもありません。僕は住みたい場所に住み、欲しいものを買い、食べたいものを食べ、趣味を楽しんでいます。

 38歳でフリーランスとして働き、こうやって書籍も出版させていただき、独り身なわけですから、自由になるお金は少しあります。がんばって高級なお寿司を食べようと思えば食べられますし、もう少し家賃の高い部屋にも住もうと思えば住めます。でも、それをしたいとは思わないのです。

 20代の頃の僕はオールデンの革靴や、ロレックスの時計や、ボルボが欲しかったし、指紋認証で扉が開くような高級マンションに住みたいと願っていました。そして、身を粉にして働き、それらの願望を全て実現させてきました。しかし、あっけなく全て手放してしまいました。

 

欲望はどこへ行ったのか

「欲望のない若者たち」という言葉をよく耳にした時期があります。若者がこれまで憧れとされていたブランド物の時計や車を欲しがらなくなったという意味です。「若者の〇〇離れ」という言葉が様々なメディアで使われていました。

 その頃、すでに僕はその「若者」という中に自分は含まれていない自覚がありましたので対岸の火事を見るような気持ちだったのですが、38歳の僕は立派な「欲望のないおじさん」になってしまったのです。

 

 欲望はどうして消えてしまったのでしょうか。新型コロナウイルスに対する不安か、経済の停滞が原因か、それとも僕が人間として成熟したからなのか。

 もしかしたら、欲望は別の形に変わったのかもしれません。僕は何を欲しているのでしょうか。

 この先、ギラギラした目でロレックスを買ったり、高級車のガソリン代や高層マンションの家賃のために働いたりすることはないのでしょうか。

 それらの欲望が復活するとはどうしても思えないのです。

 

 では僕たちは何を欲しているのでしょうか。

 この答えはいくら考えても分からないのです。重要なのは、僕は今、幸せかと問われれば「不幸ではない」と答えてしまうということです。胸を張って幸福だとは言えないのです。決して不幸ではない、十分退屈ではない人生です。毎日楽しいけど、満たされてはいない。孤独ではあるけど、絶望はしていない。

 この心にぽっかりと開いた大きな穴は、いったい何で満たされるのでしょうか。

 自分一人で満たすことはできるのでしょうか。結婚したら変わるのでしょうか。子供がいれば変わるのでしょうか。

 こんなこと、独身だから考えてしまうのでしょうか。

 いくら考えても答えは出ず。芸能人が高級レストランで食事をして「おいし〜」とコメントする様子をテレビで見ながらカルディのオーダーメイドミックスナッツを糖質オフの発泡酒で流し込み、僕は十分「退屈ではない日々」に満足しているのです。

<続きは本書でお楽しみください>