すべての猫と和解せよ、だって猫だから。可愛い猫たちがプロのお仕事に目覚めたらどうなる?
公開日:2021/5/30
犬派か猫派か──読者の皆さんはどちらだろうか。動物好きを自認する小生は正直なところ優劣など付けられないが、「犬山」を名乗る以上やはり若干犬寄りだとは思う。とはいってもすり寄ってくる猫にはあらがえず、身を許すしかない。そうだ、猫は許すべき存在だ。だが、もし猫が我々人間に対し責任を持つ立場となっても、その気ままな習性を捨てられずにいたら許せるのか。
『猫だからね』(そにしけんじ/幻冬舎)は、猫たちが作家や忍者、ドクターに教師にと各界のプロになった場合、周囲の人間たちはどう振り回されるのかを描いた漫画である。人間たちは振り回されつつそれを許し手助けしていくことは、宿命であり喜びでもあるのかと思うほど。描くのはそにしけんじ氏、読売新聞日曜版『猫ピッチャー』やNHK Eテレの『ねこねこ日本史』でもおなじみだ。その愛らしい絵柄だけでも、癒しとなる。
まず、作家となった猫はどうなるだろうか。作中では確かに猫なのだが「多くのベストセラーを持つ実力派ベテラン作家猫」なのだ。ゆえに担当編集者を横に待たせ、万年筆を持ち原稿用紙に執筆している。だが、やはり猫だけにすぐに気まぐれを起こす。筆が乗らないと万年筆のキャップを追いかけまわしたり、原稿用紙の上で昼寝をしたり。パソコンで執筆すると言い出したから編集者が用意すると、やはりキーボードの上で寝たいだけだったりする。それでも編集者は離れられないようだ。
猫が忍者になった場合はどうだろうか。そもそも、猫の運動能力を考えると屋根や塀に登り、且つ静かにそこを移動し侵入するなど、とても向いているように思える。主君の屋敷で「敵の屋敷に忍び込んで動向を探ってきてくれ!」と命令を受け、さっと庭の塀に飛び乗り外へ向かおうとする。だが、降りられずにニャーニャーと助けを求めてしまう。いや、ほとんどの猫は塀ぐらいは降りられるが、この猫忍者はできないのだ。なら、なぜ忍者として雇われているのだ。可愛いからなのか。
では、ドクターになったらどうだろう。今回はちょっとまともそうで、患者に対して「どうかしましたかニャー?」と問診ができているではないか。いや、それだけで何かできる猫だと思うことが間違いなのか。ともあれ、猫ドクターは患者を触診してみる。膝に飛び乗り、はだけたお腹を“くにくに”と押さえたかと思うと、ゴロゴロとリラックスしているかのように、のどを鳴らし始める。そして唐突に爪を立て始めるから、患者はたまらず「いたい、いたい、いたい!!」。それに対し猫ドクターは「いたいの?」と。いや、それは痛いだろう。
他の猫たちも万事この調子である。走り幅跳びで跳んだと思えば、着地点でトイレしたり、釣りをすれば浮き沈みするウキにじゃれついたり、シェフとしてスープの味見を試みても、猫舌のためにできなかったりと、とても任せられる状態ではない。猫先生に至っては、教室の引き戸を開けられず、出欠を取ろうと出席簿を開くとそこで寝てしまい、生徒たちが自主的に手伝うことに。だが、猫たちはそれを失敗だとも思わず、あくまで自身の思うがままで、周囲もそれを受け入れてしまう。そう、猫だからね。
昨今、癒しのために猫などのペットを飼い始める人も増えると聞いているが、同時にすぐ飽きて手放してしまう事例も散見される。なんとも無責任な話で、猫の気まぐれを笑えない。猫との生活は、その命に大きな責任を持つことになるのだが、それを自覚し猫と向き合った時の喜びは、かけがえのないものとなるはず。気まぐれな猫だって、そんな飼い主と信頼関係を築ければ、いろいろと応えてくれるものである。
文=犬山しんのすけ