常套句や流行語を使うのはNG? ブログやメール、企画書にも役立つ文章術

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公開日:2021/6/3

三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾
『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』(近藤康太郎/CCCメディアハウス)

 朝日新聞社の名物記者として知られた近藤康太郎氏は、社内きっての名文家であり、著作や連載も多く残している。今は「朝日新聞」の編集委員を務めながら、10年前に移り住んだ大分県で、農業や狩猟に没頭。その一方で相変わらず充実した文章を量産している。地元では社内外の記者やライターに文章を教える私塾も開いており、各地から若い生徒たちが集まってくるという。

 近藤康太郎『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』(CCCメディアハウス)は、著者がこれまで会得してきた文章術を、惜しげもなく開陳してくれる貴重な本だ。仕事に行き詰まっているプロのライターはもちろん、個人ブログで気の利いたことを書いてみたいという人にも、無数のヒントがちりばめられている。メールや企画書の書き方にも触れているから、ビジネスの現場でも応用できるだろう。

 本書の序盤、読者はあなたの文章に興味がないし、書こうとしているテーマなんてどうでもいい、と著者は断言する。これは厳然たる事実だ。電車内では皆がスマートフォンをいじり、ゲームに興じたり、ツイッターを眺めたりしている。書籍や雑誌で活字に触れる機会が減った読者たちは、そう簡単に自分の書いた記事を読み通してはくれない。

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 著者の言葉を借りるなら、読者は「わがまま」なのである。ライターが用意したフックにもそう簡単にひっかかってはくれないし、少しでも飽きれば読書を投げ出してしまう。そんな事実を前提としながらも、苦心して読者を惹き付ける術を著者は列挙する。特に重要なのがファースト・インパクトとなる最初の一文。冒頭で読者の心を掴み、なんとか続きを読んでくれるように誘導するべきだ。そう著者は語る。

 著者は、文章を書くのは「辛気くさい、鬱々とした、ぱっとしない作業だ」と言う。例えばミュージシャンならば、ライブでファンと音楽を共有でき、客席からの反応がダイレクトに受けとれる。だが、ライターはそうはいかない。孤独だ。「机にしがみつき、呻吟し、腰を悪くし、肩こりに悩まされつつ」書くのだ、と著者は言う。「辛気くさく文字を連ね、並び替え、書いては消し、消しては書いてを繰り返す」のだ、と。そんな地味で地道な作業を繰り返し、鍛錬に鍛錬を重ねる他に名文を書く方途はない。ローマは一日にして成らず。近道はないのだ。

 また著者は、安易に常套句を使う風潮に疑義を呈する。著者はある時期「なになに的」という便利な表現を禁じ手にしたそうだが、結果的にこれが語彙を増やすための筋トレになったという。手垢にまみれた形容を封印することによって、新たな表現を発明、発見することに繋がったというわけだ。

 さらに著者は、世間で流行っている言葉も封印すべきだ、と警鐘を鳴らす。流行語をやすやすと使うのは、「自分のマインドとハートを売り渡すことだ」というのだ。そして、この「マインドとハートを売り渡す」という表現自体が、常套句を排したことで生まれた新鮮な表現ではないか。少なくとも筆者はそう読んだ。

 例えば映画を観たライターが「スリリングな展開に思わず手に汗握る」と、書いてしまうとする。これは明らかに初心者による記述だ。まず、「手に汗握る」という常套句に鼻じらむ。そして、「スリリング」というのも曖昧で安直な表現だ。スリリングな映画を「スリリング」と書かず、読み手に映画のスリルを伝える努力が必要となる。それを忌避した文章を書くのは「思考停止」だと著者は言い切る。

 著者は音楽や政治を筆頭に、様々なジャンルで名文を残してきたが、文章を書くためには、感性を高めるトレーニングが必要だとも言う。例えば、歌舞伎を観にくる人は多くても、浄瑠璃や能に接したことのある人は少ない。J-POPは好きだが洋楽をまったく聴かないという人も同様だ。ライターならそうした不明を恥じなければならない。引き出しが多ければ多いほど、文章力は向上する。これは筆者も常日頃実感することだ。

 名文を書くための努力には終わりがない。著者は原稿を編集者に渡す時、最低でも6回は書き直すという。本であれば原稿を30回以上印刷して推敲する。そうすることで文章に独特のグルーヴが生まれる。そのめには、小さな声でいいから音読するのも効果的だ。

 この本に書かれている執筆上の教えや構えを、著者は自らこの本で体現しているようだ。常套句や流行語を禁じ手にし、安易な比喩に走らない。日頃から感性を磨き、原稿は何度でも繰り返し書く。時には音読して文章のリズムを整えたりもする。著者の教えは厳しく、ハードルは決して低くないが、本書の教えを実践できれば相当な達成感があるはずだ。文章を書くことの難しさと悦びと奥深さを同時に与えてくれる。そんな稀有な本である。

文=土佐有明