中村倫也「僕の中ではたぶん『利他』が利己なんです」【ロングインタビュー】
更新日:2021/7/14
俳優・中村倫也の初エッセイ集『THE やんごとなき雑談』(KADOKAWA)が3月18日の発売以来増刷を重ね、7万7000部を突破した。連載誌『ダ・ヴィンチ』5月号の刊行記念インタビューでは「受け取った人の気持ちや暮らしに何かしらプラスになるものじゃないと書いて外に出す意味がない」というプレッシャーがあったと告白していたが、読者によるポジティブな口コミが広まったからこその、異例の大ヒットだ。
あとがきによると本エッセイ集は「自意識まみれ」なのだが……その裏には、実は「利他」の精神が渦巻いているのではないか? 刊行から1ヶ月半となるタイミングで著者に直撃し、「利他」をキーワードに改めて話を伺った。
(取材・文=吉田大助 撮影=干川 修)
みんな、ぐちゃぐちゃなんじゃないの?
──「まえがき」を読み始めた瞬間から、書き手の性分が伝わってきます。〈そもそも“エッセイ”というのは何語で、どんな意味を持つ言葉なのだろう。(中略)この連載の初回を書く前に、まずその意味を自分なりに調べるところから始めてみた〉。つまり〈あれこれ考えてから行動を起こすタイプ〉で、〈考えないと動けない〉。ゆえに、日々の生活においてぐるぐるもやもやと思考が渦巻いている。その性分はのちに「自意識(過剰)」という言葉に変換され、本文中で幾度となく言及されることになりますが、本人があたふたしている時ほど、それを観察している側は面白い(笑)。楽しませていただきました。
中村倫也氏(以下、中村) うだうだ悩みながら書いた甲斐がありました(笑)。自分という人間を外から見た時に、「人に面白がってもらえるものってなんだろう?」って探し方が最初だったんですよ。それはやっぱり、自分のダメなところかなぁと。自意識過剰な部分ってみんなどこかしら持っているものだと思うし、それをうまくアウトプットできたら、いい意味で言えば寄り添えるし共感も得られるし、言葉を選ばずに言えば、ちょっと下にも見てもらえる。
いわゆる失敗談とかは、そんなに恥ずかしくないじゃないですか。笑えるものですから。そういうエピソードもありつつ、本当に書きたかったのは生きていくうえでのなんとも言えない、ぐちぐちしたネジネジした……ちっちゃさ?(笑)
この仕事って、ほっといてもよくされがちなんです。特にここ数年は主演を務める機会が増えたおかげで、番宣でバラエティ番組に出ても「この人をかっこよく見せなきゃ」という扱いをされる。そこに居心地の悪さというか、「自分はそんなたいしたもんじゃないんだけどなぁ」というギャップを感じていました。そこのギャップを埋めるためにも、エッセイではダメな部分を意識的に出したいなぁと思ったんです。
──例えば3年前に同じコンセプトでエッセイ集を出していたら、書き方はもちろん、届き方も違った?
中村 そう思いますね。役者中村というものが世の中にある程度浸透してきたからこそ意味があるというか、素の中村とのギャップを楽しんでもらえるんじゃないかな、と。
──メディアに現れる姿だけを見ていると、かっこよくてゆるふわの癒し系で、何事もテンパらずどんな役もサラリとやってのけるイメージがあるけれども……内面はこんなにも「ぐちゃぐちゃ」なんだ、と。ただ、それを知って、どこかホッとする感覚があったんですよ。
中村「役者の仕事の良いところはなんですか?」と聞かれて答えを一つ あげるとしたら、ダメなやつを受け入れる豊かさかなと思うんです。役ってだいたい、ダメなやつなんですよ。例えば犯罪者であろうが、うだつの上がらないやつであろうが、エリートぶってるやつであろうが、みんな何かしら「ぶっている」。そんなやつらに「実は……」という面があるからドラマになるし、そんなやつらが関係性を持つから、ストーリーができる。
今の世の中って人に優劣をつけたり、ダメなやつにポンコツのレッテルを貼って排除しがちですけど、そもそも世の中にたいしたやつなんてそんなにいねえだろと思っているんです。「みんな、ぐちゃぐちゃなんじゃないの?」と。「少なくとも俺はこんなんですぜ?」ってところを見せることで、「なんだ、中村もかよ」とそれこそホッとできたり、何かしらの力になれることはあるかもしれない。ダメなやつを受け入れる、役者の世界でずっと仕事をしてきた人間が出す本として、そういうものでありたいという気持ちはあったんですよね。