花を買え/巴奎依の社会不適号㉞

アニメ

公開日:2021/6/4

巴奎依
撮影=山口宏之

小さい頃から花が好きだった。

子どもの頃の夢にお花屋さんと書くような感じで、「なんとなくお花が好き」という感覚がなくなることなく、そのまま大人になった。

植物というのは偉大で、植物にしか癒せない、植物でしか埋められない何かがあるように思う。

きっと科学的には、光合成によって酸素を吐き出してくれているから当たり前なのかもしれないし、ただのマイナスイオン効果なのかもしれないが、私にとっては何か特別な効果があるのだ。

花にまつわる行動には、どことなく特別感がある。

ただ花を買うにしろ、花を飾るにしろ、前置きに必ず「特別な日だから」もしくは「特別な日ではないけど」がつく気がする。

一般的に、花を買うことは日常ではないのだろう。

散々このコラム内で、人生が退屈で、刺激がなくて、とにかく毎日がつまらないと語っている私からすると、花はとても手の出しやすい特別感のある非日常なのだ。

今思うと、子どもの頃に強制されたアサガオの観察は、とても有意義な課題だったように思う。

だけど花を買うこと・飾ることが特別になってしまうと「じゃあそうではない日は何なのだろう、今日は花を飾っているけれど、花を飾っていなかった昨日は特別ではなかったんじゃないか」と
毎日同じように同じ私が生きているのに、特別ではない瞬間を生きている私がいたんだと思ってしまうのが嫌で、そうなるとまるで私自身が特別な存在ではないかのように錯覚してきてしまうから、私の家には常に花が飾られている。

泡風呂のような感覚である。

おそらく一般的に泡風呂はあまり頻度高く入るものではないのかもしれないが、私は毎日泡風呂に入る。
毎日が特別な日なんだと肯定したいのだ。

花は承認欲求を満たす。

SNSに自分の顔を載せても、フォロワーが増えても、そのベクトルではそもそも少ない私の承認欲求はあまり満たされることはなかったが、
花は他者からでなくても、自分自身で承認欲求を満たすことができる唯一の手段な気がする。

だからアイドルをしていた頃も、今も、花をもらうことが大好きである。
そしてそんな私の気持ちを知りながら花をプレゼントしてくれるファンが多いことをとても嬉しく思っている。

花と言えどやっぱり生き物なんだな、と感じるのが
人間がひどく落ち込んでいたり、もしくは怒っていたり、何かしらのマイナスな感情で長いこと過ごしていると、あっという間に枯れてしまう。本当にあっという間に枯れる。

逆に幸せを感じていたり、感情がプラスであればあるほど長く咲き続ける。
特に切り花は、顕著にその結果が現れる。

それを知ったときに、マイナスな感情を抱き続けることへの恐怖を感じた。
怒れば怒るほど、沈めば沈むほどきっとその時間だけ、人間も老けるスピードが上がっているのだ。

花が長く咲き続けるような、そんな人間になりたい。

ともえ・けい
2012年よりA応P(アニメ“勝手に”応援プロジェクト)のメンバーとして活動をスタート。2020年8月2日に、A応Pを卒業。現在、インターFMにて毎週土曜28:30〜「DJサブカルクソ女の音楽解体新書」にてDJ番組を担当、DJCD「A応P BEST DJCD PRODUCED by DJサブカルクソ女」をリリースするなど、「DJサブカルクソ女」としても活動中。社会不適合者(自称)。

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