新型コロナウイルス対策の「専門家会議」とは何だったのか? 政府と専門家の主張が異なるワケ
更新日:2021/6/11
5月14日、政府は「まん延防止等重点措置」を群馬、石川、岡山、広島、熊本の5県に新たに適用する当初の案を方針転換し、北海道、岡山、広島の3道県に緊急事態宣言を出すことを決定した。そしてこの政府の方針転換は新聞の一面になるほどの大きなニュースとなった。
政府の案が一変したことがなぜこれほどまでにニュースになったのか。『分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議』(河合香織/岩波書店)を読むことで、専門家が“画期的”とまで呼んだ今回の政府の方針転換の背景がわかってくる。
本書は、新型コロナウイルスの対策において密閉・密集・密接の三密回避や、クラスター対策といった政府の初期対応へ、医学的な見地から“助言”を行ってきた新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(以下:専門家会議)の5か月を振り返る。
タイトルとなった“分水嶺”という言葉は、降った雨が山の尾根のどちらか一方に川となって流れるその境界のことで、一度川になった雨水は決して別の流れに戻れないことを指す。
その分水嶺となったのが、2020年2月24日に発表された専門家会議の“独自見解”だった。
しかし本書によると、見解作成には、今でこそ当たり前となっている「呼気による感染」や「無症状者からの感染」という文言は国民の不安を煽るとして厚生労働省から削除指示があったという。また独自見解の公表について、国の担当者だけでなく念のために厚労省の大臣や医務技監など上位職へも伝えたために、いきなり上に上げるな、順序を守れ、何を勝手なことをやっているのかと厚労省の役人からクレームが入るといったやり取りなど、専門家と役所との折衝が生々しく記されている。
この独自見解を公表したことで、専門家会議は徐々に国の政策を決定しているという誤解を持たれることになっていく。
政府よりも「前のめり」になった専門家から主導権をとろうとしたのか、独自見解が公表された3日後に安倍首相は全国の小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について3月2日から春休みまでの臨時休校を要請した。専門家会議のメンバーの誰一人この首相の要請について知らされていなかった。
足並みが揃わないのは人間だけではなかった。
厚労省に設けられたクラスター対策班の部屋の通信環境はルーターの容量制限が10ギガしかなく、数ギガほどの解析データを数回やり取りするとWi-Fiに繋がらなくなった。このような状況では省内でオンライン会議もできないため、スマートフォンを5台並べてスピーカーモードで電話会議を行うしかなかったという。
そして最大の問題と多くの関係者が口を揃えているのが、感染者のデータにアクセスできないことだった。クラスター対策の前提である地域の感染流行の状態をリアルタイムにモニタリングすることができなかったのだ。そこには国と自治体との長年の軋轢など、国や自治体、研究所、専門家らが未知のウイルスの情報を共有できてない事実を本書は浮き彫りにする。
中でも本書で印象を強く残すのは、政府と専門家にある考え方の大きな差異だ。
危機管理の考えについて、国は最善の方法を選択判断してから市民に与える「パターナリスティック」という考え方を持っている。一方、専門家はあらゆる選択肢を市民と共有して意思決定の主体は常に市民側にあるとする「インフォームドディシジョン」の考えがあるという。
また、官僚組織には無謬性の原則という概念があり、「政府は間違うことがない」という前提で物事を進めていく考え方がある。対して専門家たち、とくに感染症への対策では感染拡大へ待ったなしの状況の中、エビデンス(証拠・根拠)が出揃う前に、それまでの経験や知見、そして勘を総動員しながら間違いを前提とし、対策を進めていく考えがあるという。
政府は間違うことがない、間違ってはいけないために十分なエビデンスが揃わないと動けない官僚組織と、“最善を尽くしても間違うこともある”が前提の専門家の間の溝は埋まらなかったという。
今回の政府による新たな緊急事態宣言の発出は、当初の政府案に宣言が含まれていなかったために専門家らによる分科会から反対論が出たことが背景にあった。
本書にある「国は間違わない」という官僚組織の無謬性の原則から考えれば、政府が初期案を変更し、専門家ら分科会の意見を取り入れたことの大きさが理解できるだろう。
専門家会議は2020年7月3日に正式に廃止され、新型コロナウイルス感染症対策分科会として発足して現在に至る。分科会の構成員18人のうち、専門家会議からは尾身茂氏が分科会会長に、座長であった脇田隆字氏ほか公衆衛生やリスクコミュニケーションの専門家8名が移っている。
著者である河合香織氏が尾身氏に一冊の本としてまとめることを打診すると「時の経過に耐える作品が残ることを期待しています」という返事があったという。
本書は尾身氏の期待通りの作品となるであろう一冊である。
文=すずきたけし