『アナ雪』にはひとりの女性アーティストへのオマージュが! 現在のディズニー映画の礎を築いた知られざる“女王たち”の功績
公開日:2021/6/16
ディズニー映画『アナと雪の女王』ではエルサが感情を抑えようとすると氷が冷たい赤色に、緊張が高まるシーンでは雪が黄色に、落ち着いた静かなシーンでは周囲の雪が凍ったような水色にと、エルサの感情を背景色の変化で表現していた。
これは1954年のディズニー短編アニメーション『冬の出来事』へのオマージュで、当時この作品のアートディレクターを務めたのはひとりの女性だった。
『アニメーションの女王たち ディズニーの世界を変えた女性たちの知られざる物語』(ナサリア・ホルト:著、石原薫:訳/フィルムアート社)は、『白雪姫』『ファンタジア』『ピノキオ』『シンデレラ』『バンビ』『ダンボ』などディズニーアニメの初期代表作となった作品の製作の裏側で、これらの作品世界に大きな影響を与えてきた知られざる女性クリエイターたちに光を当てた一冊だ。
1930年代から1940年代においてディズニースタジオで女性が活躍していた部署として広く知られていたのは、アニメーターが描いた絵を撮影用のセル画に書き写し彩色する仕上げ部門だった。彼女たちはセルに傷ひとつ付けることなく動画をトレースする能力を持っていたことから「女王たち(ザ・クイーン)」と呼ばれた。
しかし実際は、仕上げ部門だけでなく、脚本製作、美術、キャラクター造形など、ディズニー作品の根幹部分に多くの女性たちが関わっていたことを本書は明らかにする。
1930年代にそれまで男性しかいなかったストーリー部門で、唯一の女性として奮闘したディズニー初の女性のストーリーアーティスト、ビアンカ・マージョリー、『バンビ』の躍動する動物たちを描いたレッタ・スコット、未亡人として子育てしながらスタジオでチャンスをつかみ取ったシルヴィア・ホランド、ビアンカに続きストーリー部門に加わり、ミッキーマウスの短編を手がけ、飛行士としても当時の飛行高度を更新したグレイス・ハンティントンなど、当時からディズニーでは多くの女性たちが責任のある仕事についていた。
メアリー・ブレアの功績と女性従業員の待遇
中でもメアリー・ブレアは、ワンシーンで感情を表現することができる才能があった。彼女が手がけた短編アニメーション『冬の出来事』では雪が白一色ではなく、感情の度合いを色の変化で表現していた。これに衝撃を受けたアートディレクターのマイケル・ジモアイが冒頭の『アナと雪の女王』のシーンでメアリーへのオマージュを捧げたのだ。
メアリーがコンセプトアートを手がけた『ダンボ』では、キャラクターの感情が表情から明確に読み取ることができ、母と子象の変わることのない絆が見事に表現されていた。戦後、ディズニーが社運をかけた『シンデレラ』(『白雪姫』以降、ヒットが出ずに資金不足に悩まされていた)では、思うような予算をかけられなかったために、色彩を生かすメアリーのコンセプトが発揮された。また、それまでディズニー映画に欠けていたモダンファッションを取り入れ、シンデレラのドレスをふくらはぎ丈にし、砂時計の体型に見せるためにウエストを絞るなど、戦中の実用本位のファッションから脱却したフェミニンなスタイルを取り入れた。
そしてディズニー映画として初めてのヒロインと王子のデュエットとなった「これが恋かしら」の歌にあわせてシンデレラと王子がワルツを踊るロマンチックなシーンは、メアリーのコンセプトが色濃く表れているという。
ちなみにマレフィセントの初期コンセプトを手がけたのもメアリーである。
ただし女性クリエイターの待遇は良くなかった。
ディズニースタジオは女性の求職者へ「映画のためのカートゥーン制作にかかわるクリエイティブな作業は、若い男性社員の仕事と決まっていますので、女性社員が行うことはありません」という定型の断り状を送付していたほどで、当時は女性の社会進出は“阻まれていた”という表現がふさわしいほどの時代であった。
また働けたとしてもディズニーのストーリーディレクターの給料は男性が週給70ドルから80ドルであるのに対し、同じストーリーディレクターのシルヴィア・ホランドは“女性だから”という理由で週給30ドルと、給与面でも男性との理不尽な差が付けられ、クリエイターとしても、製作に関わった女性アーティストの名前が映画のクレジットに載ることはほとんどなかった。