植物の声を聴き、生命の循環を体感するSFファンタジー短編集『植物忌』がくれた気付き

文芸・カルチャー

公開日:2021/6/16

植物忌
『植物忌』(星野智幸/朝日新聞出版)

『植物忌』(星野智幸/朝日新聞出版)は、植物がむせ返るほどの匂いや息遣いと共に語りかけてくるSFファンタジー短編集だ。収録作の多くは植物と人間の交わりを描いており、生命の環という途方もないスケールのメッセージを受け取れる。

 ファッション・タトゥーとして植物を直接肌に植える技術の発展と、人類の生物種としての進化を語った「スキン・プランツ」。疫病が蔓延した世界で部屋に引きこもる少女と青虫の交流を、絵本のような世界観で描く「ディア・プルーデンス」。植物との同化を願って植物転換手術を受けた青年の経験を追体験する「ぜんまいどおし」。植物の反乱とそれを食い止める組織ネオ・ガーデナーの抗争をスリリングに展開した「ひとがたそう」。ほか、個性豊かな全11編が収録されている。

 植物はかくも大きな生命の環の中で生き続けているのだ、と圧倒される。たとえ1本の木が枯れても、別の場所に飛んだ種が芽吹けば、種の保存が続く。短編集の最初を飾る「避暑する木」は、ひとりの少年がある強い想いと共に育てた木の種を、人の手を借りながら世界へと運び、やがて繁栄へと導いていくプロセスを描いている。木からなる実を食べ、その実を食べて排泄した尿や糞を土に与える少年の姿からは、生命が紡ぐ循環を想起する。

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 本作を読んでいると、たかだか百年にも満たない人生で生じたささいな私利私欲に揺らぐ人間がちっぽけに感じられてしまう。そして、読み進めるうちに植物側へと吸い寄せられるような感覚に陥る。作品内にも「人間」と「植物」の二択を迫られ、植物であることを選ぶ人間がたびたび登場する。もしも植物になることを選べるのならば、私も迷ってしまうかもしれない。

 また、作品内で描かれる植物との対話シーンが実に魅力的だ。植物は直接ささやきかけてくることもあれば、運命的な出会いや幻影といった形で人の行動を促すこともある。繁殖の戦略をしたたかに練る植物もいれば、人がこめた思念を継いでいく植物もいる。本作を読んでいると、植物には声があり、私たちと対話しているのだと確信できる。しかし、それは言語化できる類のものではないはずだ。それでも作者の星野智幸さんは、植物の声を言葉にすることに全力を注ぎ、没頭している。その狂気じみた取り組みによって生まれた作品たちを集めた一冊が、本作だ。

 レビューからは離れるが、我が家には枯れかけた観葉植物がいる。東京で一人暮らししていた学生時代から育て続け、何度かの引っ越しにも耐えてきた鉢植えのパキラとガジュマルだ。北海道に移住し、室内とはいえさすがに環境が異なりすぎたのかもしれない。葉が茶色に変化し、冬を越えるたびに生気を失う。何より変化したのは、私自身だ。生活が変わり、観葉植物を愛でる時間がほとんどなくなった。自分都合で植物と向き合わない罪悪感から目を背け、言い訳めいた水やりなどをしている。今回『植物忌』を読んで、私はようやく現状を受け入れた。植物が枯れることへの認識を改めたからだ。

 彼らが語りかけているささやきを、まだ間に合うのならば、私も受け取りたい。落ちた葉と向き合い、そう思った。

文=宿木雪樹