作家・高橋源一郎氏も推薦!『ヘアヌードの誕生』に見る、日本人の知られざる歴史

文芸・カルチャー

更新日:2021/6/20

ヘアヌードの誕生 芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる
『ヘアヌードの誕生 芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる』(安田理央/イースト・プレス)

 2021年は日本でヘアヌードが解禁されて30周年という記念の年らしい。インターネットであらゆる画像・映像が見られてしまう今の時代からすると、ヘアヌード解禁から意外と時間が経過していないことに驚く人も多いことだろう。

 作家で明治学院大学教授の高橋源一郎氏も推薦する本書『ヘアヌードの誕生 芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる』(安田理央/イースト・プレス)は、日本人と陰毛の知られざる歴史をひもとく一冊。陰毛なんてたかが体毛のはず。だが、古来、日本人は、陰毛に特別な意味を感じてきた民族なのだそうだ。そして、ヘアヌード解禁以前は、長らく陰毛がご法度という時代が続いていたという。知られざる歴史を著したその内容をほんの少しだけご紹介しよう。

裸体には興味なし! 陰毛を描けてこそ一人前という春画の文化

 そもそも19世紀以前の日本人は、女性の肉体に性的魅力を感じることはなかったと本書は解説している。開国後、外国から「淫猥」だと不快がられるまで、日本人は男女ともに裸体を晒すことに抵抗はなく、混浴も当たり前だった。西洋の美術家たちは、「宗教画」という言い訳をしてまで、肉感たっぷりの裸体画を制作していたが、裸体に興味がない日本人は、エロを描くはずの春画でも、裸はほとんど描かなかった。春画では男女の顔つき・体つきはほとんど同じように描かれ、服は身につけたまま。そして、唯一の身体的差異だと思われていた生殖器は、非現実的なまでの大きさにデフォルメされ、詳細に描き込まれたという。特に、陰毛の形状や濃淡は女性の特徴を表す重要な要素。その表現ができてこそ、絵師として一人前だった。西洋画の多くは股間を隠したり、陰毛は省略されたりしていたのに対し、日本人は、陰毛表現に情熱を燃やしていたのだ。

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陰毛は神秘的なもの…戦時中はガールフレンドの陰毛がお守り

 陰毛は、子どもから大人への成長の証。その発育に日本人は神秘的なものを感じていたのだろう。だから、戦時中には兵士たちは女性の陰毛をお守りとして身につけていたらしい…。女性の陰毛を保持していれば、女性に備わっている聖なる力が男性の命を救い、被弾しないと考えられていたという。男性に出征を命じる赤紙が届いた際、ガールフレンドが最後の性交の際に陰毛をぶちっと引き抜いて渡したという記録が残っているし、妻やガールフレンドがいない場合には、悲しいかな、年老いた母親が代わり、下の毛を送ったという。日本人の陰毛に対する思いは相当深いものがあったようだ。

猥褻の境界線に置かれた陰毛…ヘアヌードは芸術なのかエロなのか

 戦後、日本では猥褻なものの境界として陰毛が置かれ、「性器と陰毛さえ隠せば猥褻ではない」という時代が長らく続いた。欧米で60年代末〜70年代にかけてポルノ解禁の波が押し寄せても、日本では80年代をすぎても、海外の芸術家によるヘアヌード写真は股間部分に四角い黒ラベルを敷かねば発行できなかった。だが、そんな状況下で、1991年、写真家・篠山紀信は、樋口可南子の『water fruit 不測の事態』、宮沢りえの『Santa Fe』を発刊。「ヘアヌードは猥褻なのか、芸術なのか」という大きな議論を世の中に巻き起こし、結果、ヘアヌードはそのまま解禁されるに至ったのだ。

 陰毛と日本人の歴史は「猥褻とは何か」「芸術とは何か」という壮大なテーマさえ孕む。その歴史をひもときたくなった人はぜひこの本を手にとってみてほしい。たかが陰毛。されど陰毛。まさか日本人がこんなにも陰毛に腐心してきたとは驚かされるばかりだ。

文=アサトーミナミ