『花とアリス』の岩井俊二が描く運命と人生の機微…「死神」の異名をもつ絵師をめぐる絵画ミステリー!
更新日:2021/7/2
小説家としてのみならず、映画監督、脚本家、音楽家などマルチに活躍する岩井俊二氏。『Love Letter』や『スワロウテイル』『リリイ・シュシュのすべて』『花とアリス』『ラストレター』など、葛藤する人たちを繊細に描き出した作品はこれまで多くの人の心を捉えてきたが、彼の最新小説もまた大きな話題を呼ぶに違いない作品だ。『零の晩夏』(岩井俊二/文藝春秋)は、“死神”の異名を持つ正体不明の絵師をめぐる絵画ミステリー。ダークな謎を解き明かすスリル、一癖も二癖もある意外な展開に魅せられてしまうことは間違いない。
主人公は、八千草花音。美術大学を卒業後、広告代理店に勤務していたが、トラブルに巻き込まれ、退職を余儀なくされてしまった。知り合いから紹介してもらった転職先は、美術専門誌「花と詩と歌」編集部。研修生としてトライアウトを受けることになった花音は、正体不明、性別不明の絵師・ナユタの特集記事を担当することになる。
ナユタは、絵のモデルになった人が例外なく死に至ると噂され、“死神”の異名を持つ不気味な絵師だ。解剖中の人体や末期がん患者など、「死」をモチーフにした写実的な画風で知られるこの絵師が“死神”と呼ばれ始めたきっかけは「花の街」という3枚の絵だった。「花の街」は、札幌で起きた観光バスの事故の死者3人を描いたものなのだが、完成に半年以上の月日を要するに違いない大作であるのに、絵が公開されたのは、事故のわずか10日後だった。事故後に描くのは到底困難。かといって、事故前にこの作品を描いたのなら、ナユタの選んだモデル3人が揃ってバス事故で死んだことになる。ナユタのモデルの遺族たちへの取材をすすめる花音。青山の画廊を営む根津杜夫や、高校の美術部の後輩・加瀬真純、前の職場の同僚・浜崎スミレなど、個性的な登場人物たちが花音の取材に協力していき、物語は次第に加速度を増していく。闇夜のような妖しさを持つナユタの存在。一つ一つパズルのピースが埋められていくように次第に明らかになるその輪郭。そして、入り組んだ謎の先には、驚愕の真実が待ち構えている。
この作品は、絵師の謎を追うミステリーであり、ひとりの女性の冒険譚、成長譚であると同時に、人間の運命を描いた物語でもある。人と人との巡り合わせはすべて必然。どの出会いにも偶然のものはなく、人との関わり合いは、時に人生の道標となる。ナユタも、花音も、その他の登場人物たちも、この作品に登場する人たちは皆、それぞれが何かの縁に導かれ、運命的な出会いを経験し、自らの進むべき道に気付いていく。その必然を、この作品はあまりにも美しく鮮やかに描き出していくのだ。
眼前に浮かぶたくさんの絵画と、人々の揺らぐ感情の機微。待ち受ける運命…。この作品をぜひとも映像でもみてみたいと思わずにはいられない。そして、避けることのできない宿命のようなものに導かれていく登場人物たちを見ていると、つい、物思いに耽りたくなる。私たちはどんな運命を負った存在なのだろうか。読後のこの余韻は、きっとあなたの心も捉えて離さない。ひとりの女性の冒険を、運命の物語を、ぜひあなたも体感してみてほしい。
文=アサトーミナミ