「あなたのためを思って」SNSでよく見かける“アドバイス型マウンティング”が厄介な理由とは?
更新日:2021/7/2
5 アドバイス型
たとえば「子どもがなかなか寝なくて疲れた」という投稿をしたとします。
これはただの愚痴でありアドバイスなど求めていません。
投稿した文章を見ただけでは「今日だけ」なのか「いつもそう」なのかもわかりません。
普段はぐっすり寝る子が今日は寝なかっただけかもしれない。
普段も寝ないけれど、いつも試している技が効かなくて苦労しただけかもしれない。
普段通りの体調なら大丈夫だけど今日は仕事がハードだったので疲れたのかもしれない。
普段から疲れているけど、ここで愚痴を言えば明日から頑張れる、かもしれない。
つまりこの文面を見ただけでは、この投稿者の真意はわかりません。ということは「赤ちゃんは暗いところで寝ますよ!」のような安易なアドバイスはできないはずなのです。でもなぜかSNSでは「知らない人」がよく「アドバイス」をしてくださいます。
なぜなら「アドバイス」というのは、基本的に「してる方はとても気持ちいい」のです。「アドバイス」をしたがる方というのは、大体「きれいなこと」や「正しいこと」を言います。そのアドバイスがまったく役に立たなかったとしても、「きれい」で「正しい」ので否定されることはありません。
「部屋はきれいな方がいいよね」という意見は「まあ…そうよね」となりますよね。
「いやいや汚い方がいいでしょう!」とはなりません。つまり「正しいこと」「きれいなこと」を言うと、優位に立ちやすいのです。
また「アドバイス」というのは「良かれと思っている人がやる」という風潮もありますので、「いいことをしている」というお墨付きをもらうことができます。「アドバイス」をする場面というのは、「相手が間違っている」「相手が困っている」「相手が解決法を知らない」という前提もあるので、「いいことをしている」といい気分になりながら「マウンティング」もできるという一石二鳥の優れた方法なのです。
そしてこの「アドバイス型」の厄介なところは、「正しいこと」「きれいなこと」を「良かれと思って」やっているので、言われた方が受取拒否しにくい点にあります。世間の常識として「悪意」は受け取らなくていいけど、「善意」は受け取らないと失礼と思われる風潮があります。こちらがいくら「要らない…!」と思っていても、拒否したり感謝しないとなるとこちらが悪者になってしまうのです。
相手の逃げ道を塞ぎ、自分の快感だけはしっかり残る。「アドバイス型マウンティング」はまさにマウンティングの最終形態と言えるでしょう。
マウンティングは「心の痴漢」です
大前提なのですが、マウンティングというのは「されたい人」はいません。される方は「要らない」のです。どんな形であれ、マウンティングをしている方は気持ちいいのかもしれませんが、こちらがまったく望んでいないのであれば、それはまるで「心を痴漢されたようなもの」ではないでしょうか。
マウンティングをされると、「自分が何か挑発するようなことを言ったのだろうか」「偉そうだっただろうか」とご自分を責めてしまうことがあるかもしれません。悪意満載のマウンティングならともかく、「良かれと思って」という形でされると「感謝しなきゃいけないのかな」と思うこともあるかもしれません。
SNSは匿名性があるので、誰彼構わずマウンティング人もいます。でも他人の劣等感の解消や優位に立つ快感に付き合ってさしあげる必要はありません。あなたの心に不要なものは、「不要だ」と思って構いません。マウンティングをした人の気持ちをされた方が配慮する必要はないのです。
文=白目みさえ