縄文時代から現代、歴史の神秘に想いを馳せる旅へ。首都圏各地の「縄文神社」を訪ねて
公開日:2021/7/7
「縄文神社」とは、「縄文時代の遺跡と神社が重なっている場所」を指します。
そう定義し、日本各地に存在すると提唱しているのが、幼少期からの歴史好きが高じて“文化系アウトドアライター”として本質的な美や「場」に残された古い記憶を探し求める旅を続けている武藤郁子さん。各地の神社を参拝する中で、境内やその周辺から縄文遺跡が出土している場所が多いことに気づき、何か関係があるのではないかと調査しはじめたといいます。
調査の結果、なんとその数は関東だけで100社以上にも上ると発覚。首都圏にある「縄文神社」を『縄文神社 首都圏篇』(武藤郁子/飛鳥新社)にまとめ、厳選して紹介しています。
本書の中で「(縄文神社は)数千年~一万年もの間、紆余曲折ありながらも人々の『祈りの場所』であり続けているという、世界的に見ても珍しい場所。(中略)縄文時代に祈る場所だったところに、今も変わらず神社が立っている」とその神秘について語る武藤さん。また、遺跡ではなく今も現役で人々に利用され、必要とされている点を挙げ「最強の聖地」だと力説しています。
関東にもたくさんある「縄文神社」!
有名な縄文遺跡が集まっているのは長野や東北なので、「縄文神社」もそこに多いのかと思いきや、実際には関東にもたくさん存在しているそう。調査にあたり、武藤さんはまず「縄文神社がありそうなロケーション」を下記のように予測。
①台地の上(河岸段丘、海岸段丘など)
②湧水(水源)があるポイント(山麓や台地崖下など)
③水辺に突き出した土地の先端(岬・島)
④霊山の形が綺麗に見えるポイント
その上で縄文時代の海進を推定した地図で①と③を探してみると、そこにはドンピシャで「縄文神社」があったとか。内陸部は②と④を目安に探したといいます。
土地の成り立ちを資料で調べ、地図で場所を予測する作業は、「まるで探検のようで、発見できたときの喜びは格別」だそう。
あの氷川神社も「縄文神社」だった!
縄文時代から陸地で、川も側にある好立地ということから、「もしかして」と調査すると「縄文神社」だと分かったのが、埼玉県さいたま市にある武蔵一宮氷川神社。関東を代表する名社です。
氷川神社の本殿近くには、縄文後期・晩期の氷川神社遺跡が発見されており、馬蹄のような形の盛り上がりの部分が氷川神社の本殿をぐるりと囲っているのです。その中央、ちょうど凹んでいる部分に本殿が建ち、かつて縄文時代にも人々の祈りの場だったという事実がなんともロマンチックですね。
本書では、掲載している神社にまつわる言い伝えや神社の名に込められた意味など、「縄文神社」の神秘をひもとく内容も紹介。読んだ後に現地に足を運んでみるのも楽しいかもしれません。縄文時代からの歴史の奥行を感じることができ、感じることや見える景色も変わってきそうですね。
文=水卜小枝