自分で作った「ものさし」にとらわれていませんか? 思い込みが持つ危険性/「疑う」からはじめる。①
公開日:2021/7/12
澤円著『「疑う」からはじめる。』から厳選して全8回連載でお届けします。今回は第1回です。常識に縛られたら、思考は停止する――既存の価値観、古い常識、全部疑ってみよう。問題設定と解決策は、すべてここからはじまる! 元マイクロソフト伝説のマネジャーが新時代の働き方、生き方、ビジネススキルを提案する1冊!
プロローグ
● うまくいかない原因の多くは「思い込み」にある
たとえば、あなたが地方で暮らしているとします。
そして、「都会に比べてチャンスが少ない」と感じることがあるかもしれません。当然、都会には圧倒的に多くの仕事があります。
しかし、現実には多くの人がそこで自分本来の力を発揮できずに埋もれています。その一方で、地方に住むユニークネスを存分に活かし、刺激的な仕事をしながらハッピーに生きている人もたくさんいます。
「田舎だからうまくいかないんだ……」
こんなふうに、自分のなかで勝手につくった「ものさし」で自分と他人を比較していると、気持ちはどんどん落ち込んでしまうことでしょう。
「英語が話せれば、もっとやりたい仕事ができたのに」
「定時に帰ったら、上司から悪く思われるにちがいない」
「もっと接待しなければ、きっと取引を止められてしまう」
僕たちの仕事や生活、そして人生のなかには、さまざまな思い込みが、じつにたくさん存在しているのです。
「思うようにいかない理由」や「自己実現できない理由」を見つけるのは簡単です。そして、恐ろしいことに「~だから無理」と思った瞬間、そこがゴールになってしまいます。
そこで大切になるのは、「あたりまえ」を「疑う」からはじめること。思い込みを捨てて、「では、どうすればできるのだろう」と考えてみます。なぜなら、思考は行動に直結するからです。
● コロナ前の価値観は全部一度「疑ってみる」
新型コロナウイルスの出現以降、仕事の前提条件が変わりました。僕たちはこれまで以上に「あたりまえ」を疑い、新たな価値をつくっていく必要があります。「疑う」からはじめるときなのです。
たとえば、「出勤」という「あたりまえ」を疑ってみましょう。
これまで、みんながいる会社に行きさえすれば、自動的に部署やチームに組み込まれて、そこで与えられた仕事に取り組むことができると、多くの人が思い込んでいました。
でも、仕事とは本来、なんらかの価値を創造することのはずです。
仕事の本質を理解せずに、ただ会社に行って与えられた作業をこなすことを仕事だと勘違いしていた人たちは、コロナ禍のもと、「出勤」できない状態を強いられたとき、「いままで自分はなにもしていなかった」と身をもって体験したのではないかと思うのです。本当は仕事ができていなかった人が、あぶり出されてしまったということです。
会社という場に依存している人が日々取り組む仕事のほとんどは、まさに「出勤」することに紐づいた作業なのだということが、「出勤」という「あたりまえ」が覆されたとき、はじめて見えてきます。
仕事がなんとなく用意されている「場」は、今後どんどん減っていきます。それに応じて、「わたしはこれをやります」「この打ち合わせには出ません。その時間にこれをしたいからです」というように、主体的に取り組まなければそもそも仕事が成立しない状態になりつつあります。
そんな仕事のあり方の根本的な変化を肌身で感じている人は、とても増えていると推測します。
すでに僕たちは、既存の価値観を「疑う」からはじめる時代に生きているのです。新型コロナウイルスの出現は、僕たち一人ひとりの変化を、さらに社会全体の変化を、いやおうなく加速させていくでしょう。
● 仕事ができる人は「抽象」と「具体」を行き来できる人
では、自分がやりたい仕事を主体的に宣言して取り組むには、どうすればいいのでしょうか。もちろん、ここでいう「仕事」とは「価値を創造すること」を意味します。
僕は、「仕事ができる人」とは、「抽象」と「具体」を行き来できる人だととらえています。ものごとを抽象化するというのは、「本質を抽出する」こと。わかりやすくいうと、いま目の前にある仕事の本質を考えることです。
みなさんのまわりには、「具体的に考えろ!」「もっと具体的な案を出せ!」などとゴリ押ししてくる人はいませんか。たいていの場合、そうした人は仕事ができません。なぜなら、仕事の本質を深く考えないまま、ただ目に見える変化のようなものがほしくて、「具体的に」「具体案を」と叫んでいるに過ぎないからです。
厳しい言い方をすれば、仕事の本質を考え抜いていない人は、まだ仕事をはじめてすらいない状態です。
「具体」とは、仕事を抽象化したうえではじめて成り立つ作業だからです。
「具体」だけで仕事が成り立つのは、たとえば工場で働く人たちや、そのほかエッセンシャルワーカー(人が社会生活をするうえで必要不可欠なライフラインを維持する仕事の従事者)の人たちでしょうか。彼らには、ある程度確立されたフレームワークのなかで、高い精度で、集中して作業をこなすことが求められます。コロナ以降も、いままでと同じような働き方をしなければならない仕事と言えるかもしれません。
一方、本書の読者には、主にオフィスで働くビジネスパーソン、自営業やフリーランスの方たちもいらっしゃると思います。そんなみなさんには、いま目の前にある仕事の本質を自分の頭でとことん考え、「別のもっといいやり方やアイデアがあるのではないか」と疑いながら、価値を創造していくことが求められます。
言ってみれば、どれだけ「具体的」に動こうとしても、本質をつかみ損ねたままでいると、まったく価値を生み出せない仕事なのです。
● コロナで大切になった「自分をデザインする力」
わかりやすい例を挙げましょう。
自動車の工場では、ある仕様に従って精密に効率よく組み立てなければなりません。これこそが具体的な仕事です。でも、果たしてそれだけで、その車の魅力がユーザーに伝わるでしょうか。
なぜユーザーはその車を選ぶのか――。それは仕様に従って効率よく組み立てられたからでもなく、他社よりも少しだけスペックが優れているからでもありません。
そうではなく、その車が与える「イメージ」や、その車がもたらす「体験」が、ユーザーにとって魅力的になるかどうかの決め手になるのです。スポーティーな走りを楽しめるイメージかもしれませんし、あるいは、家族で安全に楽しく移動できる体験かもしれません。
いずれにせよ、そうした自動車が持つ本質、つまり「抽象」をとことん突き詰めた先に、究極の「具体」として自動車を組み立てる作業があるのです。
抽象化された体験を、きちんと言語化してお客さんに届けてはじめて、その車の魅力が伝わり、仕事として大きな価値を創造できます。これはオフィスや自宅で取り組むことができる、およそすべての仕事にあてはまる法則です。
ものごとの本質をつかむことは、全体を「デザイン」する能力ともいえます。より視野を広げると、働き方にとどまらず、「自分の人生をどう豊かにデザインするか」という視点につながっていきます。
コロナ以降、この「人生をデザインする力」がとても重要になると僕は見ています。
いろいろな価値観を参考にしながら、自分の頭で考え、人生をデザインし、自分なりの幸せを追い求めていく。そんな力が、今後、求められていくでしょう。
● 僕もかつて「あたりまえ」にとらわれ、悩み、苦しんでいた
僕、澤円は株式会社圓窓という法人の代表取締役を務めています。主な活動として、琉球大学客員教授や武蔵野大学客員教員のほか、スタートアップ企業の顧問やNPOのメンター、またキャリアアップやコミュニケーション、グローバル人材のためのマインドセットとアウトプットについてのセミナーや講演活動を日々行っています。
もともとはプログラマーとしてキャリアをスタートさせ、1997年にマイクロソフト社(現・日本マイクロソフト社)に入社します。2020年8月に退社するまで、競合対策専門営業チームのマネージャーやクラウドプラットフォーム営業本部長、そして、テクノロジーセンター・センター長などを歴任しました。
マイクロソフト社では数多くのプレゼン経験を積み、2006年には世界中のマイクロソフト社員のなかで卓越した社員にのみビル・ゲイツが授与する「Chairman’s Award」を受賞したこともあります。
しかしながら、かつての僕は、プログラマーとしては業界でビリの位置にいて、プレゼンを酷評されていたときもあったのです。いまでも自分のことを、野心的だとか自己肯定感が強いタイプだとは僕自身、まったく思いません。
子どものころから僕は、あまり周囲に溶け込むことができませんでした。運動も全然できなかったし、学校なんてなにも楽しくなかった。
「どうして僕はこうなんだろう」
そんなことを思いながら、ずっと悩んで生きていたのです。
やがて成長するにつれ、少しずつ、自分の「あたりまえ」と世間の「あたりまえ」がちがうことに気づきはじめました。
僕は人と同じペースでなにかをすることも、ひとつのことをずっと続けることも苦手でした。つまり、そのときどきで興味があることにたくさん取り組みながら、同時並行でマイペースに続けていくのが好きだったのです。これこそが僕の「あたりまえ」でした。でも、学校や会社で求められる「あたりまえ」は、定められたカリキュラムやルールに沿って振る舞うことです。
僕の行動がまわりと合わないのは、それこそ「あたりまえ」だったのです。
ところが、インターネットの登場がすべてを変えました。
世界にはさまざまな価値観があることが知れわたり、日本でも多様性をリスペクトする雰囲気を感じられるようになりました。
時代が、前へと進んだのです。
「ひとつの仕事に縛られるのではなく、さまざまな人や仕事にかかわっていくほうが時代の変化にマッチしているのでは?」
そう直感した僕は、「自分の好きなこと」や「本当にやりたかったこと」を、臆さず積極的にアウトプットしはじめました。すると、僕と同じように感じていた人たちが世の中にはたくさんいて、とてもポジティブなフィードバックを得ることができたのです。
● 常識に縛られたら、成長はストップする
「なにか引っかかるな……」
「どうしてこうなるのだろう」
世間の「あたりまえ」に対して疑問を持ったとき、あなたはすでにおおいなる成長への一歩を踏み出しています。この事実を、まずは共有しておきたいと思います。
ときには「なぜそんなこともわからないんだ」「そんなことは常識だろう」と怒られることもあるでしょう。そんなとき、「失敗した」と思って、つい落ち込んでしまいがちですが、僕に言わせればまったくちがいます。
「あたりまえ」に対して疑問を持つ。
↓
一歩前へ進んだと考える。
「あたりまえ」という思い込みに疑問を感じること。それは、自分が変わっていく過程において、重要なシグナルなのです。だから勇気を出して、あなたのなかに生まれた疑問を大切にしなければなりません。そんな自信と勇気を持つ方法についても、書きました。
本書に通底するメッセージはこれです。
常識に縛られたら、思考は停止する。
本書は『あたりまえを疑え。』というタイトルで、2018年11月に発刊されました。その後、新型コロナウイルスが出現し、社会も個人も急激な変化を強いられました。僕たちのもとに、突然、「あたりまえ」の呪縛から解き放たれるタイミングが訪れたのです。だからこそ、「いま、ここから、はじめよう」という気持ちを込めて、装いを新たに再刊しました。
思い込みを捨て、自分の頭で自由に思考し、少しずつ行動に変えていきましょう。そうすれば、あなたの人生はぐんぐん輝きを増していくはずです。
一歩足を踏み出すだけでも、結果はまったく変わっていきます。
世間で「あたりまえ」とされる常識や正解を探すのではなく、あなただけの真の人生を探す旅へ──。
さあ、いまこそ「疑う」からはじめましょう。
澤 円