日本人特有の概念が企業の生産性を下げる要因に!? 無意味な規則や時間の考え方を疑おう/「疑う」からはじめる。②
公開日:2021/7/13
澤円著『「疑う」からはじめる。』から厳選して全8回連載でお届けします。今回は第2回です。常識に縛られたら、思考は停止する――既存の価値観、古い常識、全部疑ってみよう。問題設定と解決策は、すべてここからはじまる! 元マイクロソフト伝説のマネジャーが新時代の働き方、生き方、ビジネススキルを提案する1冊!
「時間」の無駄に対する抵抗感をつける
● 人生には終わりがあることをもっと意識する
本書をはじめるにあたって、僕がみなさんに最初にお伝えしたいのはこの事実です。
人の命は永遠ではなく、いつか必ず死ぬ――。
人間はいつか死ぬ生きものです。生まれてから死ぬまでの時間は有限であり、その大前提は誰もがみな平等です。
もちろん寿命の長さはそれぞれちがうだろうし、いつどのタイミングで死ぬのかもわかりません。でも、いずれにせよ人生に「終わり」があることは絶対的な事実です。僕たちは、その「終わり」に向かって常に前へと進むしかなく、後退はできません。
つまり、自分の命の時間というものは増えることがなく、残り時間は減っていくしかない、ある意味では残酷なものであるということです。
この「残り時間を増やすことはできない」という事実を、ぜひ頭に刻み込んでほしいのです。その理由は、いまみなさんが直面している仕事や生活上の問題の多くは、「時間を無駄にしていること」、あるいは「時間の無駄に対する抵抗感が薄れていること」によって引き起こされていることがほとんどだからです。
時間は有限であり、ものすごく貴重なもの。
そのことが本当に納得できたら、みなさんの未来は俄然、明るくなるでしょう。まず、自分の時間の使い方が丁寧になり、その時間をもっと有意義に過ごそうとして「質」の面を大切にしはじめます。同じ時間を過ごすなら、当然快適なほうがいいし、楽しいほうがいいし、意義あるほうがいいですからね。
また、おのずと他人の時間を無駄に奪うこともなくなります。自分の時間を大切にできるようになると、自分だけでなくまわりの人間まで幸せにしていくのです。
いまこの瞬間に僕たちに与えられているものを考えたとき、場所や地位や属性などは個人差が大きいかもしれない。でも、時間だけは誰にも等しく与えられています。その面では、みな同じ条件のもとで生きていると言えるかもしれません。
たとえ社長であっても、新入社員であっても。
● 思い切って出社時間を破ってみる
以前、僕の友人がこんな話をしてくれました。
ある日、都内に大雪が降って会社に遅刻をしてしまったそうです。前日から雪の予報だったので30分以上早く家を出たものの、案の定どこもかしこも混雑していて、結局、彼は5分の遅刻をしてしまいました。自分と同じような者もちらほらいたと言います。
「この天候じゃ仕方ないよな」
そう思った瞬間でした。
「雪が降るのはわかっていたはずだ! なぜもっと早く家を出ないんだ!」
いきなり部長がキレた。あまりの剣幕にみんなは驚いて口も利けません。そんなようすを見てさらに弾みがついたのか、その部長は、それから30分以上も部下を立たせて説教を続けたそう。
みなさんは、この出来事についてどう思いますか。
5分の遅刻に対して30分以上の説教……。これって、僕流に言わせてもらえば完全な「暴力」だし「時間泥棒」です。
そして、その部長は遅刻に対してキレたことで、「わたしはマネジメント能力がゼロなのだ!」と大声で叫んだようなもの。僕は友人に、「ねえ、その会社いますぐやめたら?」とアドバイスしたのですが、こんなことが日本の会社では結構まかりとおっています。
もしかしたら、みなさんも似たような出来事に遭遇した経験があるかもしれません。
こうした、「仕事のはじまりの時間に厳しく、終わりの時間にはゆるい」のは、日本企業特有のマインドセットです。
朝は数分遅刻しただけでガミガミ怒られるのに、夜は数時間残っていても、怒られるどころか「がんばっているな」と褒められることさえあります。
でも、よく考えてみてください。それぞれ部署ごとにやることがちがうのに、朝9時に全社員が揃って出社しても1円にもならないではありませんか。また、だらだらと残業して生産性が高まるとはとても思えません。会社とは、あくまでも利益を出す場所なので、これらはまったくもって意味のない行為。そうした意味のないルールや時間の考え方を、いまこそ一人ひとりが疑わなければならないのだと思います。
それって本当に効率がいいの?
そのことでなにかを生み出しているの?
誰かが幸せになるものなの?
一人ひとりが自覚的に、自らに問いかけることが大切なのです。
● 「公平」が生産性を下げている
「なぜ全社員が同じ時間に出社する必要があるのでしょうか」
こんなことを言うと、「現場はもう動いているのだ!」と言い返されるのがオチです。朝8時半や9時に出社時間を定めている多くの会社は、工場や店舗や工事現場を基準にして出社しているということなのです。
「現場でトラブルがあったときに連絡がつかなければ問題になる」とは、もっともらしい理由かもしれません。でも、これだけスマートフォンが普及した時代に、来るかどうかもわからない連絡をオフィスで待ち受ける必要があるのか、という疑問も湧いてきます。
「会社に重要な書類が置いてあるんだ!」
たしかにそうかもしれませんが、そんなことではその会社は交通機関が止まった瞬間に、すべての機能が停止することになってしまいます。つまり、BCP(事業継続計画)がむちゃくちゃなわけです。むしろ、どこからでも情報にアクセスできるようにするなどして、いかなるときも業務が止まらないようにすることのほうがよほど重要です。
業務の効率だけを考えれば、全社員が同じ時刻に出社する必然性はありません。なのに、なぜみんなが朝9時に行かなくてはならないのでしょうか。結局のところ、こんな理由だったりします。
「不公平になる」
「現場は早く出ているのだから、本社や本部もそうするほうがいい」という考え方ですね。
現場では時間で区切ってタスクをまわさなければならない面もあるので、みんなが同じ出社時間である必然性はあるかもしれません。しかし、本社や本部の社員にはなんの関係もなければ、必然性もありません。
ましてや朝9時に出社しようとすると、電車も道路も込んでいるし、エレベーターは長蛇の列。これでは、社員の生産性はまったく上がりません。であれば、朝7時に出社して、15時に仕事を終わらせて帰るほうがよほどいいでしょう。もちろん、昼ごろに出社して夜に終わるということだってありですよね。
そうした考え方ができない会社がなぜ多いかというと、心のどこかに「現場は早くから動いていて悪いから、それに合わせよう」という日本人特有の気質があるからではないかと僕は感じてしまうのです。