上手く社会になじめない人間が、より楽に生きられる方法とは?/生きてるだけで、疲労困憊。⑧
公開日:2021/7/28
rei著の書籍『生きてるだけで、疲労困憊。』から厳選して全9回連載でお届けします。今回は第8回です。大学在学中に発達障害と診断された“陰キャ・オタク・非モテ”の発達障害会社員”。しんどい社会を少しでも楽に生きる…そんな考え方が詰まった珠玉のエッセイです。
「郷に入っては郷に従え」で上手くやれた
ただし、入る郷はしっかりと選んだ
身も蓋もない話をすると、私のような発達障害者がより楽に生きるのに必要なことは、古くから言われる「郷に入っては郷に従え」に集約されると思っている。
私自身の実感として言わせてもらうと、発達障害者が社会に馴染めず悩み苦しんだ末に、ある日、常識や慣習の合理性に突然気づくのだ。
その気づきは、量をこなすことで得られる。私を含め発達障害者には、納得しない限りそれをやらないというルールがあり、周囲に従わないという傾向があるように思えるが、これは成長という観点からすると非常に効率が悪い。物事を始めるときは、質より量をこなす方が効率がいいからだ。
量をこなしていけば自然と「自分の今の力量」「完成に至るまでの目分量」「力を入れるべき点」「実はあまり重要ではない点」がわかってくるものだが、最初から質を追求すると「やってみなければわからないこと」がわかるようになるまで、時間がかかってしまう。「習うより慣れろ」と古くから言われている所以である。量をこなすために、「とにもかくにも郷に従え」なのである。
●弱った人間に声をかけるやつに気をつける
しかし、生きづらさを抱える当事者に対して、安易に「勇気を出して一歩踏み出せ」「郷に従え」とは言えない。
例えば、街で私のようなオタクに声をかけてくる人は、ほぼ勧誘かぼったくりだ。
ある日私は、秋葉原で女性に声をかけられた。秋葉原のあるところまで案内して欲しいと言われたのである。もちろん私は道案内をした。そしてたどり着いたのは、ギャラリー。それは秋葉原に頻出していたデート商法なるものであった。10万だか20万だかの絵を売りつけようとする女性から、穏便な話し合いで逃げ出すことはできず、私は無言でギャラリーを出てことなきを得た。
往々にして、弱った人間に対して積極的に近づくのは奇特な人間と、弱者を食い物にしようとする人間だ。これは街だけの話ではない。弱者に手を差し伸べてくる人間の中には、食い物にしようとしている者が多いのだ。
●自分から助けを求めることで郷をチョイスする
一歩踏み出したところで現実は何も変わらず、現実であり続ける。そして「社会に適応するぞ!」と一念発起して頑張っても、悪意ある人間のターゲットにされかねない。「郷に入っては郷に従え」式に行くと、今度は過剰に郷に従ってしまい、「何にも疑問を持たないイエスマン」として、悪意ある人間にいいように使われてしまう可能性もある。そのような経験故に「自身が納得するまでは従わない」という習性を強めた方も多いだろう。
この危険性は、自分から近づく人間を選べばある程度は減らすことができる。
前述のとおり、弱っている人間に近づくのは悪人であり、普通の人間は困っていても積極的に助けない程度には冷たい。
だが、普通の人間は助けを求める手を一方的に振り払わない程度には温かい。
高校進学の際、そこでたまたま出会ったというだけの見知らぬ男子高校生から制服と教科書をもらえたとき、私はそう感じた。
助けを求めれば、助けてくれる「普通の人」はたくさんいる。
自分に近づいてくる人間を受動的に待つだけだと悪人に引っ掛かる可能性が高いが、能動的に行く分には「普通の人」という最大母数が混ざるだけ悪人に引っ掛かる可能性が下がるのだ。そしてその下がり方はかなり大きい。
これらのことから、発達障害者には「郷に従え」、そして「入る郷は選んだ方がいいし、郷の中で関係を深める相手も選んだ方がいい」と伝えたい。