都営地下鉄乗り入れ、国内最速、そして京成パンダ……京成電鉄の諦めない姿勢と情熱を綴った一冊

暮らし

公開日:2021/7/19

京成はなぜ「国内最速」になれたのか
『京成はなぜ「国内最速」になれたのか』(草町義和/交通新聞社)

 上野動物園にパンダの双子の赤ちゃんが生まれた。その姿はとても小さくて愛らしく、世界中の人に「胸キュン」を与えてくれる。しかし胸キュンどころではない、思わず二度見するようなパンダのキャラクターがいる。

 東京北部から千葉に走る大手私鉄のひとつ「京成電鉄」の名物キャラクター「京成パンダ」である。横長のぎょろりとした目と厚い唇が特徴の見た目。加えて、父親に怠惰な生活を咎められ地球に修行をしにきているというかなり残念な設定も持っており、初めて見た人のほとんどは「かわいくない!」と思うはずだ。

『京成はなぜ「国内最速」になれたのか』(草町義和/交通新聞社)では、この京成パンダの誕生秘話を含め、京成電鉄が創業時から現代までに直面した困難と、それを乗り越えてきた足跡を解説している。

advertisement

 京成電鉄の路線のなかでも成田スカイアクセス線は、新幹線を除き国内最速の「時速160km」を誇っているということをご存じだろうか? この線は、東京と成田空港を最短30分で結ぶはずだった成田新幹線に代わる事業であったため、京成の成田空港アクセス特急「スカイライナー」も成田スカイアクセス線経由に切り替えるにあたり、それまでの最高時速を50km上回る160kmを目指すこととなった。

 時速160kmで走らせたら風圧による揺れが大きくなって、上下線の列車が接触してしまうのでは? など、問題は山積みだった。当時時速160kmで運転を行っていた新潟県の北越急行ほくほく線に何度も足を運んだり、時速160km同士のすれ違いの綿密なシミュレーションを幾度となく繰り返したりと、実現のために様々な努力を尽くしたという。そしてついに2010年に時速160kmを実現し、2015年には単独で国内最速の称号を得たのである。

 京成電鉄の挑戦はこれに始まるものではない。京成電鉄が最初に経営した鉄道は、金町~柴又帝釈天までを結ぶ「人車軌道」、いわゆる人力車のような、人が押して走る鉄道からであった。戦前~戦後にかけて、1人でも多くの人を乗せたいという思いで「都心乗り入れ」を目指したという。

 まず戦前、浅草へ乗り入れるために5回にわたる特許申請を行い「都心乗り入れ」への強い意欲を示したが、様々な理由により叶わなかった。しかし、すぐに上野への乗り入れを実現する。また、戦後も都営地下鉄への乗り入れを目指すも、都営地下鉄線と京成線のレールの軌間幅が63mm異なるため直通運転ができなかった。そこで1カ月半でレールの幅を都営地下鉄線の仕様にあわせる工事を行い、見事、都心乗り入れを成功させたという。郊外私鉄と都営地下鉄線の相互直通運転は、日本初であった。

 ちなみに、京成パンダは社員の反対が多く不採用になりかけたが、最終的にはインパクトの強さが評価され、復活する形で採用された。そんな京成電鉄の「一度決めたら最後までやり通す」という姿勢は、大事業への取り組みはもちろん、名物キャラクターの考案まで、一貫したものを見せている。先の見通しが難しい現代において、この強い信念は私たちにとって大いに参考になるのではないだろうか。本書を手に取ってその“熱さ”を体感してほしい。