「訳あり」な人々が暮らすサハマンション。韓国の格差社会の問題を炙り出す近未来ディストピア小説

文芸・カルチャー

更新日:2021/7/28

サハマンション
『サハマンション』(斎藤真理子:訳/筑摩書房)

 韓国人作家チョ・ナムジュ氏の『82年生まれ、キム・ジヨン』は本国で136万部が売れ、映画化もされたべストセラー。女性が当然のように直面する様々な不平等や差別を描いた同作は、#MeTOO運動とも共振し、日本でも26万部を売り上げた。

 そんなチョ・ナムジュ氏の新刊『サハマンション』(斎藤真理子:訳/筑摩書房)は、社会的弱者やマイノリティーの暮らしぶりに焦点を当てた小説だ。特に、韓国で(もちろん日本でも)深刻化しつつある極端な格差社会が、戯画的なタッチで見事に描出されている。近未来を見据えたようなディストピア文学と言っていいだろう。

 小説の舞台は場所も成り立ちも判然としない、何十年も前に独立したという都市国家。ここでは、専門的知識や資本を持つ選ばれし少数が、世界一安全で豊かだという「タウン」で暮らしている。一方タウンでの住民資格を持たない最底辺の貧困層は「サハマンション」と呼ばれる建物に逃げ込み、つましく暮らす。

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 サハマンションは、貧困層にとって駆け込み寺の役割を果たしているように見える。韓国映画『パラサイト 半地下の家族』でも明示されていたように、都市国家での経済格差はそのまま住居地区の差にも直結する。ぱっと見でどの階級に属するかがすぐに分かってしまうのだ。

 サハマンションに暮らす人々はみな個性的。いや、キャラが立っているというべきか。元助産師で住民すべての分娩を引き受ける花ばあさん。医師免許をはく奪されながらもマンション内で医療行為を行うスー。病気で視力を失いながらもバーで働くサラ等々。いかにも「訳あり」な住民たちばかり。だからこそ、群像劇としてすこぶる魅力的なのである。

 サハマンションでは各世帯への水道やガスの供給すら途絶えていた。働き口も、近隣の工場や倉庫など、汚く危険な場所しかない。劣悪な環境で労働を強いられ、賃金も極めて安い。小説という体で書かれているが、現実とも確実にリンクする本書、実はルポルタージュなのではないか? と錯覚を起こさせたりもする。著者のチョ・ナムジュ氏はインタビューでこう述べている。

『サハマンション』はディストピア小説ですが、とてもリアルな部分があります。これを読まれる方は、自分たちはこの物語のどこに置かれるのだろうという気持ちを持ちながら読み進んでいくのではないか。

この作品を書いた時、読んだ人が小説だと思わなくても良いと思いました。ルポや事例集だと受け止めてもらっても構わないと思いました。

 特に、デモの描写が生々しい。作中では貧困層が政府の政策に反対する「蝶々革命」と呼ばれるデモが行われるが、これは実際に、2016~17年に韓国の朴槿恵大統領(当時)の退陣を求めた大規模なデモ=ろうそく革命を連想させる。先述の著者のコメントを裏書きするような場面である。

 チョ・ナムジュ氏は、一貫して社会から無視され、主流から取り残された人々に眼差しを向けてきた。本書もその系譜に連なると言っていい。そして、今まさに目の前で起きている問題をデフォルメし、現実社会への揶揄や批判を作品に込めている。

 いわば「社会派」に属する小説なのだが、そこに堅苦しさや生真面目さはほとんど感じられない。サハマンションの住人たちはチャーミングで愛すべき人ばかりだから、ごく自然にキャラクターに感情移入してしまうのだ。

 さらに終盤、ジンギョンというサハマンションの女性がタウンの政治機関の中枢に乗り込み、この国を牛耳る政治家たちの本性を暴こうとする。政府の内部はこれまでずっと謎に包まれており、その政策決定に割り込むことはできなかった。その内奥にジンギョンが迫る展開は、ほとんどサスペンスの域に達している。

 格差社会が横行しているのは日本でも同様だ。本書のように居住地によって経済格差が可視化されにくいため気付きづらいが、現実を直視すればするほど、残酷な例が数多く顕現化されてくる。特にコロナ以降、その傾向が顕著となっているのは言うまでもない。この辺の事情が気になる方は、筆者が以前書いた、吉川ばんび『年収100万円で生きる―格差都市・東京の肉声―』(扶桑社)の書評をご一読いただきたい。

文=土佐有明