日本人はなぜ欠けた茶碗を愛でるの? 素朴な「なんでだろう」を解決する雑学本

文芸・カルチャー

公開日:2021/7/25

『日本人はなぜ欠けた茶碗を愛でるのか 日本のことがよくわかる本』(中山理/育鵬社:発行、扶桑社:発売)
『日本人はなぜ欠けた茶碗を愛でるのか 日本のことがよくわかる本』(中山理/育鵬社:発行、扶桑社:発売)

 突然だが、あなたは日本人なのに日本の文化や風習を不思議に思ったことはないだろうか。例えば、名碗の展覧会や古い茶器を展示する美術館を訪れると、無傷の完成品が少ないことに気づく。なぜ、日本人は補修されている陶器をこんなにも大切にし続けているのだろうか。

 そんな疑問にアンサーをくれるのが『日本人はなぜ欠けた茶碗を愛でるのか 日本のことがよくわかる本』(中山理/育鵬社:発行、扶桑社:発売)。著者は他国との違いを紹介しつつ、日本という国の面白さを教えてくれる。

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日本人はなぜ欠けた茶碗を愛でる?

 日本には「金継ぎ」という独自の修理法があり、茶道では割れて補修した茶碗のほうが独特の審美的価値があると見なされて重宝がられることも多い。一体なぜ日本人はこんなにも、不完全な物を愛でるのだろうか。

 そこには「侘び」「さび」を追求した、日本人独自の美的感性が関係しているのだそう。著者いわく、日本では名碗が割れたことやその修復の経緯を楽しむかのような風流心が重んじられてきたのだとか。

 例えば、金継ぎの代表作として多くの人が思い浮かべやすい名碗「筒井筒」には、細川幽斎の風流心を感じさせるエピソードが。

 実は筒井筒は、豊臣秀吉が大切にしていた井戸茶碗。ところが、ある時、小姓が粗相をし、5つに割ってしまった。本来ならば、その小姓は激怒した秀吉によってその場で手打ちにされてもおかしくない。

 だが、家来だった細川が『伊勢物語』に綴られていた「筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに」をもじり、「筒井筒五つにわれし井戸茶碗とがをばわれに負ひにけらしな(名物茶碗が5つに割れてしまった。この罪は私が背負いましょう)」と詠んだため、秀吉の怒りは収まったのだそう。

 物が壊れたことを嘆くのではなく、破損したという事実を前向きに捉え、ユーモアに変えた細川。もしかしたら彼は割れた茶碗に独自の価値を感じたからこそ、機知に富んだ返しを思いついたのかもしれない。

 また、有名な茶人・千利休は不完全なものの中に美を見出していたよう。ある日、利休は豊臣秀吉が投げ捨てた際、庭石に当たり、ひびが入った竹花入を拾い、養嗣子の千少庵への土産として持ち帰った。しかし、床の間にかけ花を入れたところ、案の定、ひびから水がしたたり落ち、畳は濡れてしまう。それを見た客が「これはいかがなものでしょうか」と言うと、利休は「この水の滴ることこそが命なのです」と答えたのだとか。

 完璧ではないものに価値を見出し、愛でた利休。そんな彼の姿は割れた名碗を慈しみながら後世に伝え続けている私たちとどこか通ずるところがある。私たちが欠けた茶碗を愛でるのは、「壊れる」という諸行無常の摂理を素直に受け入れ、目の前にある物を愛そうとしてきた先人たちの美意識が受け継がれているからなのかもしれない。

 なお、明治時代の美術指導者であり思想家の岡倉天心は著書『茶の本』の中で茶道に思想的影響を及ぼしている道教と禅の哲学に触れ、こんな奥深い言葉を残している。

“完全そのものよりも完全を求める過程に重きを置いた。真の美は、不完全を心の中で完全なものにする人だけが発見することができる”(引用)

 侘び茶を嗜んできた日本人はきっと不完全を心の中で補い、完全なものにすることによって、割れた茶碗に真の美を発見してきたのだろう――。日本人が欠けた茶碗を愛でる理由を、そう結論付ける著者の言葉は心に刺さる。

 新品のピカピカな茶碗は、たしかに美しい。けれど、先人の想いや歴史が刻み込まれている欠けた茶碗の美しさには深みがある。目には見えない美を大切にし続けてきた先人たちの熱い想いをこれからも受け継ぎ、自分も欠けた茶碗を愛でる日本人であり続けたいと思った。

 本書には他にも、日本人に血液型性格診断が人気な理由や日本昔話に魔女が登場しないワケなど、目を引く雑学が満載。これを機に自分が生まれた国を深く知り、より好きになってみてほしい。

文=古川諭香