衝動買いや先延ばしグセは“生物学的にしょうがない”? 専門家があなたをとことん甘やかす1冊

文芸・カルチャー

公開日:2021/7/31

生物学的に、しょうがない!
『生物学的に、しょうがない!』(石川幹人/サンマーク出版)

 さて、困った。取り上げるべき本はすでに読み終えて、あとは原稿を書くだけである。しかし、今の私は深夜にもかかわらず小腹が空いて何か食べたい。それに録り溜めたアニメやドラマを観たいし、最近気になっているYouTuberの動画もたのしみたい。とにかく原稿を書くのを明日に先延ばししたくて、仕方がないのだ。しかも読んだ本のタイトルが、『生物学的に、しょうがない!』(石川幹人/サンマーク出版)というもので、無理に頑張ろうとして溜まるストレスは「蚊に刺された右肘を右手で掻こうとして、イライラしているのと一緒です」と擁護してくれているではないか(とはいえ著者は、飼い猫のマネをしながら右肘を右足で掻くことは、練習をして会得したらしい)。

 ただし本書はただの甘やかしのバイブルではない。生物学を専門としながら人工知能の研究に従事している著者が、「努力を積み重ねなさい」という助言は有効ではあるものの、「ひとりの人間として、どれをがんばるべきで、どれを諦めるべきかを見極める」ために、「生物学的にがんばってもしょうがない、代表的な51項目」について教えてくれる内容なのである。

経済を回すためにも、衝動買いはしょうがない?

 私の原稿料はおもに酒代に消えてしまうのだが、酒でなくとも給料が出るとすぐに衝動買いしてしまう人も少なくないだろう。そんな自分を叱咤する人も多いかもしれないが、堅実に貯金したり、将来のために投資してたりしている人が“生物学的に間違っている”としたら、どうだろうか。

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 動物の立場になって考えてみるなら、単なる紙切れ、もしくは電子マネーなら実在する姿すら見ることの無いものを「これは将来、価値あるものと交換できますよ」と教えられても、食べ物のほうを望むはず。本書によれば、動物が生きるうえでは未来より現在が大事であり、その感覚は人間も同じ。本書の各項目には、解説の後に「無罪」の文字を掲げて、諦めるべき理由が端的にまとめられているのだが、ここでは「諦めなさい お金より現実の物のほうに価値があると感じるのだから」とあった。

 ただし、章ごとの間にはさまれるコラムの一つには「適度な想像力が助けになる」とも記されている。動物の中で人類だけが持っているこの能力こそが、文明社会を築いてきたのだと。「成績が上がって社会で成功した将来を想像できれば勉強に力が入る」というのも、想像力によって生物的に仕方がないことを乗り越える原動力になるというわけだ。

欲望がわくのは、しょうがない? やったらどうなるかは想像しよう

 生物的なことといえば、生殖については外せまい。著名人の浮気や不倫が話題になり、ときに「不道徳なこと」として糾弾されるが、生物進化の原理としては、「子孫を残す」こと自体は重要なことである。人類を含めた霊長類の中で睾丸の大きさを比較すると、ゴリラは小さくチンパンジーはきわめて大きいそうで、人類はその中間であるらしい。それは生態との関係が深く、ゴリラはメスをハーレムに囲って他のオスを寄せ付けないので精子がそれほど必要ではないのに対して、チンパンジーは群れの中で生殖を多くこなして遺伝子を残すために精子同士が競争し受精させなければならないからだという。

 人間は、ゴリラほどの強い力を持っておらず、さりとてチンパンジーのやり方では争いが絶えないため、狩猟採集して生活するのに都合が悪い。そこで導入されたのが「一夫一婦制」の掟なのだとか。と言いつつ、集団内の生殖資源を十分に活用するために「ぬけがけの乱婚」が潜んでいた実態が、人間の睾丸の大きさに表れているそうな。現代においては、法律で決められているルールはいわずもがなだし、「生物学的にしょうがないけど、ほどほどに」とは著者の弁。

「ほうれんそう」を努力で完璧にするのは難しい?

 ビジネス用語でよく聞く「ほうれんそう」。この用語は「報告・連絡・相談」の頭をつなげたスローガンで、仕事では特に大事だとされている。しかしほうれんそうが遅れたり失われたりするのはよくある話だとか。仕事が上手くいっていないときにほうれんそうがしづらくて遅れがちかといえばそうとは限らず、上手くいっているときでも、他の仕事を割り当てられることを想像して避けてしまうなんてこともあるかもしれない。そんな風に考えるのは人間だからこそか。ほうれんそうの遅延問題は、昨今のデジタル化によって作業の進捗がアプリなどで可視化されればいずれ上司の役割は「相談」のみになるだろうと著者は予測している。それまでは、面倒なことを避けるのもまた生物としては当然なのかもしれない。

集中できないのは悪いことじゃない! 他のことに気がつくための自然の仕組み

 それこそ私の原稿が進まない件については、「集中すべきなのに集中できないのだとしたら、ほとんど社会の側の責任です」と心強いことが書いてある。人類が狩猟採集していた時代を思い起こせば、いざ獲物や木の実などが見つかったときに、獲得するための作業に集中できないというのは生死に直結してしまうありえないことだ。また、注意散漫は否定的に捉えがちだが、みんながみんな作業に集中していたら、猛獣が忍び寄っていることに誰も気づかないという事態も起こりうる。つまり、「注意散漫は、もっと大事なことに気がついたときに、そちらに思考を切り替えるための自然な仕組みなのです」とのこと。なんという、ありがたいお言葉。しかし無罪を掲げた後に、「諦めなさい やるべき仕事が大切に思えないのだから」とあった。えっ、ちょっと待って……、そんなことは………。

文=清水銀嶺