年齢や経歴は一切不詳。リスキーなニュース動画を配信する自称ジャーナリストの目的とは?
公開日:2021/7/31
心揺さぶられる社会派ミステリー小説の名手。薬丸岳という作家は筆者にとって、そんな存在だ。彼の作品にはいつも、見過ごしてはならない社会の闇が詰め込まれており、手に取るたびに自分には何ができるだろうと考えさせられる。
そんな薬丸氏はこのたび、ユーチューブをテーマにした小説『ブレイクニュース』(集英社)を上梓。これまでとは違った角度から日本にある社会問題を訴えかける本作は、デジタル社会の現代へ警鐘を鳴らす1冊だ。
独自に事件の真相を追求するユーチューバーの目的とは?
週刊誌記者の真柄新次郎は追っていた副大臣のスキャンダルを記事にできなくなり、代わりに野依美鈴というユーチューバーを取り上げることに。
フリーのジャーナリストを名乗る彼女は、ユーチューブで「野依美鈴のブレイクニュース」というチャンネルを開設。SNSやユーチューブに寄せられるコメントやダイレクトメッセージをもとに、事件と思われるものや社会問題などを独自に取材し、配信していた。
美鈴の美貌も相まってか、ブレイクニュースの視聴回数は1000万回を超えることも。だが、名誉棄損で訴えられてもおかしくないほど過激な動画もあるため、賛否両論の声が寄せられていた。
経歴は一切不明で、公表年齢や「野依美鈴」という名前も本当なのか怪しい女…。彼女は一体、何者なのか。そんな疑問を抱いた真柄は、美鈴に接触。その中で、自分たちマスコミが関わることを避けた被害者の訴えに耳を傾け、改めて事件を調べる美鈴の姿を目にし、彼女への興味は一層強くなった。
そこで、リスキーな動画を配信し続ける目的を探るべく、情報収集を開始。すると、見えてきたのは美鈴の意外な過去だった――。
「わたしはわたしのやりかたで真実を伝える。ただそれだけ」(引用)
そんな芯のある言葉を口にする美鈴の正体とは…? 予想を超えるラストを目にした時、あなたは感嘆の声を漏らすはずだ。
自分の弱さと闘う勇気を補給できる長編小説
主人公が身勝手な正義感を振りかざす小説は、巷に多く溢れている。だが、本作には類似作にはない深みがあった。
児童虐待や冤罪事件など、作中には美鈴がブレイクニュースで取り上げるネタとしてさまざまな社会問題が登場するのだが、薬丸氏はその裏にある傷つけられた者の痛みや誰かの不幸を蜜の味だと思ってしまう人間の弱さも丁寧に描いているため、本作は単に時代を鑑みただけのセンセーショナルな小説にはなっていない。
ここにはこれまでの薬丸作品に共通していた「包み込まれるような温かさ」がある。これは社会派ミステリー作家として、長年、社会の闇と真摯に向き合ってきた薬丸氏だからこそ生み出せた作品なのだ。
作中には涙腺が刺激される描写が多々あり、心が動く。中でも筆者がハっとさせられたのは、美鈴のこの台詞。
「あなたが考えている以上に世の中は優しくない。死ぬ気になって闘わなきゃ、大切なものも守れない。そればかりか本当に自分が死ぬことになる」(引用)
美鈴の行為は全肯定できるものではないが、誹謗中傷を物ともせず、芯を貫こうとする姿は正直かっこよくも見える。いつも「逃げ」を選んでしまう自分は、「闘う」という選択肢を選ぶ勇気も持ちたいと思わされた。
また、本作には近年問題視されているネットの誹謗中傷やヘイトスピーチにまつわるエピソードも描かれており、自分がどう生きるかだけでなく、他者とどう共存していけばいいのかも深く考えたくなる。
この社会は理不尽で、思い通りにならないことが多い。そんな時には嫌いな相手を傷つけ、スカっとしたくなることもあるだろう。けれど、自分が目にしているのは、その人のほんの一部分。自分にとっては腹が立つ相手であっても、他の誰かからしてみれば唯一無二の存在であるかもしれない。
そんな風に想像力を膨らませて他者を見ることは、誰かの生きづらさを解消することや優しい社会の実現に繋がっていく。自分の中にある弱さを知ること。それは誰もが生きやすい社会を作るための第一歩になるのだ。
綺麗ごとだけでは生きていけないこの社会を、どう生き抜いていけばいいのか。本作は、そんな難しい問いを解決するヒントを授けてくれる。ぜひ日本に蔓延る社会問題に思いを馳せながら、自分の心を成長させてみてほしい。
文=古川諭香