「あがいなわやしょーる奴、どがいにもなるかぁや」抗争の火種が燃え上がる…!?/小説 孤狼の血 LEVEL2 ④

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公開日:2021/8/18

2021年8月20日公開の映画『孤狼の血 LEVEL2』。そのノベライズ『小説 孤狼の血 LEVEL2』から全5回で物語の冒頭をお届け。広島の裏社会を治めていた呉原東署の刑事・大上が亡くなってから3年。大上の後を継いだ刑事・日岡によって取り仕切られていた暴力組織だったが、出所してきた要注意人物により抗争の火種が再び沸々と燃え上がろうとしていた。

※本記事には一部不快感を伴う内容が含まれます。ご了承の上、お読みください。

小説 孤狼の血 LEVEL2
小説 孤狼の血 LEVEL2』(豊田美加:ノベライズ、柚月裕子:原作、池上純哉:映画脚本/KADOKAWA)

 木綿の白布をかぶせた盆ゴザを、男たちがコの字型に取り囲んでいる。

 手本引きの盆(賭場)が敷かれている元・尾谷組廻漕の広間は、煙草の紫煙と熱気に包まれていた。尾谷組はもともと廻漕業から身を起こした博徒で、今は使われていないこの建物は、もっぱら賭場として使われている。

 盆ゴザの長い一辺の中央に、いかにも博徒といった風貌の胴元。その左右隣りには、ダボシャツとステテコ姿の世話役合力たちが座る。

「さァ行こう」

 胴元が無表情のまま、羽織の内側で六枚の繰り札を片手で繰る。

 手本引きのルールはごくシンプルだ。一から六までの数字を図案化した繰り札から、胴元が任意に一枚を選ぶ。それを張り子たちが推理し、一点張りから四点張りのいずれかの賭け方で勝負するというもの。当たる確率の低い一点張りは配当が高く、当たる確率の高い四点張りは配当が低い。

 いま盆ゴザについている張り子は四、五人だろうか。向かい側に座っている胴元が羽織の陰でどの数札を選ぶのか、透視でもするかのように息を呑んで凝視している。みな、これまでの流れや胴元の癖を読もうと必死なのだ。

 対する胴元は、張り子たちの読みを外そうとする。手本引きは言わば頭脳戦、心理戦だ。それゆえ、運や偶然に左右されるサイコロ賭博の丁半や花札賭博のアトサキよりも格上とされ、『博奕の華』『賭博の終着駅』などと称される。

 胴元が、紙下と呼ばれる手拭いに繰り札を入れて場に出した。張り子たちの目に触れないようにするためだ。

「入りました」

 見物客たちがいっせいにどよめいた。

「どうぞ張ってください!」

 合力たちが威勢のいい掛け声で場を盛り上げる。

「さァ張って張って」

 張り子たちは、これぞと思う漢数字の張り札を裏にして置き、そこに賭け金を添えていく。

「いが餅じゃなぁですか」

「おお、昨日祭りじゃったんじゃ」

 いが餅は、祭りに欠かせない呉原名物の餅菓子である。あちこちで豊穣祭が始まる季節だ。おおかた、テキ屋から回収したショバ代を全部抱えてきたのだろう。

 賭場で熱くならない博奕打ちはいない。今日はそれほど大きな場ではないようだが、万札を十枚ずつ束ねたズクを腹巻にいくつも突っ込んでいる者もいる。

 造船業の発展で港湾労働者の多かった呉原市は、戦前から博奕が盛んだった。

 尾谷組を起ち上げた先代の尾谷憲次は、博奕一本でシノギを行ってきた伝説の博奕打ちだ。なんと、手本引きで一晩に三億勝ったこともあったという。

 勝とうが負けようが眉ひとつ動かさず、尾谷は常に端然と座している。その凜とした佇まいに、多くの博徒たちが心酔した。

 また、相手がどれほど強大であろうと、仁義を通すためには命を張る。尾谷という男は、現代に武士道を生きる任侠として、名だたる親分衆からも一目置かれていた。

 組員五十名ほどの小さな尾谷組が、全国にその名を轟かせた所以である。

 亡き大上刑事も尾谷には信を置き、事あるごとに、当時尾谷が収監されていた鳥取刑務所に通っていたものだ。

 呉原東署に赴任してきた当初、日岡は違法捜査も厭わない大上のやり方に反発し、噂されていたヤクザとの癒着を確信して嫌悪感を抱いたものだが……。

 そんな日岡が今では、組長代行の天木や若頭の橘らと昼間から酒を飲んでいるのだから、変われば変わるものである。

 賭場を見渡せる奥の間の応接テーブルの上には、ビール、ワイン、ウィスキー、そして鮨などのつまみが並んでいる。

「しっかし、さすがの情報網じゃのう。阿呆どもが入れ食いじゃったそうじゃなぁの」

 橘が言った。日岡より一回り近く年上になる。濃いサングラスと口の周りを囲っているひげで顔の半分は隠れているが、かなりの男前だ。代わりにというわけではなかろうが、シャツの胸元からは立派な彫り物が覗いている。

「尾谷の庭を、土足で荒らされるわけにいかんでしょ」

 笑って言いながら、日岡は後ろを振り返った。網走刑務所で服役中の現・尾谷組組長、一之瀬守孝の写真が、睥睨するかのように見下ろしている。

「こがいに上う手まいこと仕切られたら、経費がかかってかなわんのう」

 天木が、つまみのチーズを咀嚼しながら皮肉った。年齢は五十歳と聞いている。

「おう、ボン」

 天木が、日岡の背後に立っている柳島に目配せした。

 心得たように、柳島が懐から出した封筒を日岡に差し出す。まだひげの剃り跡もないような若衆だ。

「ちぃと遊んでったらどうじゃ」

 天木が広間のほうを顎でしゃくった。

「冗談言わんでくださいよ」

 日岡は苦笑しながら、受け取った封筒を上着の内ポケットにしまった。これでも現職のマル暴刑事なのだ。もし仮にやったとしても、封筒の中身を一瞬で吸い上げられてしまうのは目に見えている。

「そういや代行、網走に行っとったんでしょ? 一之瀬のオヤジはどがぁでした」

「ああ元気なもんじゃ。のう橘」

「日岡さんには、くれぐれもよろしゅう伝えてくれぇ言うちょったわ」

 橘の言葉を額面どおり受け止めるには、日岡を見る視線に棘がある。気のせいではないだろう。

「……ほうですか、そら安心しました」

 日岡は素知らぬ顔で答えた。

 すると、日岡の脇であぐらをかいている組員の花田優が、ぽつりと口を開いた。

「オヤジは、五十子のことを心配しちょりましたのう」

「五十子? もう死んどるじゃなあの」

 日岡の脳裏に、男子トイレの小便器に転がっていた血まみれの生首が浮かぶ。

 会長の五十子正平のタマを獲ったのは、当時尾谷組の若頭だった一之瀬だ。

「上林いう五十子の右腕じゃった奴が、出所するいうて」

 アホか、と橘が花田の言葉を一蹴する。

「あがいなわやしょーる奴、どがいにもなるかぁや」

 日岡も、名前だけは知っている。花田より少し年上で、まだ三十半ばには達していないはずだ。

 日岡は煙草をくわえた。すかさず柳島が両手でライターを差し出す。

 が、日岡は自分の狼のジッポーで火をつけた。

「のう花田、五十子の右腕じゃぁ左足じゃぁ知りゃあせんがのう、五十子会は組織としてもはや体をなしちょらんわい。昨日も四人パクったしのう。風前の灯火、いうやっちゃ」

 そう言って煙草の煙を吐く。

 五十子正平が存命の頃は百人以上いた構成員が、今では半分以下になっている。以前の勢いを取り戻すことは、もはや不可能だろう。

 花田は納得いかないような顔をしていたが、結局、何も言わずに日岡から顔を背けた。

 

 昭和四十九年、呉原市を拠点とする暴力団・尾谷組に対し、広島最大の広域暴力団・広島仁正会傘下の五十子会が抗争を仕掛けた。いわゆる第三次広島抗争である。

 多くの死傷者を出した報復合戦は血で血を洗う泥沼の抗争へと発展し、勝者なき結末を迎える。尾谷組組長の尾谷憲次は殺人罪の共謀共同正犯の罪で懲役を受け、大黒柱を欠いた尾谷組は弱体化を余儀なくされた。

 それから十四年が経ち、ヤクザ組織が群雄割拠した昭和は終わろうとしていた。

 積年の遺恨は、しかし消えたわけではなかった。

 日岡が呉原東署に赴任した昭和六十三年の夏、呉原で新たな抗争の火種が燻ぶりはじめる。五十子会の下部組織である新興勢力の加古村組が、しぶとく生き残っている尾谷組の残党に牙を剥いたのだ。

 県警トップのマル暴刑事としてその名を轟かせていた大上は、抗争を食い止めようとあらゆる手を使って東奔西走した。日岡の目には、そんな大上がまるで危険な綱渡りをしているように見えた。

 日岡の懸念は現実となり、解決を見ぬまま大上は無惨な死を遂げる。

 しかし十数年にわたる抗争は、五十子正平殺害事件により事実上、終止符が打たれた。五十子の死後、尾谷組と広島仁正会が手打ちを行ったためである。

 その手打ちを裏で仕切ったのは、大上の遺志を受け継いだ日岡であった。

 そして時代は、昭和から平成へと移り変わる。

 バブル景気真っ只中の広島では建設ラッシュが続き、暴力団抗争は小康状態にあった。

 暴対法――暴力団対策法の施行を翌年に控えた、平成三年九月。

 抗争の火種は、再び沸々と燃え上がろうとしていた。

 日岡によって壊滅状態に追い込まれた、五十子会の残党たちによって――。

<第5回に続く>

『孤狼の血LEVEL2』
原作:柚月裕子「孤狼の血」シリーズ 監督:白石和彌 脚本:池上純哉 出演:松坂桃李、鈴木亮平、村上虹郎、西野七瀬ほか 配給:東映 8月20日(金)全国ロードショー ●3年前、暴力組織の抗争に巻き込まれ命を落とした刑事・大上。その後を継ぎ、刑事・日岡は広島の裏社会を治めていた。しかし、刑務所から出所した要注意人物によって、秩序が崩れていく。絶体絶命の窮地を、日岡は乗り切れるのか――。

(c)2021「孤狼の血 LEVEL2」製作委員会